中学生の頃の話をしようと思う。
中学2年生、歳は14歳。文学を読んでるのが格好いいと思っていた時期があった。
そのころは、もう「漫画なんて読むのはガキだよね」という風潮がクラスの中にはあり、マンガやゲームの知識でなんとか高位のスクールカーストにしがみついていたぼくは、ひしひしと危機感を感じていた時期だった。
「このままだったら、ただのオタクだ……。」
ときは折しも電車男ブームのまっただ中。
テレビの向こう側に映る気持ち悪いオタクの姿に、未来のぼくが被って見えた。
オタク路線ではもうダメだ。モテないどころかいじめられてしまう。かといって、体育会系路線、ヤンキー路線はというと……
身長165cmにして体重48キロ、青白い肌に、喘息持ち。虚弱体質を絵に描いたようなぼくには、その路線は無理だっだ。
「ならばインテリ路線!文学少年だ!」
ということで、ぼくの図書館通いが始まった。
実際には本なんて全然読んでなかったんだけど、ある時太宰治の「人間失格」を読んだ。内容自体は面白く読めたのだけど、それ以上に
『中学生でこんな小説読んじゃうぼくカッコイイ!』
という微笑ましい勘違いをしちゃった14歳の冬。
そんな読書家気取りなぼくが、その頃隣の席にいた女子との会話で文学の話になった。無論文学少年は難しい本を読んでるアピールを繰り出す。
ぼく『本はまぁ結構読む方かなw』
女子『へぇ~どんな本読むの?』
ぼく『まぁ?最近はドストエフスキーの「罪と罰」とか?wwwww(ドヤァ』
人生でもベスト5には入る改心のどや顔である。
しかし実際には、この本も図書室で適当に手にとって流し読みしただけで、まともに1回も読んだことすらない。この頃ぼくはドストエフスキーという作家がどれほど著名な文豪かも、「罪と罰」という作品がどれだけ有名な作品であるかも知らなかった。
ただの図書室にある大量の本の一冊という認識である。
『ドストエフスキー』
その重厚な名前がたまたま”カッコイイ横文字”として記憶に残っていたため、名を挙げただけである。
こんなマイナーな海外の作品、当然この女子が知っているわけがない。そう、ぼくは高を括ってた。
『(え~何それ!?坪内くん難しそうな外国の小説読んでるの~!?すごーい!!)』
を期待しているだけである。読書家なぼくは格好いいのだ。さぁ驚け隣の女子。そして、ぼくのことを尊敬し、あわよくば好きになってほしい。
隣の女子『本当!?坪内くんドストエフスキー読むの!?私もドスト好きなんだ!!』
へ~君もかぁ~……ってちょっと待って。
隣の女子『「罪と罰」いいよね~。私も好きだよ』
だから待ってって。
隣の女子『ドストの作品他に何読む?私は「○△□×~~」とか好きなんだ』
ごめん聞いたことない。君が何を言ってるのか分からない。まず『ドスト』ってなんだその略し方……
言葉を濁して逃げ去りたかったぼく。しかし彼女は「やっとドスト好き仲間を見つけた」といった感じで、嬉々としてぼくを離してくれなかった。
その後、授業開始のチャイムが鳴り、先生が教室に入ってくるまでの5分間、ぼくはただひたすら相槌を打つマシーンと化してしまった。
それからと言うもの、文学少年キャラを気取るためには、それなりの読書量の裏打ちがなければならない、ということに気づき、ぼくの図書館通いも本格化した。
本当に文学が面白いと感じたのは高校からだったけど、『文学少年』キャラ、というより『文学オタク』キャラはそれより先に定着するようになる。そうしてモテるもなにも、ぼくはクラスの皆から白眼視されるようになりました。
そりゃ休み時間、自分の席で本ばかり読んでて、いつも深刻そうな顔しちゃって、たまにしゃべると思えば難しそうな引用を垂れるわ、共有できる話題の引き出しも少ないやつはそうなりますよ。
(舞台は公立中学校です。ご想像下さい。)
おかげで社会性を育むべき思春期に周りと壁を作る結果になっちゃて、人一倍孤独を味わいました。
まぁ、でもその御蔭でキルケゴールの言うところの……ってな感じ。本当にイヤなやつでした。でも、思い返せば、いじめられなかっただけまだ幸運だったと思います。
ちなみに最近読んだのはそのドストが書いた「罪と罰」と「悪霊」の二作。中学生のときは理解できないところが多々あり、消化不良で読み終えた作品。だけど、年を取る毎に読む返すと、スっとわかってくるところが増えてきて、読むたびごとに発見がある。
『良心の声にしたがって、血を踏み越える許可を自分に与えるでしょう。』
という中2大好きな超人主義を克服出来たのも、つい最近のことだったりします。
中学高校と、教師はやたら本を読めと勧めてきた。読書は教養が身につくかららしい。個人的には文学と言えども娯楽の域を出ないんじゃないかとも思う。アニメや漫画と同じ。その教養とやらが役立つかと言えば、けっしてそうとも言えない。
オトナとなったいまでさえ、『文学』の話より、『アニメ・漫画』の話のほうがウケがいい。
ぼくのターニングポイントとなった、あの電車男ブーム以来、オタク文化が市民権を得たのだ。
時代は『Otaku is cool.』であり、文学なんて気取った老害向けの瀕死なコンテンツでしかない。
ぼく自身、「中2の冬、あのままオタクに留まっていた方が絶対モテたのに…」と後悔する夜がないわけではない。
だけれども、それでもぼくは、やっぱり文学が好きで、きっと今年もひとり文学を読んでいる。格好つけるため、とか、そんなんじゃなくて、ぼくにはもう、これが好きなのだ。
きっと今なら、あの読書家だった隣の女の子とも話せることがあるかもしれない。多分。