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文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

中央大学とは、つまり人生とは登山なんだよ

 小さな物語がひっそりと終焉を迎えた。その生だるい余韻に浸りながら、ふたりは涅色の大河を流れる白線をただ漠然と眺めていた。

『なんで悲しいのかな』

ハンカチで目頭抑えながら君が桜色の顔をこちらを向け恥ずかしそうに笑う。薄暗い部屋にはカントリーロードがただ黙々と響いていた。

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 多摩動物公園線は高幡不動多摩動物公園を結ぶ、全長わずか2,0kmの短い路線だ。1960年に開設された東京都立多摩動物公園へのアクセス路線である.

かつては八王子市にある中央大学・明星大学への唯一の通学路線として、通学に使う学生らでも賑わっていたが、並行する多摩都市モノレール線が開業して以来、利用客が減少した。現在の利用客はもっぱら動物園へ向かう家族か、近隣住民、通学費を節約することを旨とした貧乏学生である.

 2011年4月3日の日曜日の昼下がり、側面に動物のイラストがラッピングされたユーモラスなその電車の中には、期待と不安で胸を膨らませる通学中の新入生と思われる学生たちと、多摩動物公園へ向かう家族が混在していた.

電車内に響く子供達のあどけない笑い声、窓の外に広がる桜並木、誰かが空けた窓から入ってくる太陽の匂い.

電車内は春の陽気にふさわしい牧歌的雰囲気に包まれていた.ある一人の男を除けば・・・・

 気だるそうに肩肘をつき目をこすっている、ひどく縁起の悪そうな顔をしているのがその男。彼の名前はぽきた.この春長い浪人期間を終え東京に上京して来た新大学一回生だ.昨夜の夜更かしが祟ってか電車の中で居眠りをしてしまい、今は3往復目。どうやら酷い夢を見ていたらしい.いつにもなく表情がさえていない.窓の外には、多摩丘陵とその間を割って走るモノレールが見える。

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電車の速度は遅く、路線も蛇行している.先まで並走していたモノレールは小さな点になっていた.風景からは次第に人工物が消え、左側の窓からは一面に広がる緑の壁が、右側からは棚田を思わせるほどの急勾配の地表に懸命に建ち並ぶ住宅が見える.

「多摩は帝都ではなく、多摩県です!」

という、いつか見ていた某掲示板の言葉が不意に頭に浮かび、眠そうな顔でぽきたは自嘲するような薄笑いを浮かべた。

 二年という長い浪人期間、男は夢を見ていた.都会の大学でのキャンパスライフというやつに.コンクリートジャングルの東京23区内に住み、満員の山手線で登校し、新譜が流れる都心の遊び場に寄って帰るという、アーバンスタイルな生活に・・・・

だが現実はどうだ?無人野菜販売所が軒を連ねる、農地と宅地が混在したど田舎の万願寺に住み、`登山‘と称される過酷な多摩丘陵登りを含む過酷な登下校をして、これまた‘僻地精神病院`と称される、まさにジャングルにそびえ立つ大学に通う・・・

考えるだけで頭が重くなってきた.

 大学での‘これから‘を思い、メランコリックな溜め息をついたところで、電車が目的地多摩動物公園に到着した.駅を出ると、すぐ目の前には多摩動物公園が見えた.門前で写真を取る家族ずれ、美味しそうにアイスを頬張るカップル、それらの光景をにこやかな顔で見守る警備員.

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 初登校な故に、ぽきたはここからの詳しい道のりがわからなかった.そのため、学生と思われる数人のぼっちの集合体を先導者にしてそんな学研言葉大図鑑の‘幸せ`のページの図解のような紋切り型の光景をしり目に、モノレール沿いに都道156号線を上る.集団は二つ目の信号を右に曲がり、薄暗い山道へと入っていく.

ぽきたは、その山道の入り口で足をとめた.視界には古代武蔵野を思わせるような、鬱蒼とした原生林が広がる.渇いた旅人が2,3斃死しているのが発見されても不思議ではない.深く茂った常緑樹林の壁に囲まれた深い溝を走っているような林道が続いている.

「さてタヌキにでもばかされたのか?」

ぽきたは少し不安を感じながらも、自分を納得させるように小さくうなづき再び足を進めた.

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 1885年(明治18年)7月に増島六一郎、菊池武夫穂積陳重ら18人の法律家により英吉利法律学校として設立されたのが中央大学の始まりだ.伝統的に法曹界や官界、財界、政界に多くの卒業生を送り出してきた。設立当初から存在する法学部は法曹界に多数の逸材を輩出しており、一時は‘中東戦争`と称されるほど熾烈な司法試験合格者数争いを東大と繰り広げ、「法科の中央」と称されることもあった.‘法曹志望は中大へ‘と言われる、ベル・エポック(良き時代)の話である.

だが今はどうであるか?

東大はもとより早慶にも偏差値はもとより、受験生からの人気で後塵を排している.早慶のイメージ戦略が成功、法曹のうまみがなくなったから・・・・など、考えうる理由を挙げればきりがない.

ただその原因の最もたるところには、中央大学の立地があるのではないか、と険しい山道を登りながらぽきたは考えた.

 1926年(大正15年)8月 、駿河台校舎完成から中央大学の拠点は、東京都心の神田駿河台地区にあった.御茶ノ水駅のすぐ近くであり、今で言う明治大学の辺り.非常にアクセスの良い都心である.

今でもそこだったら理想の東京キャンパスライフが遅れたに違いない、と目に入る森の深みに辟易しながら早くも酸欠気味の頭でぽきたは妄想した.

 しかし1978年、中央大学は自ら進んで都落ちを行う.時は高度経済成長期、入学者が増加して校舎が手狭となり、当時都心部にあった大学の郊外への移転が推進されていたこともあり、1978年(昭和53年)4月に現在の多摩キャンパスに移転した.この背景には、都心部での学生運動が激化や東京都の地価抑制策、当時の大学総長の私的な思惑など様々な要因がからんだ結果であった.
まさしく深淵.そこから中央大学は転落の一途をたどり今に至る.

我々学生はその負の遺産の被害者なのだ.そう考えながら歩いては、ぽきたは過呼吸の間に深い溜め息をついた。
「形而下のことを考えるのはやめよう.これ以上考えるとこれ以上アホになってしまう.」
そう自分に言い聞かせるように脳内で反芻した後、別のことを考え始めた.

「もしぼくが美少女に生まれ変わったら・・・・・」

何も高山病にやられたわけではない.右脳トレーニングで鍛え上げた灰色の頭脳を駆使して、白昼夢(妄想)を見始めただけである.ぽきたは生まれ持っての虚弱体質と親譲りの妄想癖に加えて、二年間の長い浪人期間で肥大化した自意識と厭世感のため、このような非常に質の悪い人間となってしまった.

人間の屑である.

光源氏に肉薄したと言われている幼少期の輝きは今は跡形もない.

 美少女の外見・趣味趣向・家族構成などのディディールをものの数秒で磨き上げる。彼女の万人に祝福された幼少期、意図せずともクラスのアイドルとして君臨し続けた小学生時代…… そしていよいよ彼女が中学校に入学したあたりで、たかのすけ本体はトンネルの入り口に着いた.

ここを抜けたら中央大学だ.

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 折からの節電の影響を受けてからだろうか、トンネル内を照らす電球は3つ間隔でしかついておらず、中には点滅を繰り返す臨終間際のもある.トンネル内はうす暗く、湿っぽい.側溝は黒く濡れていて壁には薄汚れたポスターが貼ってある。

ぽきたは向う側から差し込む光を見て、川端康成のある小説の冒頭の一説が頭に浮かんだ.間もなくして柄にもなく期待と不安で胸がいっぱいである自分に気づき、慌てて美少女の妄想を再開した.

 

 彼女は高校に入学し、持ち前の美貌で男子たちから絶大な人気を集める。そして二年目の春、彼女は初めて恋を知る。相手は一つ下の部活の後輩だ。両想いながらも不器用なふたり。付かず離れずを繰り返し煮え切らないなか、季節は巡り3年目の3月9日を迎える。そしてふたりは……

 

トンネルの向こう側にはどこまでも広がる晴天と、今までの風景とは調合しえない、コルビュジエ風の無機質な建築物が顔を出した.