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文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

自己紹介

自己紹介
 自己紹介というのは元来、名前・生年月日・出身地・血液型・星座・身分・趣味……などと、どうでも良い個人情報を教えるのが常だとされている。 しかし、そのようなのは大して意味を持たないものだと、ぼくは思う。
 
無機質な身体的、社会的記号を教えるのは、なんだか病院の問診票への書き込みと変わらないよな気がして、あまり好きでもない。 ゆえに、ぼくは自己紹介というと、自分の生い立ちを語るのが一番いいと思っている。そのほうが、自分を知らない人間に自分という人となりが、わかってもらえるような気がするからだ。しかし、その生い立ちを話すというのが案外難しいものだ。 
 

玉よ鏡よと誰からも愛された幼児期

体が弱く鼻ばかり垂らしていた小学生時代

自我の目覚めとともに、人生に絶望した中学生時代

その延長である暗澹たる高校生時代

語られることのない浪人生時代

そして今、のちのち書く事になる大学生時代……

 すべてを詳細に語ろうものなら、司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズを軽く凌駕する分量にことになることは折り紙付きである。ゆえにここでは、現在のぼくとの直接的な結びつきが一番強いと思われる、高校時代から生い立ち語を始めようと思う。

 数年前、まだ高校生だったあの頃、ぼくは若く健康でそれでいて馬鹿だった。 ぼくが通っていた那覇国際高校は、沖縄県那覇新都心にできた新設の高等学校であり、進学校を自称する、いわゆる‘自称地方進学校‘であった。ぼくの入学する前年度の卒業生である5期生に東大進学者が出たことから、その偏差値教育に対する鼻息は当時並々ならぬものがあった。

始業は朝の七時半からであり、終業はいつも夕方17時を過ぎてから。そのため、朝は6時には起きて仕度をし、自転車を走らせ、下校は直帰であっても18時以降になり、学業以外の時間なんて取れたものではなかった。

自称地方進学校にありがちな厳しい環境のなかで、ぼくは学園生活を送っていた。登校時、自転車を走らし、消防署の前の坂を登り、通勤ラッシュ前の静けさを見せる環状線を横切り、橋を渡り小高い 丘に登り、そこから一直線で住宅街を駆け抜ければ学校に着く.それがぼくの登校ルートだった.

自転車を走らせている時、その小高い丘に着いたあたりで、朝日を浴びて毒々しく輝く、真っ白で無機質な面持ちでたたずむ校舎が目に入ったものだ.そのたびごとに、「ぼくは少年院に通っているのではないか?」と鬱屈した気持ちがしてならなかった.
 

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(これが校舎の外観である)

そのような環境では生徒も、無機質で、合理的で、機械的で、血の通ってない、マルクスの言う人間疎外、偏差値教育の犠牲者そのものであったかといえば……残念ながらそうではなかった。むしろ日々の学園生活を楽しんでいるものが多く、那覇国(那覇国際高校の略)の生徒は、概してリア充気質な生徒が多く、校風は明るかった。

その最大にして唯一の理由は

『制服がかっこよく、可愛かったから』である。

本当にバカみたいな理由である。

しかしそれでも事実だった。

紺色のブレザーとチェックのズボン、冬用のグレイのベスト、白いシャツ。今見てみると年甲斐もなく落ち着いていて、いやむしろ地味すぎて、田舎のとっちゃん坊やのような服装である。きっぱり言って、‘モサイ‘

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 ファッションセンスの有無について、常々周囲から疑いを持たれるぼくからも言える。今思い返せば、思春期の少年少女の憧れの的になりえるようなものでは決してない。しかし、ビシッとネクタイを締めたブレザー姿というのは、制服事情がアレな沖縄県にとっては、やはり目を引くものがあった。那覇国の制服姿で市中を闊歩しようものなら、下々の者たちから羨望の目で見られたものである。

「あのカワイイ制服を着けたい♪」

「学ランよりブレザーの方が断然いいゼェ!」

というヨコシマな志望動機をもつ輩というのは、概して文武両道で人づきあいの上手い、いわゆるスクールカースト上位な奴らであり、受験勉強を勝ち抜いた中には、そのような輩がかなりの数いたため、多くの生徒は文武両道であり、活発で、異性間の交遊も盛んだった。そのため学園生活そのものは、自称進学校特有の厳しい校則にもかかわらず、他校のそれよりもむしろ華やかなものだった。


夢のような青春の中で、ぼくは彼、彼女らとともに部活に恋に勉強に、薔薇色の日々を過ごしていた……訳ではモチロンなかった。そんなリア充野郎がまずもってこんなブログなど書けるわけが、いや、書くわけがない。
 

 みなさんはパレートの法則とやらをご存知だろうか?

いわゆる、8:2の法則というやつで、よくアリの例で説明されるアレである。例えば、働きアリが100匹いたとすれば、そのうち2割、20匹が主力として働き、残りの80匹はただ無文字色造作に動き回っているだけで実はサボっている。その働いている20匹を取り除くと、サボっていた80匹のうちの2割である16匹が主力として働き、残りの64匹は………と続いていくというあの法則である。

去年の夏休み、あまりにも暇だったもので、

「私文学生の夏休み大研究!」

と銘打って、近所の公園で炎天下の中1時間ほどアリを観察していたが、まさにその通りで驚いた。おかげで人生初の職質を受けることになり、軽い熱中症のせいで挙動不審に拍車かかり、危うく日野警察署まで任意同行を求められるという惨事に巻き込まれたが、有意義な20の夏を過ごせたと思う。

閑休話題

そのパレートの法則とは、もともとは経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという説である。そんな説を持ってきて、ぼくが婉曲的に何を言わんとしているかといえば、ぼくの高校生活は残念ながらもその8割サイドであったということだ。

つまるところ

「華がなかった」

その一言に尽きる。

 世間一般で言えば、‘非リア‘と呼ばれるものだったかもしれない。学校では運動部に入るわけでもなく、桃色遊戯に勤しむこともなく、同じようなクラスの非活動的な男たちとくすぶってばかりだった。口を開けば享楽的で刹那的楽しさを貪る奴ら(リア充)に対する文句ばかりで、そして息をするかの如く自虐ネタを繰り返した。

休み時間やクラスルームの時間にはせこせこと前日に見た映画、 小説の感想なんかをノートに書いていたりした。(アマゾンレビューとは比べ物にならないくらいの分量で、文学的価値も高い)

そんな感じでもイジメられることもなく、むしろそのようなキャラとして重宝されたのは(自慢ではないが告白されたりもした)良くも悪くも那覇国の明るい校風のおかげかもしれない.


 我々はまだ若く、友人大城氏の言葉を借りれば、「型にはまった幸せにハマるのを潔しとしない、パンクス」らしかった。いまだにぼくには彼の言うところのパンクスの定義がよく分からない。彼がいつも既製品のチェックのシャツを好んで愛用することが、シド・ヴィシャスが確立したところのパンクファッションとどう関係しているのかはなお不明である。

学業のない、たまの休みにはババア屋(薄汚い外観で近隣住民すらあまり近寄らない、個人商店)で酒を買い込み、小学校からの友人である内間宅で酒盛りしながら、『川内康範阿久悠、素手ゴロの喧嘩ではどちらが強いか?』などと、くだらない議論を戦わせたものだ。酒を飲むという行為は、言って見れば我々ができる小さな世間への反抗の一つだった.


 ぼくたちはこの風紀紊乱な世の中を果敢に生き抜いていた.このような廃れた毎日を、資本主義・商業主義的な固定観念を若者に植え付ける、悪の親玉への抵抗、という意味を込めて、『電通闘争』と仲間内で呼んでいた.

我々は日々、見えない敵と戦っていた。

その闘争の先頭に立つのが琢磨だった.

 我々は男たちだけの妄想と思索によって、さらなる高みを目指し、来るべき電通とのラグナロク(最終決戦)に備え日々精進していたが、その絶望マラソンの最先端を突っ走っていたのがその新垣昇であった.その走りっぷりは、往年のアベベを連想させるかの如く見事なものであり、ほかの連中に追いつけ、追い越せという方が酷であり、むしろ追いつけない方が、青春を謳歌することができたのかもしれない.

彼の作るスリップストリームに乗って、かろうじて走ることができたのは、わずか三名のダメ人間たちだった.

心優しきウドの大木 大城和喜

死の影漂うメンヘラインテリ 内間良平

そしてぼくであった。

 いつだったか、ある夏の日、内間宅で‘恐怖映画‘を見ていたときのことである。それは外国のベタな青春映画だった。
 
主人公はイケメンで人気者なバスケ少年で、ヒロインは内気な天才数学ガール。ある日ひょんなことから接点を持ったふたりは、一緒にミージカルに出るという目標のため、時に反発し、時に助け合いながら歌とダンスの練習に励み、校内予選突破を目指す。青春映画の定石をしっかり踏んだ、大衆迎合的だが良いストーリーだった。液晶画面の向こう側に広がる、彼らのメラメラと燃える青春の日々を見ていると、哀しさや虚しさや取り返しのつかないことをしてしまった後悔からか、冷や汗と鳥肌が尋常じゃなかったのを覚えている。無事校内予選を勝ち抜き、本番前日の最後の練習の夜、彼だったか彼女だったかがこうつぶやく。

「この時間がずっと続けばいいのに」

我々はアザラシのように床にごろんと転がり、酒を飲みながらテレビを見ていたのであるが、琢磨は膝を置いていたクッションをテレビに投げつけこう静かに叫んだ。

「こんな日々が続いてたまるか」

勝手に始めた闘争とは言え、我々も疲れていたのだ。


 そんなものだから、ぼくの高校生活の思い出を聞いた人はよく「辛い青春を送っていたんだなぁ」と、慰みの言葉をかけてくれることが多い。確かに文字に起こし客観的に見てみれば、枯れている・灰色・非リアの三拍子揃った、ロクでもない高校時代とも思えなくもない。

しかし実際にそれを体験した私としては、確かに灰色な青春であったが、これ以上ないほどの素晴らしい仲間と送った、最高に有意義な青春であり、「素晴らしい高校時代でしたよ」と胸を張って言える。

男ばかりの八重岳花見会

桜の木の元で飲み食いをするのでなく、移動前に飲み喰いは済ませて、現地ではただただ桜を愛でよう、という旨趣のもと行った花見会。しかし現地に着いた頃にはアルコールが既に尋常じゃない量回っていたため、散りゆく桜を愛でるどころか、吐瀉物を散らすハメになった。

男ばかりのビーチ合宿

沖縄有数のリゾートビーチであるムーンビーチに、近いペンションを貸切おこなった夏合宿。貧相なカラダをした男たちがビーチで戯れるという構図の悲惨さを予知することができたら、あんな惨事にはならなかっただろうに……。

男ばかりの学園祭巡り

男ばかりのスキー旅行

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など、詳しく書けば、指輪物語を軽く凌駕するぐらいの分量になる。このように楽しい思い出もたくさんあった。ぼくの高校時代は人並み、いや、それ以上に充実していたのだ。
(※ぼくはホモではありません、一応、それだけは念を押して)

しかし、高校時代を思い返せば、 憂鬱になる。 酒を飲まずには居られなくなる。 枕を濡らした夜もある。 それは何故か? つまりは、ぼくは未だにぼく自身を認めることができていない、ということだ。そういうわけで、ぼくは自己紹介が苦手だ。だって、認めたくないことを「これは自分だ」として話さなければならないのだから。
 
まぁ、一言でいうとぼくは、ぼくは……内向的なオタクです。

長くなりましたが、以上がぼくからの自己紹介となります。