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文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

ジョジョの思い出

エッセイ

「おまえたちはもうわかってると思うけど、サンタクロースなんていないからな。今年はこれで好きなものでも買ってこい」

 

そう言って、父は兄とぼくに3000円ずつ渡した。兄とぼくは黙ってお金を受け取って、部屋に戻った。

 

我が家でのサンタクロースの死は、なんともあっけないものだった。

 

父は以前から欧米のこうした文化に乗せられるのが嫌いな人だった。クリスマスという文化に乗っかるのも、母に言われて嫌々やっていたらしい。

ぼくたちもぼくたちで、クリスマスの裏側なんてうすうす気づいている時期で、無邪気な子どもを演じるのが恥ずかしくなってきた歳でもあった。

両者の思惑が一致して、サンタクロースは闇に葬られたのだ。

 

しかし、そのときぼくはまだ9歳、小学3年生でしかなかった。周りと比べると卒サンタするのにはまだ早い時期だ。それもこれも、ひとつ上の兄に巻き込まれてのことだった。

 

そして、そのときもう一つの問題があった。お金の使い道である。

 

例年なら、5000~6000円はするであろうゲームソフトを兄とぼく、ひとり一本ずつもらっていたのだが、その年はひとり3000円、ふたりのお金を合わせなければゲームソフトの一本も買えなかったのだ。

さてどうしたものか、と兄に相談すると、兄は「おれにいい考えがある」と言って、ぼくを古本屋に連れて行った。

 

そこで、ぼくはジョジョと出会った。

 

兄が立ち読みしてて見つけた面白いマンガ、として紹介されたのが、ジョジョだった。当時、マンガと言ったらコミックボンボンコロコロコミックしか知らなかったぼくには、その画力、ストーリー、なにより”オトナの匂い”は衝撃的で、ひと目でジョジョに魅了された。

 

いま思えば、小3にはそのストーリーは難解すぎたし、兄にハメられたような気もするが、当時のぼくは兄とお金を出し合い、ジョジョを中古で20冊ほどその場で買った。それからというもの、兄とぼくはお小遣いが出るたびにジョジョを買いあさり、買った本は小学生特有の余暇の使い方で40巡も50巡もした。小学校6年生になる頃には、ついにジャンプの連載にも追い付いたのだ。

 

しかし、ぼくのジョジョ熱は長くは続かなかった。中学2年生あたり、ちょうど第六部(ストーンオーシャン)が佳境に入り始めた頃、ぼくはジョジョを読まなくなった。兄は相も変わらず買い揃えていたが、それにすら手を出さなくなったのだ。

 

 

先日、少し用事があって、渋谷に住む兄の自宅を訪れた。1LDKと決して広くはない家だが、デザイナーズマンションというだけあって、おしゃれな感じの内装だった。そんな部屋の中で、ひときわ目立っていたのが、小さなガラス扉がたくさんついた、コレクション用の本棚だった。中にはところ狭しと、ジョジョのマンガ、画集、ゲーム、フィギアなどが並べられていた。

 

どこか落ち着かず手持ち無沙汰だったぼくが、その中身をじーっと見ていると、「被ったからよかったら上げるよ」と兄に言われ、ジョジョのアニメDVDを3枚ももらった。DVDが被ることなんてあるのか?とも疑問に思ったが、さすが外資系サラリーマン、金は潤沢にあることがうかがい知れた。

 

渋谷からの帰りの電車中、おみやげにもらったDVDのパッケージを読みながらぼくは考えた。
 

「なんでぼくはジョジョに興味がなくなったんだろう?」

 

考えても考えても答えは出てこなかった。いまでもジョジョ好きを続けていたら、きっと古参顔して偉そうに出来ただろうなー、と少し残念に思った。下宿に着いた頃には、もう日は暮れていた。

 

中学2年生のそのころ、ぼくは兄を追って入ったテニス部を辞め、文芸部の扉を叩いた。ちょうどそのころだった。