文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

レビュー

 日記というかエッセイというか、そういう外に向けて書いたものは基本投げっぱなし。読み手に意見を求めたり、それに基づいて構成を工夫したり、言葉を改めたりすることは今までなかった。そもそもぼくは、自分の文章をブログにアップすることで満足していた。特段誰かに読んでもらうことは意図してない。だって怖いんだもん。

 「~と、ぼくは思った。」
そのことを誰でもいい誰かに読んでもらうため、ある出来事をテーマに、それに伴う自分の感情を言語化する。文章上では少し擦れててカッコいい『理想のぼく』を演じられるから、書く作業はけっこう楽しかったし、書きっぱなしのこのブログスタイルがちょうど良かった。マスターベーションと言われれば全くもってその通りなんだけど。
そういうわけで、このブログにはコメント機能をつけずにいた。レスポンスで批判されでもしたら気分悪いし。
 
 しかし最近、創作が好きな女性と交流するようになってからは、批評会ということで会う度毎に、お互いに書いた過去の作品やら書いてる途中な今の作品やらを見せ批評し合っている。彼女はマンガでぼくは小説。
彼女の描くマンガはとにかく上手い。「1話完結30ページ描くのに、だいたい3ヶ月はかかっちゃうんだよね。下手だからさ。」と謙遜するが、絵の上手さはもちろん、コマ割から話の構成まで、しっかりと読めるものとして出来上がってるのだ。毎回、「スゴいな~スゴいな~」と言いながらぼくは読んでる。
 特に上手いと思うところがその構成力だ。彼女のマンガはひとつとして彼女自身を主人公にしていない。そのとき思ったこと、感じたことをテーマにし、そのテーマに沿った主人公を毎回造り上げる。売れない漫画家と付き合ってて外聞を気にしていたときは、スペックで恋愛する女子高生の話。医大生と付き合ってて自分が何者かであるように感じていたときは、整形美人に恋した男子大学生の葛藤、というような感じで。その時その時に感じる自分の悩みを舞台にに、人間味ある登場人物たちを躍動させるその作り方は流石といったところ。
 
 それに比べてぼくが毎回持ち寄る話はというと、創作と言うより、よく言って私小説、悪く言うと単なる日記のような作品ばかり。主人公は全部ぼくだし、ぼくによるぼく語りでしかない。それらは、よいこらと批評会に持っていき、対面の相手に読んでもらうのに耐えられる作品ではない。
そういうわけで、ぼくは毎回手厳しいレビューを拝聴することになる。
 先日こっぴどくやられたのが、このブログにも上げて“いた”『ノスタルジー残業』だ。彼女は言う。まず「カッコつけすぎ」だと。自虐としては中途半端だし、芥川龍之介的な透き通る理性で書き出したにしては技術が足りてない。うん、確かにその通り。また、語感のみで選んだような言葉が散見されて小説というよりも詩だ。その言葉の背景となるべき説明や具体描写が弱く、読み手に十分に訴えかける内容になってない、と。うん、それもその通り。加えて……。という具合に批評は続いた。温室育ちなワナビーのぼくはもう涙目。
「技術が未熟なんだからカッコつけてもしょうがないよ。生を見せてよ。」と彼女は言った。前に見せた童貞の鬱憤が詰まったようなエッセイを彼女はいたく気に入っていた。
「そんなのもう書けないな~、大人なので。」とぼくは答えたがそれはウソ。何せこのブログにはそんな記事ごまんとある。が、見せられる分けない。だって読んじゃったら嫌われそうで怖いんだもん。
 
 そういうわけで、いくつかの記事をこのブログから消しました。