出会い系の流儀 その3

 出会い系の歴史を紐解けば、古くは江戸時代までさかのぼる。

 その名も「出会茶屋」

某居酒屋チェーン店のような名前である。

 そこに集うひと達は、男性は下級武士や町商人、女性は武士の奥さんや商人の娘など身分は様々。表向きは、いたって普通なお茶屋さんだが、表だって会うことのできない、訳ありげな男女がお忍びで逢瀬を楽しむ、デートスポット兼ラブホテル兼出会いの場として機能していた。

江戸で有名なところでは、上野は不忍池付近にあったと言われている。今でこそ鵜の糞ばかりで、デートスポットはおろか、散歩スポットとしてさえ体をなしてない不忍池だが、江戸時代には蛍が舞うほどの清流であったらし。男女が逢引するロケーションとしては文句無い。

「ねぇ、蛍でも見に行こうよ」

と誘う口実も完璧ならば、

「そんなつもりで来たんじゃないわ。ぼくは蛍を見に来たのよ////」

と誘われる口実も完璧だ。


 ちなみに、ぼくの下宿先の近くには、浅川の清流が流れ込む人口の小川、‘向島用水親水路`という散歩スポットがある。夏には辺り一面を蛍が飛び交い、彼らの愛の光でみなもがキラキラと光って、とても幻想的な光景を醸し出している。眠れない熱帯夜は涼しさを求めて、片手うちわでよく眺めに行ったものだ。

だからどうしたと問われたら、べつにそれまでの話だが、カンがいいひとは気づいて欲しい。この際男でもいい。

 時は江戸、宝暦三年のある夏の日。ところは万願寺のとある武家屋敷のお話。

「今日も行ってくる。明日の正午にはもどる」

土間に座って足袋を履きながら夫が言った。いつもどおりの、低く抑揚のない声だった。女は下駄彼の足もとに出すと、先に玄関に出て、奉公に行く夫の御見送りをした。お互いに目も合わせることがない、たいそう愛想のない御見送りだった。

「どうせ今夜も遊郭に泊るに決まっている。」

女は内心そう思っていた。

「今日はせっかくの七夕だというのに・・・・・」

去年と同じように、縁側に座って、一人天の川を眺める自分を想像するだけで、ひどく寂しい気分になった。
離れ離れの織姫さんと彦星さんでさえ会える日なのに、私たちは今日もすれ違ったまま。

 夫は石高も無いに等しい下級武士。そのくせ一丁前のプライドを持っており、外では強者にへつらい弱者を虐げる小人物。家の中では、「武士の嫁というものは」と毎日のように言っては、事あるごとに説教をする。自分自身には心底甘いのに。


朱子学が支配した封建的な幕藩体制の申し子のような夫と、その夫との愛のない所帯。彼女はそれが嫌で嫌でたまらなかった。この縁決めだって、奥さんが決めたものじゃなかった。両家の親が勝手に決めた、家と家との結びつき、自由恋愛が介在する隙など一遍もなかった。


 そんな、寂しい毎日を過ごす奥さんにも、一つの楽しみがあった。

「そうだ、今夜はあそこに泊まろう。」

やがて夫の背中が見えなくなると、女は家へと戻り、嫁入り道具でこしらえた化粧台の前で、水白粉や粉白粉を刷毛で肌に伸ばした。そうして、そそくさと身支度を整えると人目につかぬようにして長屋の外へ出て行った。
忍んで向かった先は、町はずれにある一軒の「出会い茶屋」

お茶屋さんが見えてくると、女は木陰に隠れまず遠くから中の様子を伺った。お茶の縁側にはすでにもう一人の男性が座っている。

「本日の殿方はどんなひとかしら」

奥さんは注意深くその男性の品定めをした。
それはがっちりとした体格の、見慣れた顔の男性だった。ぷかぷかとキセルを吹かしていた。あれは確か町大工の親方さん。この前の大雨で雨漏りした屋根を直してもらったばかりだったから、女はよく覚えていた。
職業柄がっちりとした体格をしており、夫には感じない男臭さと包容力が感じられた。悪い気はしなかった。女は木陰から出て、何事も無かったようにお茶屋へ向かった。

「今日は、良いお日和ですね」

女が笑顔で言った。

「そうですね、この調子なら今宵は天の川も見られそうですね。」

親方さんも笑顔で答えた。

出会った二人はそこでお茶でも飲みながら、身の上話に花を咲かせた。大工の親方は寡黙な人であり、女の話に相槌を打つばかりで、あまり自分のことを語らなかった。日頃から尊大な夫を前にして自由なおしゃべりを抑圧されていた女にとっては、むしろそのほうが好印象に感じられた。

お天道様が沈みはじめた頃には、手を絡めたりして二人はなかなかいいムード。

「今晩、主人は吉原通いなのよ。多分泊まりだわ、あの人」

「それじゃあ、今晩は一人か」

「ええ、一人で天の川を眺めるの。嫉妬しちゃうわ、織姫様と彦星様に」

「年に一回の逢瀬だから、許してやりな」

「でも、さみしいわ、私」

「さみしいかい」

「ええ、さみしいわ/////」

大工の親方は黙って女を見つめる。薄暗い奥の座敷ではお茶屋の老婆が、準備した布団の横で二人を手招きしている。
その晩、彦星と織姫が再開を果たした、キラキラと輝く天の川の下、二人は禁断の逢瀬を重ねる。「イケナイ」とも知りながらも出会ったその日に、女は背徳の恋に落ちて行く・・・・・

とまぁ、こんな具合だったのだろう。すべてぼくの妄想であるが。


 そんな出会い茶屋以外にも、町の銭湯の風呂場に出会いを求める張り紙を張ったりだの、黄色表紙・洒落本などの貸し本の裏で募集するなど、多種多様な『出会い系の元祖』とも呼ばれるべきものが、江戸時代から存在していたらしい。

急激な都市化に伴う人間関係の希薄化、お家制度による社会関係の固定化の弊害である愛の無い結婚生活。それらによって生み出された「さみしい人間」の増加。まぁ、そんなところが江戸時代に出会い系が生まれるようになった原因だろう。
うん?どっかで聞いたことが無い?こんな社会?
牧歌的だと思われがちな江戸時代にさえ、‘さみしい’人間は数多く存在していた。
いわんや現代に於いてをや。

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 軽蔑の視線を投げかけるぼくに気づき、視線をそらせ、恥ずかしそうにさきいかをしゃぶりながら、琢磨は出会い系を始めてから脱童するまでの経緯を話し始めた。
エチルアルコールの影響下の中、大容量の情報がぼくの頭の中を高速で回転していた。その量・質はともに処理許容量を遥かに凌駕し、ついにぼくの脳の中枢がマヒしはじめた。

それから彼が何を語ったか、ぼくは正確には覚えていない。

気づけばぼくたちはいつのまにかいつもどおり馬鹿げた話に興じていた。話題は四方八方を奔走し、あまりに飛躍しすぎて訳がわからなくなった。猫と扇風機、どちらが一人暮らしの男性宅に必要か、について話していたことだけは覚えている。ちなみにぼくは急進的な猫派だ。
それから予定調和の悪酔いタイムに入ると、琢磨は一升瓶を咥えながら六畳の狭い部屋を千鳥足で歩きまわり始めた。肉欲と官能の伝道者ボードレールを自称して、詩集『悪の華』の一節を暗唱しながら、セックスの素晴らしさについてぼくに啓蒙し続けた。ギャグのように熱気で曇りきった眼鏡を掛けては。

「我はセックスの伝道師!迷える童貞を導く羊飼いである。やぁやぁそこの哀れな子羊よ、どうしたそんなに惨めな顔をして」

そう言って、琢磨はぼくの肩をポンポンと叩いた。これにはぼくも、ついに堪忍袋の緒が切れた。

「ウルセエ この裏切り者め!」

先に仕掛けたのは童貞であった。忘れ河(レテ)の一節を詠い始めた非童貞がギャーと突然悲鳴を上げた。童貞が非童貞にタックルを食らわせたのだ。続けざまに、倒れた非童貞に腕ひしぎ十字固めを食らわせる。非童貞は苦痛の表情をして、即座にギブアップを宣言するも童貞はやめない。それどころか一気に絞り上げた。
切れた内向的文系大学生(かつ童貞)ほど危ない存在はない。
今宵の童貞の顔には、明らかに酔いの戯れには似つかわしくないほどの殺気を帯びていた。いつもの酩酊プロレスとは異なり、童貞は本気だった。

「有害思想の宣教師に、天誅を下すぁぁぁ!!!」

「戦争反対~!!暴力はいけませんよ、暴力は」

悶絶した表情で非童貞が愛と平和を叫ぶ。それでも童貞は腕ひしぎ十字固めをやめない。落ちる寸前の非童貞は、最後の力を振り絞って童貞の太ももに噛み付いた。童貞もこれはたまったものではない、イテっーー!と叫んで肩の力を抜き、パっと非童貞の腕を離した。非童貞は、すかさず童貞から離れて立ち上がると、ゼーゼーと肩で息をしながら、背を床につけていた童貞を見下した。その構図は在りし日のアントニオ猪木対モハメドアリの、世紀の一戦そのものだった。

バイティングとは卑怯だぞ、戦士としてのホコリはないのか」

湿った目で童貞を見上げながら、背を畳につけたまま童貞が叫んだ。

「‘オトナ`の世界ではフーッ、勝つことがフーッ、全てなんでね」

曇りきったメガネを未だ掛けたまま非童貞は息切れしながらフガフガと言った。

「うるせぇ」

そう言うと童貞は立ち上がり、再び非童貞にタックルをかまして・・・・・


 内陸部の小盆地であるため、夜は特に冷え込む冬の高幡不動。外はかすかではあるがシンシンと粉雪が降っていた。六畳のこの部屋の中、そこには童貞も非童貞の垣根はなく、男同士の血も涙もない真剣勝負が行われていた。

互いの火力不足のためか、文字通り誰も血を流すことは無く、傍から見れば、ただ幼稚で愚かな男たちが、年甲斐もなく戯れているだけであった。


 青天の霹靂であった彼の衝撃の告白から始まったその夜の宴も、結局行きつくところはいつもの悪酔い合戦であった。早くも我々の体力が切れかけ、不毛な泥仕合がさらに混迷を極めていたその時、ドスドスドスとノックの音がした。いやむしろノックと言うよりはドアを力いっぱい殴っている音と言うべき、室内に大きく響く鈍い音だった。ぼくと琢磨は争いを中断し、二人ですぐさま同じ一つの毛布をかぶり一つの布団に籠った。
 
丑三つ時に時間に、他人の迷惑も考えず来訪するものなどろくな人物ではない。部屋の外からはドア越しでも、大きな声で騒ぐ数人の男女の声が聞こえた。大方、下の部屋に住むピンク髪の三蔵法師率いる、猪八戒沙悟浄ら妖怪一座だと思われた。

「一体何時だと思っているんだ!ドタドタと暴れやがって」

それはこっちのセリフでもある。

「居るのは分かっているんだぞ、出てこい!」

ぼくと琢磨はすでに満身創痍の身、三蔵法師ご一行との争いは今は分が悪い。

「返事をしたらどうだ!坪内さんよォ!」

言葉を返せば、『紅葫蘆』というあの不思議なひょうたんに吸い込まれてしまう恐れがあったため、我々は沈黙を通した。金閣銀閣の二の舞はゴメンである。互いに布団なかでがたがたと震えながら、息を潜めて嵐が通過するのを待っていた。それから十数分程たった後、彼らは様々な罵詈雑言を投げかけて、下の階へと去って行った。嵐の通過を確認すると、我々は毛布から出て仰向けになった。呆気ない童貞と非童貞の喧嘩の幕切れであった。


 琢磨はポケットから出した煙草に火を点け、仰向けのままそれをくゆらしながら自分自身に言いかけるようにつぶやいた。

「失恋の痛みはセックスで消える。セックスを知れば、恋愛の欺瞞に気づける。」

琢磨の顔はどことなく寂しそうに見えた。彼は本当に失ってしまったんだな、とぼくは思った。

「かもなぁ」

琢磨からもらった煙草をふかしながら、力無げにぼくは答えた。

口から出たけむりがフワフワと天井に吸い込まれるように登っていった。
体からは先ほどまでの熱が引き、噴き出していた汗は乾き始めていた。だんだんと冷え込んできた部屋の中、仰向けで天井を見上げながら、我々はただ、季節外れのモクモクとした入道雲を見上げていた。高校の頃、文芸部でのある夏の日の光景が、ふと頭をよぎった。


あの頃はまだ琢磨もふかしだったっけか…

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 夜中の午前三時を回ったころ、琢磨は帰ると言って、ふらふらと外へ出て行った。まだ始発も出ていない時間帯に、高幡から三鷹まで酔っ払いがどう帰るというのか気にはなったが、男の酔っぱらいを無理に泊める理由もないので、引き止めるようなことをせず、彼を帰した。
床に散らばる衣類の山の中で、チカチカと携帯のディスプレーが光っているのが目に入った。発掘して見てみると、琢磨からのメールの着信があった。

『僕がやっているやつです。完全無料で本当に出会えるから、やってみてはいかがですか』

というゲスな一文とともに、某人妻系出会い系サイトのURLが貼ってあった。

窓から琢磨の背中を見ながら、なぜ二次元幼女愛好家の彼が人妻派へ転向したのか、という、謎について考えを巡らせていた。琢磨が帰った後の一人の部屋は、とても寒かった。


物は試しにアクセスしてみると、片手に持った携帯電話の画面には、真っ黒な背景の中、いかがわしい書体でハレンチな文字が浮かび上がった。アルコールと疲れで意識が朦朧としていたぼくには、そこが輝かしい薔薇のキャンパスライフへと繋がる“青春の門”いや‘肉体の門’に見えてならなかった。

しかし、刹那的な人恋しさから、赤の他人を求めるのはぼくの信念に反する。人をさみしさを癒すための手段とする行為は、ドイツ観念哲学の始祖‘カント‘先生のおっしゃる、「汝、人を手段とすることなかれ」にも反する大罪である。
こうして真摯な姿勢で孤独に耐え、ガツガツと異性を求めるそのようなふらちな学生を「畜群」と罵り、無意義な世界で超人を目指して一人自己鍛錬に励んでこそ、「誇り高き非リア哲学の体現者」として、ぼくは限りなく汚名に近い名声をほしいままにしてきたのではないか。ルサンチマンまみれの馬鹿げたプライドを貫き通し、ついには敗北色の勝利を収めたのではなかったか。

「負けてたまるか、人恋しさに負けてたまるか」

今すぐにでもその携帯を閉じたかったが、なかなか右手が言う事を聞かない。むしろ潔く負けてしまったほうが幸せになれる気もしていた。ぼくは、さみしさを紛らわすため、畳一面に散らかったさきいかを一心につまみ上げては口に入れていった。ぼくの青春までもがこのさきいかのように、カラカラ干上がっていくように思えて、余計さみしさが増すだけだった。

「負けてたまるか、さみしさに負けてたまるか」

ぼくの中では、さみしさと理性が、下半身と脳髄が、組んず解れつのラグナロク(最終決戦)を繰り広げていた。先ほどのぼくと琢磨との泥仕合などは比ではないくらいの激戦だった。
両軍の命運を握るのは、ぼくの人生における唯一の女性、岡本さんの存在定義であった。


 あの日も、そしてあの日も、ぼくは岡本さんと一緒にこの部屋で寝床を同じにした。互いの身の上、将来の夢など若者の特権的な話をしながら、ドキドキしながらひとつの布団に入っていた。
何をすればいいか、どうするべきかは分かりきっていた。数多くの桃色映像を鑑賞し、江戸・上方四十八手から、遠くはインドの性技カーマ・スートラまで熟知した、観念的には桃色遊戯における権威であったぼくには一目瞭然だった。
しかし、岡本さんを本気で好きであるが故に、否、童貞であるが故に行動に移せなかった。手さえ握れなかった。窓から差し込む月明かりが、いつも以上に眩しく感じられたのをよく覚えている。そうして二人は何もしないまま、いつも朝を迎えるのであった。

「我々にとっては、セックスは恋愛に先んずですよ」

激戦の戦場に現れた少女の幻影と響く琢磨の声、勝敗は決した。

落ちるところまで落ちてみよう。

ぼくはその出会い系に登録すると、泥のように眠った。