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文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

んあー

エッセイ

 再履語学の講義をサボり、ゼミに顔すら出さなくなった3回生の夏から卒業した気でいたから、卒業というものには大した思い入れもなかった。だからその日は何か適当な用事を入れて、卒業式には出なかった。1年前、そういえばぼくは大学生だった。

 その冬はとにかく忙しかった。何か用事があるわけではない。仲の良い友だちはほぼ地元に帰っており、東京に残っているのはぼくぐらいだった。というのも、そもそも友だちが少ないので。だれかと遊ぶことはないからお金にも困らない。だからバイトも辞めた。就職先も決まっている。時間はたくさんあったけど、「何かしなければ」という焦燥感が強かった。この日が終わってほしくない。3月はまだ来ていない気で1日が過ぎた。1日中本を触って過ごす。4年間で何か賢くなったかといえば、余計なことをおぼえただけで、余計に生きづらさを抱えただけのような気がするのはきっと気の迷いだろう。成長なんてまやかしで、どんどん汚れていくだけなんじゃないか。汚れることが成長だなんて言ってる人がいた。彼女冷めた目はどうも好きになれなかった。

 そんな彼女にも、我を出して、強く青臭く持論を主張することがあった。「私は私を助けたい。だから良き母になりたいし、子供が欲しいの。」複雑な家庭環境で育った彼女は、お酒を飲めば辛かった昔話とともに、自分の理想とする家庭像を語った。その話を聞く度に、その将来図のなかにぼくも描かれているのかどうかとか、そういうことが仕方ないほどに気になって聞こうか聞くまいかヤキモキとした時もあった。

 その彼女とは大学2年回生の秋に別れた。それ以来、連絡は取っておらず消息はSNSを通じて知るぐらいである。

 今のぼくを切り残したいと、いろいろ試行錯誤している。でも、ぼくはもはやロードー者。自分の言語は持ちあわせてないし、仕事を除いては特段語るべきこともない。実際はそんな詩人地味たこと大切じゃないのかもしれない。わからないけれど。

 過去の出来事を思い出したときに伴う、あのなんとも言えない感傷はどんどん風化していっている。彼女のことだってそうだ。今ではあの冷めた目と、SNSに上げるエラが異様に削られた加工後の写真でしか彼女の姿を思い出せない。それが悲しくて仕方ないのだ。だから、せめて覚えているだけでも昔を残したいと思っている。社会に出る前の、あのひとりの時間、引きこもっていた6年間の日々にきちんと整理をつけたい。本当に愛しい日々も、抜け落ちてしまった日々も、消え去ってしまいたい日々にも、名前を付けてしまいこむ。本当に仕事だけに消耗される日々に、今が、そして過去が侵食されてしまうのが怖いのだ。1年後にも生きてしまっているであろうぼくに、きちんと今のぼくを受け継がせたい。嘘くさいノスタルジーでもいい。どうしようもなく軟弱であることはわかっている。もう少し言葉を。