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文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

SNSの使い方

 SNSってのは知らない人と容易に繋がれるものだ。それは喜ばしいことであり、とても危険なことでもある。だから、人はSNSによって“実際に”繋がろうとはしない。インターネット回線によって、情報によって繋がろうとするだけだ。リア友垢とただのツイ友垢の間には、マリアナ海溝よりもうんと深い溝がある。

 どうしてこんなにも簡単に人と人とが繋がれてしまうのに、それがSNSの最大の長所の一つでもあろうのに、人は人と繋がろうとしないのだろうか。

 ぼくはSNSっていうのを「出会い系」として捉えている側面が非常に強い。もちろん、既存のリア友と繋がるための道具でもあるが、それよりも未だ会ったことない、液晶の向こう側への発信というのに重点を置いている。
仲良くなりたいと思う人がいたら、積極的に働きかけていく。「興味はあるけど仲良くなれるかどうかは不安だな」という人ももちろんいて、
そういう時は二の足を踏んでしまうけど、できるだけ、時間をかけてでも、その人たちに近づいていきたいなとは思っている。

こう考えるようになったのも、ぼくのサブカル趣味(アーバンギャルド大槻ケンヂロシア文学)を共有できる相手が周囲にはおらず、それを広くネットの中に求めていた思春期が根底にあるのかもしれない。

 ここ数年は、仲良くなれそうなら、できるだけ「会う」ようにしている。

会うことが一番大事だ。
一度も「会う」をしなければ、人と人とは平気で疎遠になってしまう。ところが一度でも「会う」をしていれば、「再会」は容易くなる。 そのように思うから、ぼくもこうやってブログを構えている以上、もしも興味がある人がいたら、どしどしコメントをください、と思うわけであります。

 しかし、いきなり「会いましょう」なんてことは言えません。会ったところで会話が盛り上がる保証もなく、お互い「なんか違うな~」と内心思いながらの気まずいオフ会なんてぼくは嫌だし、やっぱり、事前にある程度の交流歴は必要なんだろうなぁ、と思ってます。もちろんSNSなんかを使わないで、自分の生活範囲の中で人と付き合っていく方が僕は健康だと思うんだけど。


先日、「大槻ケンヂさんがテレビに出ている!」というニュースをいろんな人が僕にメールで教えてくれた。LINEではないというところが、付き合いの長さと適度な距離感がある。
そのなかには、久しぶりの人や、ほとんど初めての人までも。こんなところでも大槻さんは、人と人とを繋げているのだなと思うと、なかなか感慨深いものがある。

 直接間接を問わず、彼を通じて知り合った人たちの中には、本当にかけがえのない友人がたくさんいる。それはやっぱり、彼に共感する人たちは、何かしら「お互いに通じ合えるもの」を潜ませているからなんだろうと思う。大方のひとが暗い青春を抱えている、とかかな。


 ただ、「同じものを見ていても、見え方、見方がまったく違う」ということはあるので、必ずしも仲良くなれる、というわけではない。そこがまた、人間の単純でないところで、面白かったりもする。