長い書き出し(前篇)

『サブタイトルを書きながら、早くも投げ出したいような気分になってくるのは、どうしようもない。高校生活、文芸部の日常について書く?まだ過去を懐かしむ、編纂する歳でもないのに?目の前の学園生活に万進することもなく自室でシコシコと思い出を書き綴る、そういうお前の態度こそが灰色の青春の一番の要因ではないのか。』

うむ、なかなかいい書き出しである。
我ながら花マルをつけたいくらいだ。

「文章を書く際はまず、プロットを立てよう!」

 これは、ほぼ全ての文章指南書に書いてある、言わば文章を書く際の黄金律だ。プロットとは、枠組み・構成・起承転結のこと。それなしに文章を書いていると、主題、ストーリーが散漫になり、概して読みづらいものになってしまう。
あの徒然なるままに言葉を書き綴った兼好法師でさえ、事前にプロットを作ってから書き始めたのだ、というのは、ぼくのかねてからの持論だ。しかし、当のぼくはプロットというものを作るのが苦手で、いや、むしろそういう予定調和な書く姿勢を潔しとせず、いつも思いつきで手を動かし文章を書いている。
台本に隙がない橋田壽賀子ドラマよりも、台本のない即興芝居が売りの『はじめてのおつかい』のほうが泣けるのもそのためである、というのも私の持論だ。


 プロットを作らないぼくには、その代わりに『書き出し』が重要だった。書き出しというのは言わば、これから書いていく文章の指標であり、そのため、これが一番手間取る。書き出しの如何によっては、日々のほのぼのエッセイにも、社会問題に鋭いメスを入れる週刊金曜日調にも、お下劣な言葉が乱れ飛ぶアサヒ芸能調にだって文章は変わり得る。文章は生きているのである。だからこそ、一番気を遣う。
ひどい時にはたかだか数行の書き出しを書くのに一時間もかかったりもするし、結局後回しにし、一旦書き上げたあとに書き出しを書く時もある。しかし、やはりそういう時の文章はあまり綺麗ではない。書き出しがビシッとキマっていればキマっているほど、軽やかに手が動き、何より文章もキマルというものだ。


 ぼくは、先の書き出しを頭の中で反芻しながら、ひとりニヤニヤと小さくうなずいた。うんうん、これならいい文章がかけそうだ。後ろにのけぞり腕組みをして、少し遠目で眺めてみたりもする。事務用のイスがギュィーと音を立てた。
少し離れて見ても素晴らしい文面だ。これから書く文章の構想が練れたところで、ぼくは再びシャーペンを握り書き始めた。


こうなった俺は止められない。調子のいい時は、一人称も俺になる。そうやって俺はしこしこと書き進めていく。


 それからどれぐらい経ってからだろうか、すらりと揺れる長い黒髪が左の視界に入っているのに気づいた。隣の席では会長が、前髪を耳にかけながらじーっとぼくの書いている文章を眺めていた。いつになく真面目な表情に、少しドキっとした。

「いるならいるって言ってくださいよ、驚きましたよほんと。」

ぼくは握っていたシャーペンを机の上に放り出し、再び後ろにのけ沿い屈伸をした。ギュイーっとイスが先よりも強め鳴る。

「ごめん、ごめん。真剣な顔して書物をしていたから、邪魔しちゃわるいかなぁと思ってね。」

会長は右手を耳裏に当て、掛けた前髪を抑えたまま視線一つ動かさずぼくに答えた。

「それでも、書いている途中の文章を覗き見るなんて、マナー違反もいいところですよ。」

会長を少し睨んで文句を言ったが、ハイハイと、当の会長は張り合う気を見せない。ぼくは隣の会長の席に書きかけの大学ノートをすべらせた。彼女は首を正面に据えて、何事も無かったように静かに読み始めた。
“文字の海に沈み込んでいる”
そう形容するのが相応しいぐらい、会長の読む姿勢は真剣だった。


 ぼくたちが所属していた那覇国文芸部は、図書館の司書室を間借りする、開室なき弱小サークルだった。夕暮れ時になると、ガラス窓と天井のステンドグラスから西日が差し込み、部屋中が蜂蜜を流し込んだように艶やかな金色に染まる。この風景はぼくのお気に入りだった。

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4階建ての真新しい校舎の一階、エントランスホールを入って真っ直ぐにある図書館は、校舎が新築なだけあって、図書館独特のかび臭いにおいなどもせず、とても整理されている。
それとは打って変わって司書室は、壁際に年季を感じるダンボールが天高く積まれ、室内には司書さん用の事務机とスチール製の長テーブルが一つと、それ付随した種類違いの古い事務イスが四つに、ロッカーが二つ。あと、会議・連絡用のホワイトボードも一つ。これだけでもういっぱいいっぱいで、あとは修繕をまつ古い本やその他やもめの書類があちこちに重なっていた。

思い起こせばその年の四月、まだぼくがなりたてほやほやの新入生だった頃、新しい校舎の、この美しい図書館の、この雰囲気の中での読書に憧れて、ぼくは文芸部に入ったのだった。しかし活動場所はこのホコリ臭い司書室、そして隣には、いつも読書妨害をしてくる会長がいた。
この環境もひとえに司書の中間さんのなせる技、恩恵だと思われた。司書という仕事はそもそも、図書館施設の清掃に始まり、在館資料の整備や本の購入、受入分類などである。文芸部に通ってもうかれこれ半年は経つが、ぼくは彼女が司書室の整理整頓をしている様子を見たことがなく、職業柄それでいいのか?と常々思ったものだ。会長が放し飼いに近いのも、文芸部の監督者たる中間さんのせいである。


 会長に大学ノートを奪われ、手持ちぶさたなぼくは、図書館カウンターに目を移した。図書館カウンターはガラス張りの司書室はつながっており、そこでは園崎先輩が貸出返却用のパソコンの前に座り、貸出作業を担当していた。となりに座っている中間さんは、利用者の女子生徒と何やら楽しそうに話している。大方オススメの本はありませんか?といった類の質問に答えているものだと思われる。そういった、本が好きで、愛想がよく、誰とでも気兼ねなく話せるところが中間さんの長所であった(職業柄いいのかは別として)

耳を済ませると、ピアノの音と、オーライオーライと野球部が練習する声が遠くで聞こえた。そういえば来週あたり、地区大会があるんだっけか。彼らが汗水たらして体を酷使しているなか、優雅に図書館でのんびりできるこの時間をぼくは結構気に入っていた。
放課後は利用者も少なく、仕事もあまりない。視線を再び司書室に戻すと、古い本と埃が香る狭い室内で、前かがみで事務イスに座る会長が目に入った。耳の裏で前髪を抑えたままで右肘をスチール机につき、細くて白い指で大学ノートをめくっていた。

 真っ黒な前髪は耳から流れ、肩から腰へと流れ落ちる。肌が白い分、髪やまつ毛の黒さ、ほんのりと赤い頬が際立っていた。秋の夕陽がやけに眩しく感じられて、そしてその光を受けて今日もキラキラと輝く彼女の髪が、妙に神々しく感じられた。
確かに、こう黙っていればうちのクラスの奴が言うことがわからんでもないな、とぼくは思った。黙っていれば、ね。
世間一般に見れば、多少はね。ただ日頃彼女と接しているぼくから言わせれば……

うむぅ~

まわりの風景を見るのも飽きたところで、ぼくは会長の横顔をぼんやりと眺めていた。彼女の大きな瞳は、自分の渾身エッセイを凝視していた。ぼくの書いたものが、会長に読まれている。その事実に改めてはっと気づき、じわじわと大正時代のうら若き乙女がごとき恥じらいを覚えた。


 自分が書いた文章を人に見せるというのは、いつになっても恥ずかしい。文章とは、どんなに巧みに飾り立てて偽っても、書き手の人となりが必ず出るもので、何千文字をも分量を別人格になったつもりで書く事など不可能に近い。それを読まれるというのは、大げさに言えば心の中を読み取られるようなものなのだ。裸を見られるのよりも恥ずかしいといっても過言ではない。
いや、やっぱりぼくの場合裸は少々訳ありで、訳と言っても対したものではないし、日本人男性の7割サイドだからそれどころか与党なのであって、そのうち成長とともに解消されるだろうと思えることではあるが……裸を見られる方が恥ずかしい……いや、なんでもない。

「うん、やっぱそうね。」

読み終えるなり、小さく頷き、独り言のようにそうつぶやいたのが聞こえた。

「はい、良く書けました。まずはここまでおつかれさまです」

そう言って会長がぼくの方に大学ノートを戻した。

「で、どうでしたか?」

あくまでも無関心を装って(事実ぼくは無関心だったので装うという表現は不適切な気もするが)ぼくは聞いた。

「うん、まぁまぁ良く書けていたと思うよ。前に注意した、情景描写が少ない点は改善されていたし、主語の転換も上手に出来ていたと思う。これらの点は合格だね。ただね、」

「ただ?」

聞き返しながら、次に会長の言うであろう言葉は大方予想がついていた。

「ただ、まだやっぱり読者のこと、そして作者であるぽきた君自身のことがまだ意識できていないと思うの。ぽきた君の文体を見ると、作者がどこかしら真面目で、プライドが高そうで、それでいて文章は自己卑下・自嘲がすぎることがあって、なんだか全体的にじめーっとした感じなの。衒学的な感じも随所に見られるしね。いや、べつにそれが悪いっていうのじゃないのよ。……前にも話したよね?文章を書くことって観光旅行と一緒だって話。旅行プランがストーリーで、文体がそのガイドってやつ。いくらプランが良くても~~」

またただ。また始まった。

会長は、ぼくの書いた文章の批評をするたびに毎回同じことを言うのだ。(前回は素材と調理法の例えだったような気がするが)

その長い批評の最後は決まってこうである。

「ただ、私はぽきた君の書く文章は好きだけどね。」

 言っていることに整合性が取れていないのは、明らかに会長の方である。自分が好きだと思うなら、なぜ文体を変えたらどう、などの忠告するのだろうか。
また会長の言う、今の自分の文体が背伸びをしている感じがあるというのは心外だった。ぼくは自分を大きく見せようだなんて、そんなスケベ心など持ってはいない。自分で言うのもなんだが、常に正直、純粋無垢の権化のような人柄である。まかり間違っても太宰を演じ、狂をてらい、くだらない言葉遊びに興ずるような文学青年とは違うのだ。


会長の話を聞き流しながら、ぼくは机に向かい直した。