文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

天動説の少年

 トンデモナイ男の子がいた。
ボクが浪人期につるんで遊んでいた友人は、本当にまともじゃなかった。 彼には世の中の道理というものが全く通用しないのだ。


 例えば彼はよく一人でクラブに行く。
それも若者がたむろするような、きらびやかで退廃的な‘クラ↓ブ‘ではなく、米軍基地の海兵さん(沖縄なのでメタンコ多い)やそれ目当てのアメ女(アメリカ人好きのビ○チ)で賑わう‘クラ↑ブ‘のことだ。

それは国道から少し離れた、なんともカントリーな郊外にある、これまた時代を感じさせる建物。真っ暗な農道に面した駐車場にはYナンバーの外車が並び、薄暗い店内にはスキンヘッドやタトゥーだらけの白人、黒人、ヒスパニックの海兵がたむろする。‘現地人(男)お断り‘の雰囲気がそこにはあって、不良でさえ近づかない場所だ。

 そんなところに彼はとことこ出かけて、バーカウンターの席にちょこんと座って、ニコニコとウォッカをすする。バーテンダーとも顔見知りだから慣れたものだ。酒、タバコ、麻薬、女……文字通りハメを外す外人さんたちを見ながら、大音量で鳴り響く音楽に身を任せて飲む酒は実に美味しいらしい。彼に言わせると、「ごちゃごちゃしてて危険なその環境は最高にゴキゲン」なそうな。喧嘩やハレンチ行為はしょっちゅうで、完全無法地帯のトイレには行けたものではないらしい。


 中で飲んでいると外人に絡まれることもある。相手は完全な酔っ払いだったり、ハイになってたり、何故か怒鳴り散らしていたり、ときには下心を持っていたりする。今まで楽しく飲んでいた愛想のいい海兵さんが、急にその筋肉質な両手で彼の手をまるで祈るように握り、何やら耳元で囁くと、彼の腕を引っ張って半ば強引に店の外へ連れ出そうとされたこともあったという。

「アジア系の美少年ってむこうの‘そっち系‘には結構人気があるらしいからね。しっかしあの時はほんと驚いたなぁ、もう少しでレイプされるかもしれなかったんだから。」

 首をかしげコロコロと笑いながら彼は言う。時より彼は自分のことをこうして美少年だと自称することがあったが、涙袋が特徴的な、まん丸とくりくりした目、りんごのようにほんわかと赤い頬、生意気そうに少し尖った口元、とそれを自称するだけの素質を彼の顔は揃えていた。

「どうやらおれってば、相手のその誘いにOKって言ってたらしんだよ、英語がわかんないとこればっかりは防ぎようがないなぁ。」

そう、彼は英語もロクに話せないのに外人クラブに通うようなやつなのだ。



 ジョン・マクレーンや二代目引田天功を凌ぐほどの命知らずな彼は、ヤクザの事務所に遊びに行った話や、ダンサーとのヒモ生活の話、近所のハッテン場として有名な廃墟に泊まった話など、こういうエピソードにかけてはキリがない。

といっても、彼はヤンキーでもなければ、パンクスといった感じの不良少年でもない。彼自身にも、別に自暴自棄とかいう心の病を抱えているわけではなく、アナーキストやノーフーチャー、ヒッピーという政治信条を持っているわけでもなかった。

彼が単にトンデモナイ大学生だったのだ。

 無鉄砲な彼の行動は、‘面白そうなことがあったら取り敢えず顔を出そう‘ という彼の信条と、無遠慮で粗暴だけど人を惹きつける雰囲気、なにをやっても許されそうな幼顔なその外見の賜物というところだった。

彼と遊んでいるとき、ぼくも彼のせいで予期せぬ危険な出来事に巻き込まれ、肝を冷やし、死ぬかと思ったことがしばしあった。(浪人中でうだうだと勉強から逃げいていたぼくにとっては、それはそれで楽しかったが)


ぼくは彼に引き回されていた。


 二年前の、ある寒い冬の夜のことだった。

「なぁ、今度いっしょにインド行こうぜ、インド!」

毎度のことながら、突拍子もなく彼がこう言いだした。

「いや昨日の成人式でさぁ、昔の友達に会ったんだけど、そいつから聞いたインド旅行の話が面白いのなんのって~~」

ふたつのミラノ風ドリアとまだ火のついた煙草の入った灰皿をはさんで、インド旅行がいかに素晴らしいか、いかに人生観を変えるか、彼はまるで自分が体験してきたかのように、ぼくに熱弁を振う。

 緊急の用件があるから今すぐ会おう、そう電話でしつこくお願いされたため、ぼくは仕方がなくいつものサイゼリアに呼び出されていた。その日はぼくたちの成人式の翌日で、ぼくの三回目となるセンター試験の一週間前だった。

「それは大した‘緊急の用件‘ですね。」

と、ぼくは皮肉を込めて無愛想に言ったが、彼にはまったく届かない。

「それでさぁ、それでさぁ~~」

と興奮気味に彼が話すインド旅行計画の概要を、ぼくは右から左へと聞き流しながら、灰皿から立ち上る青い煙が、バラ色の天井へ吸い込まれるのをジリジリと眺めていた。

 その頃、宅浪での浪人二回生という、数ある浪人生の中でもタチの悪い部類に所属していたぼくは、前日にあった成人式には気が引けて結局出席せず、いろいろと心の葛藤を抱えていた。また、今度こそ失敗できないセンター試験が目前に迫っており、ぼくは気が立っていた。

「もう二月辺りに予約取っちゃうけどいいよな?それでお金の事なんだけどさぁ、最低でも9万はかかりそうなんだけど、今は俺ちょっと足んなくてさぁ、それで少しばかり~」

「二月辺りってなんだよ!まだその月いっぱいは試験あんだぞ、おれは」

彼の話を遮り、ぼくは声を張り上げた。少し刺のある言い方だった。

「え~まだ試験あんのかよ、オマエ。うむぅ~~~、どうにかなんないかな、それ?」

「あのさぁ、コッチの事情も考えろよ、ホント。」

「善は急げって言うだろ?天竺参拝だぜ?天竺参拝!たのむよォ~。」

と、彼は譲らず手なんか合わせてぼくに熱心にねだった。

「そっちの思いつきのインド旅行のために誰が国立二次を投げ出すってんだよ!」

「そこんところどうにかたのむよォ。どうせ今回もダメだろうしさ、な、な?」

……コノヤロウ。


ぼくは目線を上げ彼を睨んだ。ぼくを拝みながら、いつもどおりの、悪気のない、愛嬌のある顔で彼は首をかしげている。こうして悠長に泰然自若として、自分のペースに周りを巻き込んでいくのが彼の癖だ。

この言葉に悪意があるわけではないことは、長い付き合いからわかってはいたが、さすがにその時は、彼の、その自己中心的な姿勢がどうも許せなかった。

「オマエ中心に世界が回っているのとでも思ってるのかよ!」

思いもよらず声を張り上げ、テーブルを殴った。

テーブルの上の、すっかり冷えてしまったミラノ風ドリアが揺れ、スプーンが床に落ちた。彼はノンビリと、そう口にできることに喜びのようなものさえ浮かべながら答えた。

「当たり前じゃん、おれが世界の中心なんだからさ!」

自信満々にそう言い切る、ある種の清々しさ漂う彼の顔には、意地の悪い喜びの色も、冗談の色さえも見えない。それこそが彼の信念であり、虚栄心、自惚れと呼ぶのがふさわしい、極端な自信の念の表れなのだ。

彼のその回答と落ち着きように、ぼくは開いた口がふさがらなかった。


そう、彼はいわゆる「Geocentrism(天動説の男)」だったのである。


 フランス文学史の講義で、かつてこんな話を聞いたことがある。それは、単位の関係上、ぼくがしかたなく取っていた土曜午前の講義だった。その日の話は実存主義についてだった。

赤ちゃんは太陽だ。
何もせず、どっしりと構えて、たまに泣きじゃくる。ただそれだけで、お母さんからは無償の愛をいっぱいに注がれ、周りのみんなは自分に注目し、あやしてくれる。わんわんと泣いているだけで、やれ「ミルクがほしんじゃないか」 やれ「おしめの交換じゃないか」と、自分の一挙一動で周りが動いてくれる。
赤ちゃんは太陽でありコミュニティの中心なのだ。の考えは成長するに従って、薄れながらも深層心理の中では生き続ける。そして自我の芽生えとともに、現実とのそれとの葛藤に苦しむ時期が来る。いわゆる思春期というやつだ。

思春期の少年少女も、自分の半径10mの狭い世界で生きている。見るもの触れるものがその世界の全てであり、それ以外の存在は彼らにとってはないのと同じ。学校、家、友人関係、自分の部屋……ect、これらコミュニティーが彼らの世界だ。だから、世界(その一部)から自分の存在を否定されること(イジメや絶交、破局など)は、彼らにとってアイデンティティーの破壊、存在理由の喪失を意味し、自殺などの短絡的、終局的な解決策に追い込むことがある。

そんな狭い世界において、少年少女は根拠無き選民思想、自身の存在理由に根ざした自己本位を心の拠り所としている。わかりやすく言い換えれば‘特別な存在としてのボク・アタシ‘という潜在意識だ。
「ボクがこの世に生を受けたからには、なにか特別な理由があるのではない?」
という、漠然とした意識。
「世界を舞台に見立てたら、アタシはきっとそのヒロインに違いない!」
という、その優雅な盲信。
「おれの死はつまるところ世界の崩壊と同じだ!」
という、幻想への傾倒。
あたかも世界が自分を中心に回っているかのような、自分が特別な何かであるような感覚。お花畑で出会ったくまさんに甘い甘い蜜を分けてもらうくらいに、心がほんわかとする至福の錯覚。
髪を切った翌日に、教室に入る時に感じたあの異常なドキドキ、
「アタシが教室に入ったらみんなどんな顔するかな?この髪へんじゃないかなぁ?」
なんて常に人の注目を集めていると思い込む‘自意識過剰‘な少女も、休み時間、教室で一人で机に突っ伏し寝ながら、
「こんな俺が、まさか世界を救うような大仕事をやってのけるとは誰も知る由もなかった。」
なんて勝手に地の文をつけてニヤニヤする、虚構の物語の主人公に熱情的に自分自身を投射する、いわゆる‘邪気眼‘ 設定の少年も、今や三文小説にも書かれないほどのありがちな失恋だったのにも関わらず、
「あぁ、きっとこの恋は報われない運命だったに違いない。アタシは不幸な星の下に生まれてきた世界一不幸な女です。」
なんて嘆く、悲劇のヒロイン症候群の悲しみの泥沼の中で、カタストロフィの恍惚に浸る少女も、自分を実物以上によく見せたくてあの手この手で自作自演
「社会なんてクソだよ」
「邦楽なんてガキが聴くもんだよ、フツー洋楽かクラシックでしょ」
なんて大人ぶって背伸びするも能力が追いつかない‘中二病‘の少年も、すべてはこの邪説、‘天動説‘に惑わされた狂信者でしかない。

 実際にはそんな彼らも砂漠のひと粒、路傍の石、ただのちっぽけな存在にすぎないのだ。

 世界は‘ボク・アタシ‘を中心回っているわけではない。‘ボク・アタシ‘が死んでも世界は存在し続ける。その死は翌日の朝刊の隅っこに載るのがいいところだ。個人なんぞというのは社会、そして現実という太陽の周りをくるくるくるくる公転する、ちっぽけな衛星の、そのひとつに過ぎないのだ。

人生は主人公が自分だけの、あとはNPCばかりのRPGではない。自分以外にもたくさんの‘ボク・アタシ‘が参加しているMMO(オンラインゲーム)であって、自分もその中の‘ボク・アタシ‘の一人に過ぎないのだ。口惜しかろうが無念だろうが、自分の小ささを認め、わがままの通用しない‘地動説‘の真理を認めない限り、大人になることはできないのだ。そうでなければ、社会に押しつぶされてしまう。


 いつにない50代教授の大演説を聞きながら、この人も何かに妥協してこの場に立っているひとなのだろうか、とぼくは思った。確か初回のオリエンテーションの時、小説家を志していたときの苦労話をはなしてくれたっけな。

かつて

「おれが世界の中心なんだからさ!」

と爽やかに言い放った彼も、そうした‘ボク・アタシ‘の中のひとり‘だった‘。


「いやぁ、公務員試験ってのも意外と難しいもんだなぁ。数的処理なんて未だにちんぷんかんぷんでさぁ。でも、ほら、県内には大卒のまともな就職先ってたら公務員しかないもんなぁ。」

七輪煙る居酒屋の薄暗い個室席で、二人用にしては長めの黒い木製のテーブルに肘をかけながら彼は言った。


「お前も将来考えて行動したほうがいいぞ、俺もお前ももう22なんだからさ。」

少し照れながらそういう彼の顔には、もうあの頃のような幼さは見られなかった。部屋の小さな小窓からは、がちゃがちゃとネオンだらけで雑多な、沖縄の夜景がよく見えた。景観条例は東京ほど厳しくはないらしいと、ぼくはボンヤリとそう思った。

「いや~しっかしサイゼしか行けなかった貧乏浪人生のお前から、『居酒屋に行こう』だなんて大学生さまさまですなぁ~」

今年の夏、帰郷ついでに居酒屋で彼と酒を飲んだ。2年ぶりの再会だった。

「いや、あの頃はほんとうにバカやってたなぁ、って俺らいくつだよ!」

声を出して笑う彼を横目に、ぼくは飲んでいて少し寂しい気分になった。ナイトクラブ通いなんてもうやめて、今では家と資格予備校を往復する生活を送っているらしかった。昔のようにわがままな性格はそのままだったけど、あの純粋な尊大さ、自分の可能性への盲信は見られなかった。

「2年って短いようでホント長かったなぁ。俺も今年で大学生活が終わるし、モラトリアム期間の終了ってことよ。これからは社会の歯車になる、公僕人生の開始ってわけ。」


 0時を回らないうちにぼくたちは居酒屋をあとにした。

「翌日は資格予備校で講義があるからさぁ、今日はこのへんで」

というのが理由らしかった。

 

帰り道、ネオン輝くごちゃごちゃとした国際通りを千鳥足で抜けて、えんえんと続く見晴らしのいい県道に沿って歩き、途中真っ暗な住宅地に入る。その道中、彼は酔ってて気分でも悪かったのか口数は少なかった。住宅街はオレンジ色の街灯チカチカとはまばらに灯っているだけで、なんとも頼りない真っ暗な道。たまに通る車のヘッドライトが、ギラギラと眩しい光の列を作って動いていく。

「東京の夜は流石にこんな暗くはないよなぁ?」

苦笑いをしながら赤ら顔の彼が言う。

「いや、おれの住んでいるところなんてここより田舎だからこれよりも暗いぞ。なんせ野菜の無人販売所が所々にあるような田舎街だからさ。東京って言ってもなぁ。」

「ふーん、そうなんだ。」

自嘲した笑いを浮かべるぼくを尻目に、彼は何故か不満そうにそう言うと、それから黙り込んでしまった。

ふたりは言葉なくトボトボ歩く。

空を見上げるとちらちらと星が見えた。

 

その星の数は東京で見るそれよりも少なく思えたが、そんなことは口にしない方が無難だろうと思い、ただトボトボと歩き続けた。


公園の中を通った時、広場の隅に立つ街灯の光にたくさんの羽根アリがたかっていた。ふたり顔を上げ、その踊り回る様をぼーと眺める。

「この光景は向こうでは見られない、沖縄独特のものだったなぁ」

と、ふとそう思ったぼくは、うっかりそう言ってしまった。

「これもそうなのか。」

彼はあまり関心がないような相槌をうち、そして再び黙る。

遠くの幹線道路を通るトラックの音と、ジリジリと唸るその古い街灯の雑音以外、何も聞こえてこなかった。青白い光射す彼の横顔は、なんだかいかめしく見えて、なかなか怖い。そういえば気分屋な彼は、昔もこうして急にむずかり、黙り込んでしまうことがあったことを、ぼくは思い出した。その気まずい沈黙に我慢できなくて、いつも彼が食いつくまで話し続けるのが、ぼくの役目だったけか。


「いや、向こうではシロアリなんてみたことないけどさ、うちんところは蚊がすごくてすごくて、というのもうちんところ用水路があちこちに走る水の街でさぁ、これがまた~」

「なぁ、そういえばオマエ彼女できた?」

なんの脈絡もなく、急に彼がぼくに尋ねる。

「ようなものは出来た。そしてようなものとは別れた。」

「振られたのか?」

「そのようなものだ。」

「ハハハ、なんだよそれ。その調子だとオマエ、さてはまだ童貞だな。」

「失敬だな、帰るぞ!」

ぼくは無理して声を張り上げた。だけど、抑えることはできず口元のニヤついてしまっている。

「しっかし、オマエはほんとに変わってないよなぁ、あの頃と。」

彼は笑いながら街灯の下にあるベンチに腰掛けた。緊張の糸が一気に切れてすぅーと楽になったの感じた。

「そういえばさぁ、前言ってたインド旅行の計画って結局どうなったの?」

「あぁ、あれか、行く時期見逃しちゃってさ、結局行かなかったんだよ、インド。」

「時期……ねぇ。」

「講義にバイトに就活に、いろいろ忙しいもんだぜ、真面目な大学生はさ。」

「時期……ねぇ。」

ぼくは小さくそう繰り返す。彼の“転向”を感じて、なんだかさみしい気持ちになった。

 

「それでも地球は回っている」

かの有名なガリレオ・ガリレイも、2回に渡る宗教裁判の果てに、最終的にはその地動説を放棄してしまった。彼とは真逆な話ではあるが、状況は似たり寄ったり。世間の圧力に耐えかねて我を曲げざるを得なかったのだ。


彼と別れた帰り道、家の近くの、いつものサイゼリアの明かりが目に入ると、何故かぼくほっとした。

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