文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

FAKE

『ストレスによる過食』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。心に余裕があるからこそ食欲は湧くんですよ。

 

父親のむかしの写真を見るととても痩せていた。いまのぼくぐらい。「むかしは色々ストレスとかもあったからね」と母が言った。それがいまは立派なメタボ体型。きっとこの人は「私と結婚したお陰で安定してきた」と心から思っているんだろうなぁ。しあわせな結婚生活だ。

 

ところでみんなは卒業式の後にある謝恩会って行った?ぼくは行かなかった。卒業式にすら参加していない。多数のゼミや語学クラスからの逃走歴があり、会いたくない同期・会いたくない教授が多すぎてお腹痛くて行けなかった。

 

「ぽきお(仮名)くんは謝恩会どこでやった?」と聞かれ「行ってないから知らない」とも言えず「○○ホテル。そういえばその時さ、同期の△△(存在しない)が〜」と嘘をつく。 そんな嘘を毎日ついてると、自分が誰なのかわからなくなってくるから、せめてブログでは正直であろうと心がけている。

 

まんが道

ブラックジャックによろしくを読んで感動した。難しい医療の話が平易な漫画となって表されている。命とは何か、医者とは何か、医療制度のあるべき姿とは。小説でテーマにされようものなら、小難しそうで敬遠されようものだが、漫画には敷居を低くくし読ませる力がある。「これだ」と思った。

ぼくは常々いまやっている仕事をテーマにした作品を書きたかった。プロットを立て、何度か書いてみたものの全部ダメ。だって壊滅的につまらないんだもん。世にはびこるサラリーマンを題材にした作品は、ほぼ社内恋愛や出世争いなどの人間関係だったり、買収やスタートアップといった華やかなものが舞台であり、それを支える事務作業にスポットライトが当たることは少ない。そうした業務への従事こそが勤め人の日常なのにも関わらずだ。なので、そうした地味な事務作業をテーマとした作品を書こうとしていた。だが、書いてみてわかった。なぜそのジャンルが賑わってないのか。それは読者の興味を惹かないから。書いているこっちも翌日になれば、「はて、こんなの読んでて楽しいのだろうか?」という有様だ。

どうにかして、面白くそれを表現できなものか。そうこう試行錯誤しているときに出会ったのが、上記のブラックジャックによろしくだった。これだ。小説ではなく漫画、内容ではなく表現媒体を変えるんだ。漫画なんて描いたこともなければ、絵も上手な方じゃない。早速、漫画が上手な人に教えを請い、ファミレスで漫画の練習をした。3時間練習して書けたのが下の絵(主人公の青年を描いたつもり。ゼニガメではない)

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まんが道は長く険しい。

香菜、きみの頭ぼくが良くしてあげよう

筋肉少女帯の『香菜、頭を良くしてあげよう』は大好きな曲だったけど、自己評価の低い男がさらに自己評価低い女捕まえ「生きることに君が怯えぬように」とか抜かしながらモラハラマウンティングを繰り広げるキモい曲だって女に言われ完全にアッになった。

「"生きることに君が怯えぬように"とか抜かしながらエラソーに教えたのが『泣ける本』と『カルトな映画』ってのがね」とまで言わなくても。

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青春の文学

太宰治を嫌う人は多い。

たとえば作家の三島由紀夫なんかは『小説家の休暇』というエッセイの中で、太宰について興味深い発言をしている。―自分がいかにダメかということをあれほどまでに強調するのは、単なる開き直りではないか。治りたがらない病人は病人でいる資格がない。と。

三島由紀夫の青年期における太宰治への傾倒ぶりやその初期作品における類似性を考えると、この発言は嫉妬とも近親憎悪とも取れる。しかしその言は正しいと思う。

 劣等感や欠如を隠さず、一見謙虚にも自己の欠陥を語るよう装いながらも、その実したたかに開き直り、自己弁護をしながら周囲への批判を展開していくその姿、たしかに浅ましい。そしてそれはぼくがよくやるやつ。

太宰治の作品を読み返してて思った。現実の会話でも、ツイッターでもブログでも、言葉遣いには気をつけなきゃ、と思った。