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文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

断りの手紙

エッセイ

 なんの用意も無しに便箋にむかった。こういう時に書けるものこそ、本当の手紙というのかも知れない。━きょうは、十月二十三日です。ここ八王子は曇っています。私の生れた日は、もうお忘れかもしれませんが、平成二年十月二十三日です。なので、今日は、私の二四回目の誕生日ということになります。


これは悪くない書き出しだ。ぼくは筆を進めた。


 ━━私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父のほんとうの子でないと思い込んでいた事がありました。兄弟中で自分ひとりだけが、のけものにされているような気がしていたのです。
一つ上の兄は賢く、力強かった。三つ下の弟は、一重で団子のような鼻をしていて、父によく似ていた。私はというと、先輩は笑うでしょうが、母に似て容貌がよかった、と自分では思っています。いや、事実そうでした。それが顕著だった幼少期は、女の子とよく間違われましたし、また、よくモテました。

 ただ、父には全くと言っていいほど似ていませんでした。そのせいか、一家のものから何かと疎まれている気がして、それで、次第に、こう、根暗な性格になったにかも知れません。とりわけ父は私に厳しかったです。その話は、むかしよく、先輩にも話しましたよね。
私は、彼の実の息子ではない気がしてなりませんでした。父の書室に入って、いろいろと書きものを調べてみた事がありました。けど、何も発見出来ませんでした。

ある日、親戚一同で集まったときに、こっそり聞いて廻ったことがありました。その人たちは、大いに笑いました。私が、この家で生れた日の事を、ちゃんと皆が知っていたのでした。

「朝方でした。あの、大道の病院で生れたのでした。お父さんは前日から仕事を休んで、二日間もお母さんに付きっきりでした。ひどく安産でした。すぐに生れました。耳垂れと鼻水がひどくって、「汚い子だなぁ」と言いながらも嬉しそうにあなたを抱いていたお父さんの姿を、今でも覚えていますよ。」


色々の事を、はっきりと教えてくれるので、私もその疑念を放棄せざるを得ませんでした。少なくとも私は母の連れ子ではなかったし、当時の母に男の影があったなんて話も、終ぞや聞くことがありませんでした。それに、私は父のお爺ちゃん、つまり先代の当主に顔立ちがそっくりということらしいのです。だから、間違いなく坪内家の人間なんだとも言われました。

 これには、がっかりしました。自分の平凡な身の上に不満だったのです。小説家になるなら━━そうはなれなくても、影のある、文学な人生を歩む男になるなら━━そうした生まれの悲劇は、ぜひ、持っていたいものだと思っていたからです。




 先日、高校時代の知り合いから手紙をもらった。この下宿の住所は実家の父に聞いたらしい。ぼくが某役所から内定をもたったことを聞きました。そのお祝いがてら、久しぶりに会って、一晩、お話しませんか、という内容の手紙であった。
ぼくは高校時代の一時期、その人と文通をしていた。学校では毎日顔を合わせているのに、家に帰っては毎晩彼女への手紙を書き、その日のうちにポストに投函していた。

その文通は過去のもの。そんな遊びはもう七年も前に終わったはずだ。七年後のいまは、電話やメールだってあるのに、彼女は敢えて手紙で連絡を取ってきた。そういうところを、ぼくは卑怯だと思った。
ぼくはさらに筆を進めた。



 ━━それから私は、つまらない男になってしまいました。あの頃よりもだいぶ肉がつき、醜くなってしまいました。いまではもう、父にそっくりになってしまったのです。私は、まごうことなき彼の息子です。
 二四になって、イタイほどそのことを実感しております。いまはもう小説も読みませんし、語る夢もありません。ただ、公僕として数十年働き続けるこの先があるだけです。逢えばきっと、先輩はがっかりなさると思います。どうも、こわいのです。
影なき根暗男の惨めさを、先輩もご存じの事と思います。どうか、あの、小心にめんじて、おゆるし下さい。



割と素直に書けたと思った。