文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

サブカルと初体験

新宿駅南口、大きな時計でお馴染のファーストキッチンのその近くに、むかし「カップル専用」と看板が掲げられた怪しい漫画喫茶があった。彼女はスマホを操作しながら「ここにする?」と隣を歩く童貞のぼくに聞いた。

「いいよ」

と答え、ビビる気持ちを悟られまいとぼくは折りたたみ式の携帯を開いた。上京して1年くらい経っていたが、夜の新宿を女性と歩くのは初めてだった。ぼくらは近くのコンビニに寄り、酒やおつまみをいくつか買って、そのビルに入った。

「こういうところは意外と綺麗でコスパいいんだよね」

「そうだよね」

以前にも誰かと行ったことがあるんだと思った。彼女は慣れた様子だ。それに比べてぼくは不安で彼女の手を握ることすら忘れていた。雑居ビルのエレベーターに乗って、3階まで上がると、いきなりお店だった。照明が暗く、レジのすぐ真横にコンドームとローションの自動販売機が置いてある以外は、普通の漫画喫茶となんら変わらない内装だ。蝶ネクタイをした女の定員が出てきて「少しお待ち下さい」とレジの前で待たされた。

「こういう店って、女性客の警戒感を解くために女性店員雇うことが多いんだよね」

ぼくは平然を装いながら会話し、彼女は「そうなの」とか「へぇ」とか答えた。

店内にはゆるいBGMが流れ、各部屋の開閉式のドアの軋みとも女の漏れた声とも聞こえる音がときおり響いてた。「お席に案内します」と言われ、ぼくは高い吊橋を渡るときのような、金玉がキュッと縮み上がる思いがした。それでもぼくは彼女の前で一生懸命、童貞ではないフリをした。それはぼくが彼女より年上だったから、ナメられたらいけないと必死だったんだ。

用意された席に向かう途中、レジ前で聞いたときよりもより鮮明に何組ものカップルが愛し合う音を聞いた。シルエットを見た。ぼくは改めて大人の現場にいることを自覚した。

席は彼女と横並びのシート席で、前方の壁掛け机には申し訳程度にパソコンが置いてあった。シートの縦幅は2メートルもなく、ぼくが寝るには足が収まらないが、身長が150くらいの彼女にとってはちょうどいい大きさだった。隣の部屋からはゴソゴソと何やらしている音とクスクスと笑う男女の声が聞こえてくる。

一応、漫画喫茶なので、ぼくはふたり分の飲み物を取りにドリンクバーに行ったが、その後の時間をどう過ごせばいいか、ぼくにはわからなかった。彼女のコーラとぼくのアイスコーヒーを持って部屋に戻ると、彼女は仰向けになって、シートと壁掛け机の間の空間に左右の足を垂らしぶらぶらとさせていた。

 「ハンターハンターの新刊が出てて驚いたよ。ここで見つけるとはね」

ぼくは平静を装い会話を始めたが、彼女は「どうしてほしい?」と聞いてきた。

冨樫先生の連載ペースの話ではないのは確か。理解できたがわからなかった。「え?何?」と聞き返した。その日、ぼくは彼女と少し背伸びしたお店でディナーを食べ、バーに行き、その流れでスマートにホテルに誘うつもりだった。でも緊張から、バーでベロベロになるまで飲んでしまい、ホテルも提案できずただ彼女を連れて夜の街を右往左往してただけ。彼女の医学生の男友だちに会ったときも、ぼくは私文大生という立場のない立場に困ってるだけで、男として何ひとついいところを見せることができなかった。要するに何ひとつ、彼女の前では自信がなかったんだ。

「口でしてあげよっか?」と彼女は続けた。はっきり聞こえたけど、即答はできなかった。でも。とぼけることもできない。「ああ」わかったように返事をしたら、即座にジーパンのベルトに手をかけられた。

あれよあれよという間にズボン、下着と脱がされ、彼女にペニスを握られた。「こういうのは自分で下げてよね」と、あきれたように言われた。それから彼女は何も言わず床にひざまずき、そこに顔を近づけた。背後の部屋からは"アァン…"と切ない女の声がした。この部屋ではどうしようもない男のペニスを、18になったばかりの少女がしゃぶっていたんだ。手に持ってたハンターハンターの新刊はシートの上に落ち、ぼくはその少女をただどうすることできず眺めていた。

 

 初めて女性の裸体に触れたのは、小学5年生の夏、近所の市立図書館で借りたB級映画大全を読んでいるときだった。そこには古今東西あらゆるB級映画が掲載されており、普通なら公立図書館の検閲基準となるエロとグロな写真が"映画のワンカット資料"として、ところ狭しと掲載されていた。バーバレラに死霊の盆踊りにアマゾネスに。たくさんの女性の裸体と、それがぐちゃぐちゃな肉片へと化していく様子。それに導かれぼくは精通した。それからぼくはそうした映画や文化が好きになり、サブカル少年と化し、いつしかより多くの資料を求め、気づけば上京し大学生になっていた。

上京して間もなく、友だちもできなく、暇で、江戸川乱歩を通っていたときがある。ある日、ぼくは人間椅子と出会いしくしく泣いた。きっとこんな歪んだ形でしか、想像のなかでしか、ぼくみたいなのは女と触れ合えないんだろう。文学史上に残るその絶妙なオチなんて眼中に入らずに、ぼくはその椅子男の悲哀に涙した。ぼくの中で、女性とはエログロを表す妄想上の性女であり、現実から浮遊した位置にいる聖女であった。妄想を除けば売春や犯罪以外にぼくと彼女らとを結ぶ線なんてあるわけないんだ、と。寺山修司もその流れで好きになった。決してスマートな理由からではない。彼女は文学的な観点から寺山修司が好きだっと言った。「坪内くんはインテリだよね」彼女はぼくによく言ったっけ。彼女とぼくは寺山修司好きがきっかけで、会話を重ねるようになり、こうした仲になった。

 

AVではこういうとき頭をなでてあげるんだよな…、とうっすら思った。けど、体が動かない。彼女は、はじめぼくの隆起したペニスを上下に舌で舐め、つぎに口の中に含み力強くストロークした。生暖かい口内に包まれ、はげしく隆起したぼくのそれは、3分ももたずにビクッビクッっと痙攣したかと思うと一気に放出してしまった。

「出すならそう言ってよ」

ぼくの精液をすぐに手に取ったティッシュに吐いた彼女はそう言って、コーラを口にたくさん含み部屋を出ていった。彼女が何故怒っていたのか、ぼくにはよくわからなかったんだ。一人ぼっちの部屋でマヌケな時間が無限に続いていたように感じた。「帰っちゃったのかな」ズボンも上げずにそう心配してそわそわしていると、なみなみとコーラの入ったコップを持って彼女が部屋に戻ってきた。「ごめんごめん」と謝ってみたものの、部屋には気まずさだけが残った。彼女がシートの上で横になったので、ぼくも膝を立てて横になった。彼女はすぐに寝息を立て始めたがぼくは寝ることができなかった。

朝、彼女は昼からバイトがあるということだったので、8時には支度を済ませその店を後にした。お店の会計はぼくが払うつもりだったが、どうしてもと譲らず、結局割り勘する形になった。完全にフラれたと思った。

それからしばらくして、彼女と中野で会ったとき「さっき見つけたから」と寺山修司の写真集を渡された。寺山修司にしてはマジメな写真集でエロもグロもなし。ただぼくは、先日の負い目や恥ずかしさや安堵からか「ありがとうありがとう」と何度も頭を下げた。それからぼくらは普通のラブホテルに向かい、普通のセックスをした。はじめてにしては上手く出来た方だと自分では思った。けど、終わったあと「大丈夫?」と彼女はぼくにやさしく呟いた。きっとはじめっからすべてわかっていたんだと思う。

彼女はフラフラした女で、いろんな男と街に出ていろんな男の家を渡り歩いてた。だからぼくも彼女とは遊んでいたが付き合っているとは言えなかったし、付き合ってくれとも言えなかった。グラフィックデザイナーに写真家に、彼女の回りにはいろんな男がいた。そのなかでトップになれる自信がかなったんだ。

暖房なし、四畳半、隣の部屋に同居者の兄アリのぼくの下宿で、敷きっぱなしのせんべい布団の上で彼女とセックスした日、枕元とで彼女が一眼レフで撮ったたくさんの写真を見せてくれた。しめ縄で縛られる彼女に、首輪をつけられ裸で夜の公園を散歩させられる彼女に、肛門にビール瓶を入れられた状態で正座させられる彼女に…。そこには、エログロの写真集では見慣れた構図の彼女がたくさん写ってた。

「この前、同居人の○○さんに撮ってもらったの。どう?」

嬉しそうに聞く彼女にぼくは「よく撮れてるね」とかなんとか、そんな感じのことをもっと衒学的な言葉でホメたりした。彼女は満更でもない感じだった。嫉妬を悟られるのが怖かったんだ。相手はぼくでも知ってる高名な編集社のひとだった。

どうして彼女がぼくのことを好きになったのかわからなかった。もしかしたら好きでもなかったのかもしれない。でも、彼女はお金もステータスもないぼくに体を預けたし、それでぼくは充分すぎると思っていた。けど、いつしかもっとを欲するようになっていた。少し先の話ではあるが、ぼくは定期的に女の人と体を重ねるようになり、それに伴いサブカル方面への情熱がなくなっていった。上京理由でもあったそれは消えたが、今度は都会の便利さを理由に東京で就活するぼくがいた。きっとその趣味は、始まりからしてリビドーの一種だったんだろう。でも、そのときは違った。このサブカルも極めれば彼女の一番になれると思っていた。小説家、でもなければエッセリスト。彼女を腕枕に天井を見つめ、将来のことを思った。そして、不安になったんだ。