我々文芸部の主な活動内容は図書館だより載せるエッセイを書く事だ。エッセイの種類は多岐にわたり、日々の学校生活に関することだとか、本の紹介だったり、政治を論じても良く、つまりは何を書いても良かった。
(ただし、校内風紀を乱すような猥褻文書、並びに保護者の目に触れられてはまずいものはNG)
そう、何を隠そうぼくが書いているものは、来月の図書館だよりに載せる文芸部のエッセイであり、‘知的マスターベーション`‘三島イズムをもって死ね`などという、アレな言葉で溢れるこの文体が、それに載せるに耐えないものであることは自分でも薄々承知だった。
しかしぼくは、この文体に磨きをかけて、いつの日か会長もぐうの音も出ないほどの素晴らしい作品を書いて彼女を見返したかった。それが前からのぼくの目標になっていた。そのため、厳しい批評を加えられる、全面改訂の指示を受ける、とわかっていても、図書館だよりのエッセイ提出の際は、敢えてこの文体を貫いて書き会長に提出していた。
「悪いんだけど、全面改訂。文体を意識して書き直してね。」
案の定全面改訂の指示を受けた。ぼくは明らかに不機嫌そうに再びシャーペンを握り、再び白紙の大学ノートと対峙した。
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会長の言うとおり、ここは無難な文体で軽いエッセイでも書こう。あいつらが読みやすうように、ここは昭和軽薄体(※1)でさ。
『そーゆーふーに、ミーはこの本をやはりライフにはネセサリーなブックだと、思ったり思わなかったりするのでR。まあそんな硬いことは抜きにして、ユーたちはポケモンのダイヤモンドパール(※2)を買ったか!?いきなりどうしてそんなこと聞くかって?ファミ通のクロスレビューがどうも信用ならんマクリマ・クリスティーだから、ミーは直に聞きたいのだ!ポケモン新作の感想については、図書館だより下記のあんけーとよーしを切り取り、学年、氏名と感想80文字で書いて出して下せぇ。グッドでナイスなガイには図書券プレゼントありだZ!!!』
(※1昭和軽薄体とは書き言葉と話し言葉を一緒にしようという、ぽきた逍遥や二葉亭四迷などの文学界の偉人たちが始めた言文一致運動の終着点であり、文化的有害廃棄物と言えなくもない、文学界が産んだ汚点、ローズマリーの赤ちゃんである。~である を ‘~でR’ 一人称・二人称を「ミー」と「ユー」 (ニャンちゅうか)など、すごいくだけた口調が持ち味の饒舌(激寒)な文体でR。いまは大槻ケンヂのエッセイなどで、度々目にするくらいの希少生物だが、徹底的に、根こそぎこの手の書物は焚書されるべきだと、ぼくは思う。)
(※2当時出たばかりのポケモンの新作。ぼくは実はそれを既に予約して買って持っていたものの、周りは高校生、流石に通信できる同志が見つからず、図書館だよりを使って、同志を見つけることができたらな~、と思っていたらしい(日記より))
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締切は明日の放課後までだったよなぁ。そろそろふざけてられないや。
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問題は書き出しだよなぁ……うむぅ~~。
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依然目の前には未だ、一面銀世界が広がっている。となりでは会長が分厚い本を読んでいた。
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あの押絵はおそらく十五少年漂流記だな。いい歳して何読んでいるんだか。
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書き出しぐらいはリサイクルしてもいいか。
『サブタイトルを書きながら、早くも投げ出したいような気分になってくるのは、どうしようもない。高校生活、文芸部の日常について書く? まだ過去を懐かしむ、編纂する歳でもないのに? 目の前の学園生活に万進することもなく自室でシコシコと思い出を書き綴る、そういうお前の態度こそが、灰色の青春の一番の要因ではないのか。』
うん、やっぱりしっくり来る書き出しだって、はっきしわかんだね。
そうして、ボツになったやつと同じ書き出しから書き始めているとするすると手が進む進む。調子づいて早くも大学ノート一枚書いたところで、隣で十五少年漂流記を読んでいたはずの会長が、また書きかけの大学ノートを横から覗いていた。
「ぽきたくん、全面改訂ですからもちろん、その書き出しもアウトですよ。」
「これもダメなんですか?書き出しぐらいはいいじゃないですか。書き出しと全文の文体の不統一なんて、むしろよくある手法ですし、いいじゃないですか。」
「ダメなものはダメなの。会長命令ですからね、ぽきたくん」
頬をぷくっとふくらませながら会長が言った。こうなった会長は、中間さんの仲裁を除いては止められるものではない。それ以外は何があろうと、絶対彼女は自分の主張を押し通す。一七歳といい歳して、子供のようなところがあった。
だけど、今回はぼくなりに勝算があった。
「じゃあ、どこがいけないって言うんですかぁ?せめてそれぐらいは教えてくださいよ。」
この書き出しに、ちょっとした仕掛けがあったのだ。
こともあろうにぼくを人差し指で指差しながら、口を尖らせ会長が言う。
「さっきも言ったけど、ぽきたくんの文章にはペタンティックなところがあるでしょ。それもいいんだけど、今のうちはもっとこう、正直に書かなきゃ。この書き出し部分は‘構造と力’のオマージュでしょ?まず第一にそんな難しいネタを放り込まれて分かる高校生がいると思う?」
会長が冒頭部分を批判する
⇒実は難しい哲学書へのオマージュなのだ!
⇒あれ、それは知らなかったの?いくら文芸部会長でも、あの浅田彰大先生の文章を批判するのはどうかと思うよ
⇒ぽきたくん、ぼくの負けです(涙)
⇒分かればいいんですよ、分かれば(ニッコリ)
という勝利への算段は、早くも暗礁に乗り上げてしまった。まさか会長が浅田彰の『構造と力』を知っているとは思いもしなかった。
会長は続ける。
「ただの読書週間にむけての、文芸部の活動内容を書くだけのエッセイなんだから、そんなに背伸びしないで、自分の言葉で綴ればいいのよ。」
それでもぼくは頑張った。
「いや、自称進学校の那覇国生相手だからですねぇ、こっちとしてはこの機会に日頃は手が伸びないであろう1類棚(※3)にも、手を伸ばしてもらうことを……」
(※日本十進分類法という図書館における図書分類において、一類は哲学・心理学・倫理・宗教を扱うことから)
「ふ~~ん、薦めるくらいってことは、ぽきたくん、それを読んだんだよね?」
会長が首を傾け、上目遣いでこちらを眺めてきた。
「そ、それりゃ~もちろん。構造主義、バスト、ぽしうと構造主義を分かりやすくまとめてあったものだから、フランスのけんたい、現代哲学を整理するのに役に立ったよ。若いうちから読んでおきたい名著だね。うん」
我ながら非常に早口だったし、多少噛んでしまった。
「へー本当に読んだんだ。私は詩的な言葉遣いや引用が多くてあまりわかりにくかったのを覚えているなぁ。じゃあさ、ぼくはレヴィ=ストロースの言うところの交換を「主」と「奴」の疎外的な闘争からくる際限ない混乱って、捉えていたんだけど、ぽきた大先生はどう思ったのかな?」
会長の口角は上がり、目が細くなっていた。普段は目がパッチリ大きい分、表情の変化はすぐにわかる。人に意地悪をする際のこの顔は、いつも厭らしく見える。
「確かに、そうですね。「主」と「奴」の疎外的な闘争からくる…………」
「混乱」
ニヤニヤしながら会長が言う。
助け舟のつもりか。
「そう、際限ない混乱。いや、俺もだいたいそう思っていましたよ。」
ただ船なら乗船してやらないわけでもない。
「じゃあ、今度は現象学をバジュラールまで一括りにして批判していたけど……」
「おそらく、それも会長と同じだと思います。」
「えっ?何が?」
「会長と同じ意見だと思います。」
「まだ何も言っていないんだけど?」
「…………」
「それじゃあ、モーガン・フリーマンの唯一神論については?」
「それも会長と同じだと……。」
うつむき加減で話すぼくの面前で、会長が爆発したように笑い出した。
「アーッハハッハ、モーガン・フリーマン唯一神論なんて、ハハ、そんなの構造と力に載ってないよ。」
屈託のない会長の笑い声が司書室に響いた。
「えっ?」
「ちょっとブラフをかけただけ。アハハハ、それにしても君は可笑しいなぁ。モーガン・フリーマンってアメリカのあの黒人俳優よ。ウフフ、それでモーガン・フリーマン唯一神論って、今週のサウスパークのただのネタよ、アハハハハ」
会長は笑いを抑えられないようで、人差し指を口にくけながらケタケタ笑った。
「いくら知ったかぶりをするっていっても、そこまで便乗するとは、ねえフフフ。」
「…………」
ぐうの音も出ない。
「アハハハ、ぽきたの 正体見たり 知ったかぶり ってね。」
「え~と、あのさぁ……」
「いや、からかっちゃってゴメンゴメン。」
そう言いながらも会長は、顔をクシャクシャにしてまだ笑っていた。あまりにも彼女の笑い声が大きかったためか、カウンターの中間さんも園崎先輩も、ガラス窓越しにこちらを覗いていた。会長の座るイスが、前後に揺れる彼女にに呼応するかのように、ギーギーと鳴っていた。
「分かりましたよ。完全改訂で書き直しますよ」
ぼくは未だ鈴のように笑い続ける会長を前に、前の書きかけのページを大学ノートから乱暴にちぎり捨て、ぼくは再びシャーペンを手に取った。
「そうそう、それが一番。どうせまた冒頭だけペラペラ読んで知ったかぶりをしていたんでしょ。」
「昔読んだやつだから内容を忘れていただけですよ。」
ぼくが吐き捨てるようにうそぶいた。
「アハハ、まだ言いますか。まあまぁ、そういうことにしときましょう。でもぽきたくん、私は君に素直な気持ちで文章を書いてほしいな。太宰やサリンジャーに憧れるのもわかるけど、君は生き急ぐことないんだから。無理な背伸びなんてのはしないほうが君らしいよ。」
会長は予想最大Aカップのぺったんこの胸を張って偉そうに言った。会長も会長でこういうときに言う言葉はだいたい、何かしらの本の引用であることを、ぼくは前から知っていた。
「でもモーガン・フリーマンは笑っちゃったなぁ~アハハハハァ」
会長が思い出し笑いをしながらぼくの背中を叩いていると、中間さんが司書室の様子を伺いに中に入って来た。
「え?何?何か面白いことがあったの?」
「いいえ、別に何も。そろそろ19時なので閉館作業に入りますね、ね、会長。」
世間好きで世間話が好きな中間さんに知られたらたまったものではない。ぼくは笑う会長を引いて、司書室に中間さん一人をあとに、さっさと閉館作業に向かった。
図書カウンターを通る際、園崎先輩が微笑んでぼくに軽く会釈をした。肩まで伸びたふあふあした髪の毛が、気味良く揺れていた。彼女には知られたくないなぁ、と思いながら会釈を返し、未だ「モーガン・フリーマンって、フフフ」とにやけ続ける会長とともに利用者帰宅指導を開始した。
閉館作業を終え、まだにやにや笑い続ける会長たちと別れ、(会長は中間さん、なにより園崎先輩に帰り道教えたのだろうか?)自転車置き場に着いた頃には日はとっくに沈んでいた。野球部の練習する姿もなく、ただライトが行き来する中、鈴虫の鳴き声だけが響いていた。
「さて、どんな書き出しからはじめようか。」
ギーコーギーコと錆び付いた自転車をこぎながら、夜の帳に真っ白な大学ノートを思い浮かべ、ぼくは書き出しの言葉を探していた。