中学に入ってからごく短い間、ぼくは三人グループの一員になった。一人は小柄でませて気取り屋で、常にクラスメイトの注目を浴びていないとダメ というような人。
もう一人は馬面で、女の子からよく「ウマ、ウマ」とあだ名で呼ばれていた、顔が長くて背も長い、大学教授の息子だった。
その大学教授の息子は父のことを”さん”づけで呼び、彼は父から”くん“づけで呼ばれていた。
「松井秀喜みたいな家庭だな」
と当時のぼくは不思議に思った。
父の名前は太一郎。だから太一郎さん。
大学教授の息子は、「太一郎さんと母は夫婦げんかをする時、私にはわからないように英語でするんだ。」と自慢そうに笑って、ぼくはぶったまげた。
「でも最近では、私が英語をわかるようになってきたから、今度はドイツ語で喧嘩するようになってきたんだよ。」
とさらに追い打ちを掛ける。
彼は英語やドイツ語を話す両親を自慢したかったのではない。太一郎さんと母親のことを尊敬していたのだ。愛していたのだ。ぼくは、我が家の夫婦げんかを劣等感をもって恥じた。感情丸出しの、方言の応酬、あれからはまったく文化の香りはしない。
ぼくは彼らを羨ましいと思いながらも、妬ましいと思わないようにしていた。だってどんなに悪く見積もっても、ぼくん家のお父さん、お母さんの方がまだマシな顔をしていたからだ。
彼らは親子でクラシックの鑑賞に行き、家にはたくさんの洋書と「ニュートン」という科学雑誌があった。我が家にはない文化の香りがそこにはあった。その文化の中で、野蛮ではない家族の結束の形をぼくは知った。
彼の家からの帰り道、あっけにとられて放心状態だったぼくに、気取り屋のちびがこう言った。
「そっくりだったな、アイツの両親とアイツの顔」
そのときの言ってやった感溢れる彼の顔を、いまでもよく覚えている。彼の綺麗な顔が、ぼくにはとても羨ましかった。