文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

折伏

暇だから、ここのところ職場の日蓮正宗の人と話している時間が増えた。彼はコミュ障なので折伏等による布教はしないが、それ以外は教えに則り清く正しい在家生活を送っているような2世だ。
そんな彼から面白い話を聞いた。

「最近は無宗教が多いから、論戦を挑んで折伏しようとしても、無宗教相手では教義の穴を突くこともできなければ、逆に神の存在証明を求められることになってこっちが不利だし、何より家に上がり込んでもぶち壊すべき仏壇すら見当たらない」

聞いてて笑った。

無宗教相手ではなく、異なる宗派を信仰している人に対する折伏を間近で見たことが一度あったが、あれは勧誘という生ぬるいものではなかった。まさに地下格闘技、殺し合いだった。

互いが日々磨いた教学を武器に、死生観や現世利益に始まり、安保法正等の時事問題に関する見解や、はたまたあるべき旦那とのセックスの頻度等俗すぎる内容まで、オールジャンルで殴り合う。
ときに文字通り殴り合う。
(自分が人生をかけて信じているものが攻撃されるのだから、手が出てしまうのもわかる。)

その折伏のクライマックスというのが、論戦によって高まったアドレナリン爆発させるかの如く行われる、家に勝手に上がり込んで仏壇ぶっ壊すやつだ。(もちろん犯罪です。)
仏壇をぶっ壊すことは、彼らにとって勝利宣言のようなものである。


しかし、無宗教の人相手ではそうもいかない。相手は信仰がなく、守るべきものがない。そんなニヒリスト相手には、どんな攻撃も暖簾に腕押しとなる。

「そんな生き方では地獄に落ちますよ」

なんて言っても、そもそも地獄を信じていない身にはなんも響かない。

対して折伏者はというと、穴だらけの日蓮正宗という教義を、ときには剣に、ときには鎧にしなければならない。
分が悪すぎる。
無宗教相手に宗教勧誘するということは、詰まるところ神の存在証明をする、ということになる。

ではどう折伏していくかというと、
「ガンが治った」
「信じなければ中国の核ミサイルが飛んでくる」
等の荒唐無稽な現世利益や終末論を唱え、飴と鞭で洗脳する。これが最近の、特に日蓮正宗系の新興宗教に多い。


そんなこんな考えながら本屋をフラフラ歩いていたら、シク教の本がたまたま目に入った。シク教、教義やその立ち位置からして、とてもオタク受けする宗教だ。グッと心を掴まれてしまった。信じてみようと思う。