文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

Twitter辞められなかった話

 

 

 

 Twitterというメディアを知ったのは確か2009年、沖縄で浪人生活を送ってる時だった。

“銀座なう”
タコパなう”
という使用例を紹介する情報番組をぼくは冷ややか目で見ていた。
「これの何が楽しいんだ」
Twitterという今を映すアイテムに焦点を当て、若者のリアルを描いた瑛太だか妻夫木聡だかが出ていたドラマを見ていたときもそんな感じ。
 
―しゃらくせえな。
 
当時ぼくはパソコンは疎か携帯すら持ってなかった。
 

 

 

 次にTwitterに再び出会ったのが2011年の大晦日。無事というかしぶしぶと言うか大学1年生となっていたぼくは、その頃東京で兄と一緒に住んでいた。
普段バイトやサークルや研究室で忙しく、同じ屋根の下といえでもあまり顔を合わせることがなかった兄。そんな兄と、「まぁ今晩くらいは膝付きあわせて酌み交わし、今年の総決算だとか、これからのこととか、いつもは気恥ずかしくて話せないようなことでも話そうかな~」と思っていた大晦日の夕暮れ。兄の帰りを待ってると、誰もいないはずの兄の部屋から小さく胸の大きい女がちょこんと顔を出した。だれだこいつ……。聞けば、年始の就活イベントに出るために名古屋から上京してきた学生らしく、兄とはTwitterきっかけで知り合ったらしい。ちなみにその前日が兄と初顔合わせな日だったとか。兄が帰ってくると、そのまま3人で宅飲みの流れになった。結局、兄弟水入らずな話も出来ないまま、同じ文化系だという共通項から映画や文学の話なんかで盛り上がり、適当な頃合いを見計らってぼくは兄の部屋を出た。
 
 Twitterで人と出会う、「そんな文化もあるのか?!」と驚くと同時に、「Twitterきっかけ」と恥ずかしげもなく言う兄の姿が眩しかった。そうか、Twitterとは出合い系とは違うきっと健康的なSNSなんだな。
翌朝、兄に起こされ彼女が作った朝食を食べ、3人で書初めなんかをやったりした。「このふたりは昨夜エッチしてたのかな。」「兄のTwitterってどんな感じなんだろな」と雑念ばかり浮かび、数枚書き損じた。
ぼくは「書く」と書き、兄はよくわからないラテン語を書いていた。お互い、そんな感じの男だった。小さいコロコロした女が何を書いていたかは覚えていない。
 
 
 Twitterを実際に利用したのがそれから3ヶ月後のことだ。その頃好きだった人がTwitterをやっていたので、彼女の勧めもあり恐る恐る始めた。実際にやってみてわかったことだけど、まー呟くことがない。「~なう」という表現が多用されるのもわかる気がした。だって、それぐらいしかないんだもん。
それでも、そうした「どーでもいいこと」を呟く流行りの若者像をバカにしていたぼくは、何とかそれ以外の活路を探した。彼女はというと、目の前の情景を散文詩に切り取ってみたり、読んだ本の内容だったり、社会情勢に対するコメントだったりで、1日平均5tweetぐらい。北村透谷が好きで、『意思と表象としての世界』を愛読し、東大生の元カレがいる彼女。いま思えばちょ彼女の気を引きたかったぼくは、取り敢えず、彼女が好きそうな本の感想を呟いたり、社会問題に対しリベラルな意見で反応したりするようになった。
そんな感じでTwitterを始めて半年が過ぎた。彼女と付き合えた。
 
Twitterでデートの日プラン決め。直接のリプライでは会話せず、空リプで行きたい場所、したいことを呟きあ~でもない、こうでもない互いに呟いた。フォロワーのTLを汚してしまったな、といまでは痛く反省している。ディナーの写真up。彼女は一眼レフを持ち歩いていて、画像加工も上手かった。ぼくがAndroidで撮った写真に比べると天と地の差。だから、せめてもと頑張って角度や光彩を工夫した。それから、テレビの感想を実況しながらシェアに、1日の報告。食べたものや訪れた街の匂いとか。そういう、直接LINEでやり取りするには気恥ずかしく手間なことを共有するのにTwitterは便利だった。たま~に、相手の顔の一部が映っちゃうような写真なんか上げたりして。っておいおい何で自撮晒してるのw…?、その男とのそのやり取り何?、「Dで」って何を?何で?、そっか……、お別れはブロックで。
気づけばぼくは、「3限の民法各論ダルい」とか「今夜は自炊しようと思うんだけど、最近野菜高くない?」とか、どーでもいい生活臭がプンプンするアカウントになっていた。
 

 

 

 おたくの例に漏れずぼくは人見知りする。人との距離感を取るのが下手で、人のパーソナルスペースに入るのも嫌だし入られるのも嫌だから、他人と話すのは天気や野球のことばかり。そんな6時45分のニュース番組のような人間でも、Twitterでは気軽に自分の考えや思っていることを呟けた。言葉を受け取る相手と対面していない、気軽に呟ける理由はこれに尽きる。
Twitterをはじめて、間違えなく周りの人との交流は増えた。サークルの人達やゼミの先輩とも繋がったことで、TL上で交流を深め、麻雀や食事会にお呼ばれすることも格段に増えた。
「坪内ってけっこう話せるやつなんだな。前のツイとか面白かったよ」とサークルの先輩に言われたときは、「Twitterを判断基準に”話せる”ってなんだそれ??!」とは思ったけど、そういうきっかけで顔と名前しか知らなかった周囲の人達とも仲良くなれた。
時には「これ自分っぽくない呟きだな~」という理由でツイ消し(呟きを削除すること)したり、背伸びした本読んで背伸びしたコメントを呟くこともあった。そういう下らない自己ブランディングも含めて、TwitterというSNSの楽しさだった。
 就活時には、勉強した内容で疑問に思ったところを呟いて意見を求めたり、学術botや就活情報botをフォローすることで試験の情報を得たりした。この時ばかりは、Twitterもそれなりに役に立った。そのときにフォローした同じ公務員受験生とは今でも交流が続いている。
 就活が終わった頃、一つの区切りとして今までの呟きを一斉に削除した。「恐怖は過去からやって来る」とディアボロは言ったものだ。Twitterを始めた頃は、政治的なことや過激なことも幾ばくか呟いてた。炎上の燃料は早いうちに、というよりは、その当時の青臭い自分を残すのが嫌だった。一斉削除に伴って、Twitterの簡易ブログ、日々の記録としての側面も消えた。
 

 

 

 社会人になってからのTwitterの使い方は、学生時代と比べて少し変わった。Twitterの人に実際会う機会が増えたし、同僚や彼女などリアルで交流がある人達とも、Twitter上で繋がるようになった。現実とSNSの境界が曖昧になっている。それゆえに、バカなtweetは慎もうと意識するようになったし、彼女が見ている手前、カッコつけたいから自虐も控えるようになった……と言いたいところだが、実際はその逆。以前通り、いや、以前にも増してバカなオタクtweetは増えたし、FAKEな自虐だって増えた。改めよう改めようと思っても、抑えることができなかった。
ヘルメットで飲む大五郎の味、ぽまえら知ってるか…?("職場"でどちゃくそ飲まされた) 
 と呟く15卒オタクがTLに出れば、彼を励ますためにも、また彼に負けぬように思い思いの自虐を呟いた。
 
 得るものは画面の向こうのオタクたちからの幾ばくかのお気に入り。失うものは周囲からの信用と自尊心。まるで釣り合いが取れない。だけど、自分の恥ずかしい部分を事前にさらけ出すことで、「この人達はぼくのダメなとこを知った上で交流してくれている」という安心感が得られて、リアルの人間関係も円滑にすることができたのも事実。ぼくの人見知りという性格は主に「相手に悪く思われたくない」という不安に起因している。「Twitterを通じてダメなぼくをすでに知っている」という前提ができさえいれば、いくぶんかリアルでの交流も楽になる。「Twitterとだいぶ違うよね?」と冷ややかな目で見られたことも多少はあったけど。
 

 

 

 そんなこんなでぼくのTwitter依存は社会人になっても治らなかった。こやあいさん、つくる、らいすさん、基地外ちゃん……Twitterのオタク達にもたくさん会った。オフ会はどれも楽しかった。なんせ、誰もが皆Twitter経由で知り合った人ばかりだ。人見知りで内気な"坪内"を知らず、バカでオタクで陽気な"ぽきた(@pokita_kroger)"しか知らない人たち。彼らの前では、ネット上のぽきたそのまんまの無遠慮な人柄で振る舞うことができて、とても愉快だった。
流石に、上司や家族とはTwitterで繋がってないが、それ以外の同僚・友人・恋人たちには聞かれればアカウントを教えた。LINEで個別に取る程でもない連絡については、TLでのリプライで取るぐらい重度なツイ廃と化していた。
だから当然、足繁く通っていた飲み屋のマスターにTwitterの利用の有無を聞かれたときも、ぼくは特に気にすることなく答え、彼のアカウントと相互フォローになった。
「へー、坪内くんTwitterやってたんだ。なんかそういうのに疎そうだから意外だね。私以前やってたんだけど辞めちゃってさ。」
隣に座った女の子が言った。
「あ、でも身内用の鍵垢なら私もあるからそれでマスターのフォローするね。」
こうして、ぼくのアカウントと彼女のアカウントは、マスターのアカウントを介して繋がった。友だちの友だちという感じだ。その2週間後、その女の子はぼくの彼女になった。
当初からぼくらは互いのアカウントをフォローしなかった。オタク丸出しなぼくのアカウントを「フォローして」と頼むのは気が進まなかったし、”身内用”と彼女の言った
5tweet 5follow 5follower

 なアカウントをフォローするのも不躾がましい感じがして出来なかった。以前まではバカにしていたSNSマナーというやつに、ぼくは完全に毒されている。

たまにTwitterの話になる。

「坪内くんはTwitterでどんなことつぶやいているの?」

「オタクのしょうもない内容だよ」

と笑って返す。

「私も前のアカウント消す前はけっこうTwitterやっていたんだけど…」

「あんなのやるもんじゃないよねw それよりGWの予定なんだけどさ~」

決まってぼくはすぐ話題を変える。Twitterの話はなんとなく彼女とはしたくなかった。しなくたって、彼女はぼくのアカウントの呟きを知っているに違いない。彼女はマスターをフォローしている。マスターのフォロワーをたどれば、難なくぼくのアカウントを見つけることが出来る。ぼくが彼女のアカウントを見つけたように。

 

 

 

ぼくがTwitterを始めるきっかけを提供してくれた女の子、彼女は幾度もアカウントを消しまた新しいアカウントを作るいわゆる”転生”の人だった。アカウントを消す原因は大方人間関係、というよりも男性関係のもつれだった。彼女は付き合った男性とは必ずと言っていいほど、Twitter上でも繋がる人だった。ぼくたちがそうであったように。

振った振られた、一度会った人がネットストーカーと化した等々と理由は毎回そんな感じ。ぼくを振った後に付き合った男に振られた際は、TL上で自殺をほのめかす文章と画像をさんざんばら撒いた挙句の果てのアカウント削除。別れたとは言え、まだ未練があったぼく。あのときはホント気が気じゃなかった。かと思ったら数週間後にはひょっこり、新しいアカウントを作ってメンヘラ活動を再開しているのだ。

そうしてまた自撮り画像を垂れ流し、感傷的な詩を呟き、チンポ騎士団とも呼べる囲いの中女王として君臨し、その中の一人と交際し、王国の崩壊と共に自殺をほのめかしアカウントを削除に至り、数週間後また新たなアカウントで活動を始める。そういうことが何度も何度も。なぜぼくが彼女の新アカウントを毎回観測できているかというと、ぼくも彼女のメンヘラ劇場に魅せられたフォロワーだったからだ。持てる限りのネット知識と時間を駆使して、毎回彼女のアカウントを探し当てた。

「またバカなことしてるね」

 とLINEを送ったことがある。

「今回も見てくれていたんだw」

と返された。それが最後の連絡だった。

しばらくして、彼女は東京から地元の静岡に帰った。それと前後して、ぼくには新しい彼女が出来た。彼女の活動をフォローするモチベーションがなくなり、以来彼女の消息は虫のウワサ程度にしかぼくの元には入ってこなくなった。静岡でも切った切られたやってるらしい。

こんな具合に、好きな人のSNSアカウントは覗いてしまうものだとぼくは思っていた。付き合っている恋人のものならなおさらである。いくら直接フォローはしてないとは言え、彼女はマスターのアカウントを通じてぼくのアカウントを把握できる立場にいる。日々のオタクっぽいクソみたいな呟きは見られているものだとぼくは思っていた。

 

しかし、彼女は実際ぼくのアカウントを知らなかったらしい。付き合って1ヶ月目の先日、その事実を知った。

「坪内くんは君に届けの風早くんみたいに爽やかだから好き」

と彼女は枕元でぼくによく言ってくれる。

毎回ギャグだと思って聞き流していたが、どうやらそうでもないらしい。

 

 

 

 

 

 無能自虐、嫌味、下ネタ。

君に届けの風早くんみたいな爽やかな人間が、こんな内容を呟くわけがない。こんなブログ書くわけ無い。あのアカウントの呟く内容を知ったら、間違えなく彼女はぼくに幻滅するだろう。場合によっては別れることになるのかもしれない。
マイナスからのスタートなら望むところだ。Twitterではいろいろ馬鹿みたいなのと言ってるけど実際はとても誠実な人、なんていうギャップだって狙える。しかし、
そう思ったら居ても立ってもいられなくなって、ぼくはTwitterのアカウントを削除した……がそれも1週間程しか我慢できず、結局再開してしまった。気づけばぼくはツイ廃。完全な病気だ。大学を卒業して、サークルやゼミとの関係が薄れたいま、プライベートの交流はTwitterばかりになっていた。LINE以上のライフラインだった。
 
そういうわけで、結局Twitterを辞めることができなかった。彼女の目に触れないように、泣く泣く共通のフォロワーであるバーのマスターはブロックした。でもこれでは問題の根本的な解決にならない。風早くんのような人になる、とまでは言わない。ただ、ぼくの最も汚い腐れオタクな側面を増長して具現化させた"ぽきた(@p_kroger)"というアカウントはやめなきゃと思っている。
 
こんな自分、ぼくだって嫌いだ。