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文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

圧倒的成長環境

 

 業界研究を間違えた。企業研究を間違えた。失敗した。失敗した。

21時の帰り道、ぼくはそんなことを思いながら、席の空きはじめた中央線に揺られていた。


 22日現在でぼくはもう40時間超も時間外労働をしている。明日もモリモリ伸びる予定だ。職場の先輩からは「今月は60で収まるといいね」と言われた。月末に向かって残業時間はラストスパートをかけている。


 50,60時間残業と聞いても、「それほど多くないよね。」と思ってしまう人もいる。事実、ぼくも先月まではそう思っていた。過労死ラインが80時間超、“社畜”と呼ばれる人たちのなかには常時100時間超の人だっている。それゆえに、50時間残業と聞いてもあまりピンと来ないことはよくわかる。

しかし、聞くのと体験するのではえらい違いだ。100時間超はツライだろうが、50時間だってツライものはツライ。具体的に言えば、毎日3時間残業、20時退社が恒常化するというツラさだ。

6時に起き、6時半に家を出て
8時に職場に着き、20時まで労働
21時に帰宅し、食事と風呂を済ませたら時計の針は22時を回っており
翌日も6時起きだから布団に向かい…

すべてが無である。ぼくは何のために生きているんだと。無。

待ってくれる家族がいる、仕事に自己実現を感じているなら、まだ話は違うだろうが、ぼくは独身寮に独り暮らしだし、仕事も日々の糧としか考えていない。そんなぼくにとって、この生活は耐えられない。無だ。

 

 隙間時間の有効活用。飲み歩き。ニュースアプリでのまとめサイト。マツコ・有吉の声を聞きながらする歯磨き。夜の中央線の車窓に映る、ハム速見ているおっさんは、漏れだ……


そもそも、なんでぼくはこの業界を志望したのか。住民のために働きたい。安定が欲しい。地元の友達に誇れるところで働きたい。意義のある仕事がしたい…。一概には言えないさまざまな理由がある。ぼく自身、面接ではいろんな理由を話した。しかし、その一番の理由が「プライベートの充実」にあった。“クジゴジ”と世間では言われている、その労働環境に魅力を感じてたからだ。


だが、実際はどうか。上記の通りである。大好きだった読書ですら最近はできていない。本を開く気力がわかない。こんなこと、浪人時代ですらなかったというのに。


 同期の話を話を聞く限りでは、この業界の忙しさというのは、都道府県庁によっても違えば、そのなかの部署によっても違うらしい。彼ら新卒同期の大半が、残業未経験どころか未だ業務らしい業務をしたことがない、という話を彼らの口から聞いて大変驚いた。それゆえ、彼らは頻繁に『新人同期飲み』を開いてはモラトリアムのボーナスステージを謳歌している。その間もぼくはロードーをしている。


 この前、22時のオフィスで起案作業を行っていたとき、急に目の前が暗くなりバチバチっと火花のようなものが見えた。あっ、レベルアップしたんだな。そう思った。すぐに戻った視界のなかには、ザンギョーを続ける多くの職員が映っていた。

財務と総務が照らす本庁舎。その不夜城のなかで鍛えられ、ぼくはいま圧倒的に成長している。文学がなんだ。学歴がなんだ。ぼっちがなんだ。健康がなんだ。ザンギョーは、いままでジュクジュクと背負っていたコンプレックスを遠く高くぶっ飛ばしてくれる。

心身ともに疲弊するせいか、最近はあまり自己嫌悪にも襲われなくなった。業界研究を間違えた。企業研究を間違えた。でも、だからこそ、この厳しい環境でぼくは、いままでのぼくを捨て圧倒的に成長できるのかもしれない。


下らない内容で盛り上がる新人同期LINEをよそに、圧倒的成長を心に誓った。