文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

文体の悪魔

ちくま文庫から出ている「名文(だったかな?)」と言うなの本をむかし読んでいた。その名の通り古今東西の名文と呼ばれる文章の解説をする本だ。

その収録作品がおもしろい。古くは聖書の詩歌からチャーチルの演説、三島由紀夫金閣寺とバラエティに富んでる。
中でも特に記憶に残っているのが、トーラー(ユダヤ教の律法)の一説で、「異教徒と言えども王に汚い言葉を吐いてはいけない」についての論証だ。

ヘブライ語なんて読めるわけもないため、和訳の文章しか読んだことないが、トーラーの文体はとてもねちっこい。そのねちっこい文体に昨夜夢で再会した。夢というのは不思議なもので、字句などは一切覚えてないが、あれは間違いなくトーラーの夢だという妙な確信がある。

今日は仕事を休みだったため、ずっとユダヤ教について調べていた。
そこで知った興味深かった気づきを一つ。

エスが布教を開始した頃、当時はまだ"キリスト教"というユダヤ教から独立した宗教ではなく、イエスの団体はユダヤ教ナザレ派とでも言うべきユダヤ教のなかでの改革勢力の一つに過ぎなかった。

当時のユダヤ教には大きく分けて2つの派閥が存在した。一つが、エルサレム神殿における祭事を取り仕切るサドカイ派民数記を読めばわかるとおり、ユダヤ教とは元来は儀式宗教であり、聖地エルサレム神殿での神事を取り仕切るサドカイ派は、政教一致イスラエルにおいて権力を欲しいままにしたエリート層であった。
もう一つの大きな派閥がパリサイ派である。パリサイ派時代の寵児たるサドカイ派の腐敗に対し「律法に帰れ」と主張した教条主義の超保守派だ。きっと童貞だったんだと思う。

イケイケドンドンのサドカイ派に対し、「律法と違うじゃん」言って在野から批難するパリサイ派。そんな両派が争うイスラエルにイエスは生まれ、儀式でも律法でもなく彼は愛を説いた。

そんなこんなで3派がわーやーしているうちに、ユダヤ戦争が起きエルサレム神殿ローマ帝国にぶち壊された。聖地の消失と共に儀式は廃され、サドカイ派は没落した。サドカイ派に代わり、パリサイ派ユダヤ教内で権力を握る。以後パリサイ派は、ユダヤ教パリサイ派と言われるまでの勢力になった。

ユダヤ戦争による聖地エルサレム神殿の消失を犠牲に、ユダヤ教前近代的な儀式宗教から、近代的な教典宗教に脱皮したのだ。

ひとつの夢からもこんな出会いがある。