文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

浪人時代 いちねんめ!

郊外の本屋、古本屋を巡ってた。

図書館で勉強してくるとウソをついて。

 

世間が通勤だ通学だで忙しくなる前の、平日の日の出ごろ。自分で作った朝食を食べ自転車に乗って家を出る。自転車でも3時間以上はかかるような距離にある古本屋を目的地としてたので、いくら早く出ても早過ぎることはない。開店時間の10時くらいに到着する計算だ。古本屋を自転車で回り、本を立ち読みしたり、もらった昼代で掘り出し物を買ったりする。

浪人時代の2年間、ぼくはこのルーティンを月・水・金の3日間、毎週欠かさず行ってた。いま思えば、月曜に開いている図書館なんてぼくの住んでいた県では一つもなかった。なんならそんな早朝から開館している図書館もない。おそらく、母はぼくのウソに気づいていた。

 

初めの頃は、ちゃんと勉強道具を持って図書館に行っていた。といっても勉強はせず、図書館が定期購読している月刊ムーだったり、北杜夫中島らもあたりのエッセイをぼーっと読んでいた。日が出ている時間帯の平日の図書館にはいろんな人がいた。窓際に並ぶ個別のテーブル席、レファレンス室のデスクライト付きの個別ブースでは、ぼくより幾分か気合が入っている浪人生が勉強をしていた。だから近寄らなかった。目に入るだけでこっちまで危機感を感じてしまう。なので、ぼくは浮浪者っぽいおじさんや、土方っぽいおじさんたちが集まる雑誌・新聞エリアで週刊ポストサンデー毎日を読み、子連れや高齢者が集まり賑やかな長机で寺山修司山岡荘八を読んだ。

読む本は無限にあった。どれも無料だ。書店と違って座りながら読めるし、中庭では飲食も出来る。良い環境だった。けど、図書館通いは長くは続かなかった。

 ある朝近所を散歩していると、一軒家のバルコニーで布団を干しているところの女性と目があった。見覚えのある顔、図書館の司書さんだった。彼女が軽く会釈をした。こちらも軽く会釈を返しその場を後にする。それ以来、なんだか彼女と会うのが怖くて図書館には行けなくなった。

 

――今年もダメだったみたい

 

2010年3月14日午前10時、まんが喫茶のパソコンで結果を見たぼくはため息混じりに父に報告した。

「そっか、ま、ダメだったら仕方ないな。いまから家戻る。これからのこと話すぞ。」

うん、と小さく返事してぼくは電話を切った。ドリンクバーのコーラは喉を通らない。漫画を読みたい気分でもない。足の爪先から頭のてっぺんまで、すーっと血の気が引く感覚がした。体の至るところから出ていった血はいったいどこに行くのだろう。入店30分にしてぼくはまんが喫茶を後にした。ゆらゆらと自転車を漕ぎ家へ向かう。

はじめての経験ではない。現役時もその漫画喫茶で父に報告をした。その時は不合格を知ってから1時間近くは放心状態で、父への電話だって嗚咽紛れだったっと思う。不合格のショックが回数を経る毎に小さくなってきてるなー、とぼくはぼやぼや考えていた。

長い坂道を上り家に着く。駐車場には父の車がすでにあり、玄関のドアを開けると居間に座るスーツ姿の父が見えた。この構図も一年前に見た構図と瓜二つだった。

「お前今年もダメだったのか~。そろそろ受かってもいい頃合いなのにな。」

 

浪人生でしかも宅浪と言えば不健康な生活を想起されがちだが、その頃のぼくは5時起き22時就寝と非常に健康的な生活を送っていた。古本屋を回らない日も毎日外を歩いた。でなきゃ部屋が自分のかび臭い大衆で一杯になってしまう気がした。散歩する時間帯はだいたい5時半から6時半。この時間帯なら外でぱったり顔見知りに会うこともない。日本列島の西の端にある沖縄の朝は遅く、紺色の空にはいくつか星も残っている。早朝の街を歩くのはせいぜいご老人かホームレス、弱者ばかりだ。ぼくはこの時間帯をweakers timeと呼んで気に入っていた。

 

浪人無職で迎えることになった19の春、ぼくは、

 

(続きは5年後)