一目惚れのようなもの(後編)

ぼくが通っている大学は東京のはずれ、多摩の山奥にあり、周りは雑木林が広がるばかりで、喫茶店一つもない、遊び盛りの大学生にとってはまったく面白くもなんともない環境にある。憲法や刑法なんかの大教室での講義になると、ぼくはよく教室を抜け出して殺風景な大学周辺をほっつき歩いた。


ぼくはとりとめのないことを考えながらただ散策するのが好きだったから、たぬきでも出そうな雑木林のけものみちを歩きながら、山の中をうろついたり、ひとけのまばらな動物公園でひねもすボーッとゾウを眺めたりするのがそんなにつまらなくなかった。

いつかは書こうと思いながら、まだ一行も手をつけていない小説の構想や、これから将来、一体どうやって食べていこうか、府中で公務員でもしようか、がんばって勉強して法曹を目指すか、そんなことを考えながら、頭上を走るモノレールを眺めてはホテホテと歩いたりするのは、教室で息を殺しながら興味もない講義を聞くよりも数倍有意義なことであると思っていたのだった。

 

サブ子のこともたまには考えた。

 

スッと教室からいなくなってしまうサブ子も、こうやって何もない山道を散策して、退屈な時間を過ごしているのだろうか。あてどなく、心に映るよしなしごとを頭の中に描いては、空白のお昼の時間を誰のものでもない、自分の時間にするために殺風景なこの一本道をうろついているのだろうか。もしそうならば、彼女は退屈なあの教室では見せたことのない、生き生きとした表情を顔一杯に浮かべているに違いない。そう思うと、ぼくは嬉しくなって、昨晩覚えたばかりの詩を口ずさんだり、カラスに石を投げたり、山に捨てられた、水を吸ってブヨブヨとした雑誌を ペチャン!と蹴っ飛ばしたりするのであった。

 

その頃、ぼくは今思うに、サブ子を「仲間」であって欲しいと思っていたのかもしれない。つまらなそうな、困ってしまったようなサブ子の表情の意味を、「退屈な日常、俗っぽい奴らに対する絶望感」によるものである、とぼくは勝手に解釈していた。だがそれは、他ならぬぼくがその頃思い続けていた悩みでもあった。

ぼくはこの退屈な教室の中に、同じ憤りを抱く「仲間」がいて欲しい、と無意識のうちに思っていた。 それがどういうわけか、いつもアンニュイな、つまらなそうな表情をしているサブ子に、「もしかしたら同胞ではあるまいか!?」という、失笑ものの思い込みをしてしまっていたのだった。そうしていくうちに、対して好みでもなかったサブ子を意識するようになり、気づいた頃には恋のようなものになっていた。

 

ホント節操のない男だなぁ、と今になれば思う。でも誰かに恋をするってことは、それは相手に自分の理想を投影して、ひとりよがりなフィルターを通して見ることではないだろうか。そうして運良く両思いになったとき、お互いの理想からかけ離れていた相手にショックを受けるのだ。それでも好きであり続けたならば、お互いにギャップを埋め合わせながら、最初の理想としたイメージにできるだけ近づけていく。恋愛とはそーゆーものじゃないか、とぼくは最近思うのだ。実際のところ、ぼくはサブ子と会話らしい会話をしたことが一度たりとてなかった。


すべてはぼくのひとりよがりなイメージだった

 

この恋のような感情にも、最近になってオチがついた。サブ子は、実は腹痛(胃腸捻転)に悩んでいたらしいのだ。

 


「なんだが困っちゃうなぁ」というあの表情は、単にお腹が痛くて困っていただけだった。講義、クラス会からフッと消えるのも、俗っぽい奴らとの付き合いから抜け出して、妄想に浸りながら山の中を歩いていた訳ではなく、単に保健室やお手洗いで休んでいただけだったらしいという。腹痛だけに抱腹絶倒というか、しょうもないオチである。


先月、語学のクラスで唯一の友人と飲んだ席で、そんな話を聞いた。

「ハハハハァァ、しかし笑っちゃうな、オマエがそんな妄想を彼女に託していたなんてよぉ」

友人は終始私のことを笑い続けた。サブ子はそもそもぼっち勢でもなんでもなく、語学のクラスには親しい友人が何人もおり、クラス飲み会にも毎回参加していたらしい。親しい仲にはこの腹痛のことを話しており、教授を含めみなそれに配慮していただけだとか。この夏休みに無事手術が成功して、腹痛に悩まされることもなくなったとか。そういえば確かに、後期以降の講義ではサブ子はやけに生き生きしてる表情を浮かべていた気が………


「あとオマエ、‘サブ子`ってのはないぜェ。‘サブ子`ってのは、ハハハァ、ほら見てみ見てみ」

そう言って友人が突き出したスマートフォンの画面には、サブ子のフェイスブックのプロフィールが映っていた。

「フレンドなんだよ、彼女はオレと。そりゃそうと、このプロフィールのとこ見てみろよ」

そこには【好きなもの】の項目の中に、関ジャニ、K-POP、EXILEの文字が……

「結構俗っぽいとこあるだろ、ってかふつーのパンピーだよ、彼女は。何を勘違いしたんだ、オマエはよぉ、ハハハァ」

「あー勘違い!」

アーバンギャルドのクリアファイルという些細な証拠ひとつで、ぼくはどうやらぼくはとてつもなく巨大な‘サブ子像`を作り上げ、彼女に投影していたらしい。

「紹介してやってもいいぞ、彼女に。オマエみたいな細いタイプが好きだって言っていたから、彼女もオマエのこと気に入ってくれるんじゃねぇかな、いやマジで」

友人の笑い声を遠くに聞きながら、液晶画面の向こう側で明るく笑う彼女を、ぼくはただジーと見ていた。

 


なんでこの女を好きになったんだろうな、黒髪じゃないのに。

 


その夜、ぼくはTSUTAYAにDVDを返しに行った。まだ見ていないものが何本かあったけど、だ。昔の映画を見て何も役に立たない知識を溜め込むのが最低に不毛であると、また急に嫌悪感に襲われたからだ。


前の月に誕生日プレゼントとして友人からもらったオナホールを開封した。それを使ってオナ禁を破り、3ヶ月ぶりにオナニーをした。デッカイ白人女がたわわなおっぱいとズゴスバァーンを恥ずかしげもなく披露し、「YE~S, OH! YE~S!」とただ叫び続ける、淡白な洋物AVをxvideoで流しながら。普段は全く妄想の余地を含まない、情緒に欠ける洋物AVは大っきらいだけど、その日は何故かそれじゃなきゃいけない気がした。
(反動の手段が手淫とはなんとも情けない(´ε`;))

 


 賢者タイムのけだるい余韻に浸りながら、ぼくは昔読んだ本の内容を思い出した。生理学的には、男性にとって一目惚れというのは、相手の外見が重要なファクターとなっているらしい。男の方が面食いだという社会的事実を鑑みれば、まぁ当たり前のことか。男性は相手の外見から無意識のうちに遺伝情報を感じ取り、自分に一番合った、一番優性な子孫が作れそうな相手(女性)に惚れ込むということらしい。
(女性の場合は出産育児があり、収入や性格などのファクターも重要視されるため、外見の比重は比較的軽いらしい)

ぼくが長期間続けていたオナ禁で、溜まりに溜まったフラストレーションがリビドーとなり、それが妄想を加速させ虚像を作り、それにぼくは恋をする。恋に恋する乙女と化したぼくが、こうして人工的に一目惚れを作ったに過ぎなかったのだと。ボロボロと虚像が崩壊していった後、もはや彼女に恋心は抱いていなかった。やはり紳士たるもの、ジョニーの制御のためにも、手綱の手入れは怠るべきではないと思った。

 


賢者タイムのけだいるい余韻のなか、またぼくはこんなことを思い出した。あるとき、語学の講義でぼくは筆記用具を忘れてきてしまったことがあった。いきなり教授が黒板に書き始めた試験範囲を写すため、机の上に転がっていた折れた短いシャーペンの芯で、なんとか教科書のすみに書こうと悪戦苦闘していた。すると、トントン と、後ろからぼくは頭をこづかれた。振り向いてみると、「あんたそんなみっともないマネはやめなさいよ」とでも言いたげな表情をした女の子がいた。

「これ、使えば」

そう言って、その子はシャーペンと消しゴムを手渡ししてくれた。後ろの席からぼくの様子をうかがっていたらしいのだ。そのときの惨めというか、ありがたいというか、恥ずかしいというか、そんな感情を、ふと思い出した。

 

 

そういえば、サブ子とはそんなこともあった。