書生オフに行ってきた

‘白いワンピースに麦わらの、黒髪ロング美少女が、夏の終わりに死ぬのはなぜか’

『美しいものは死ななければならないのだよ』
と谷崎潤一郎なら、今や陳腐となった名言で答えるのだろう。

『君が生きながらえているのと全く同じ理由だよ』
と村上春樹なら、あのねちっこいレトリックで皮肉るに違いない。

坪内逍遥なら差し詰め
『エゲレスのピッケル翁曰く~』
なんて引用を使って、偉人に押し付け逃げることだろうよ。

『じゃあ、太宰ならなんて言うだろうか。』

誰かがそう言うと、徳利をすすりながらみな一様にうむぅ~と考える。

「‘少女’は悲劇名詞だからさ」

「いやいや、‘夏の恋’が終わったからってのほうがいいと思いますよ」

「どいつもこいつもキザっぽいことばかり言いやがる。太宰なんかは『そんなこと、私に知る由はない。知らないことは語れぬ』なんてうそぶいて煙に巻くに決まってらァ」

みなが侃々諤々に言葉をまくし立てる。

そんな中、誰かが自信ありげにぽつりと言う。

 

「来夏まで生きさせる希望を与えるため、ってのはどうかな?」

「‘晩年’の冒頭、生と死のアントニム、うん、なかなかいいんじゃないですか。」
誰かがうなづきながらそれを称する。

言った誰かと答えた誰か、軽く微笑み目配せし、杯を交わす。

「それもキザっぽくていただけねぇけどなぁ.」

「じゃあさ、次は太宰と言えば三島との対立の話だけどさ~」

酒気の匂い立ち込める薄暗い店内で、書生たちの宴会は明け方まで続く…………。


 『平成書生オフ 参加者募集』

の文字を某巨大掲示板で見たとき、私の脳裏にはそんな絵が浮かんだ。書生姿で文学談義に花を咲かせられたら最高ではないか!行くっきゃないな、これは。早速私は参加のメールを送った。


書生とは何か?

辞書的に言えば、他人の家に下宿して家事や雑務を手伝いつつ、勉強や下積みを行う若者のことを指す、ということになる。しかし、我々書生厨が抱く‘書生’というコトバが包括する概念はそんな無機質な説明で言い表せるものではない。その説明を人にしなければいけないとき、我々書生厨はいつもムズ痒い思いに駆られる。

丁寧に説明しようとしたら「明治・大正・昭和の時世・風俗から、大正レトロ、坪内逍遥、夏目漱石、太宰治、森見登美彦などの文学作品にいたるまで話さなければいけないことは深く多岐にわたる。学問のすすめに始まる実学ブームと、就学者による都市人口の増加あたりを話し始めたところで、もういいですよ、という顔をされるのは毎度のこと、目に見えている。

噛み砕いて言うのなら、明治から大正、昭和初期の学生を表す。文学作品に出てくる彼ら書生は、概して虚弱体質で、自堕落で、文学青年で、マイナス思考で、ペダンチックで、飄々としていて、それでいて女性に不器用である。

その格好、野暮ったい言動、それでも滲み出る教養に魅せられて、高校時代の昔から私は大の書生好きであった。東京の大学に出てきたのも、少しはその事が関係している。


 オフ会の募集要項は以下のように続いていた。


平成書生オフ開催します。
【募集内容】 書生好きな平成生まれ
【集合時間】 今週一週間の内のいつか(参加者の希望に合わせる)
【集合場所】 東京メトロ浅草駅銀座線4番出入口
【活動内容】 花の巷の稀ものの、書生姿で闊歩する、夜の帝都は浅草あたり.有形の清談論ずれど、無形の腹内語りえず.そこで頼むは電気ブラン.かの太宰も愛飲し、和製アブサンそこにあり、故に向うは神谷バー.初顔合わせもおしなべて、ともに楽しむおおみよの、めでたき酒で談義する。そんなオフ会です。
【参加条件】平成生まれの男児 
【幹事連絡先】~~~~


なんとも意味のわからない不気味な募集要項であった。


直訳すると、「書生姿で浅草回って、それから神谷バーに行って酒でも飲もうよ.ほら、酒が入ると人見知りとか恥ずかしさとか吹っ飛ぶからさ、無礼講で楽しもうよ。」 ということだろうか。


21世紀になってもう10年以上が経過しているというものの、私は未だ‘オフ会`というものに抵抗というか偏見があり未だ参加したことはなかった。無論、こんな危険そうな幹事が率いるオフ会なんかには、絶対参加するはずもなかったのだが、`書生`という言葉の魔力に惹かれてしまい、また、オフ会の問題ごとと言えば、十中八九女性がらみのことだと聞いているので、むしろ野郎ばかりの方が健全で安心して参加できると思い、結局幹事当てに参加の意向をメールで送った。


数時間後、幹事から届いたメールには、私の参加を最後に、募集を締め切ったこと、現在5人の参加者がいることと、オフ開催の詳しい予定日時が添えてあった。あんな募集要項で5人も参加者が来たのかという驚きつつも、未だ全容が見えぬ書生オフを首をかしげながらも楽しみに待った。

 

オフ会当日、その日、昼ごろに目が覚めると、明るい日差しが燦々と降り注ぎ、高い青空が見えるような冬にしては涼やかな日だった.といっても、常にカーテン代わりの本棚でテラスへの道が閉ざされた、私の六畳の部屋に明るい日差しなどこれっぽっちも差し込まないし、まして青空が見えるなんてありえない。想像の産物である。

昔の日記を読み返し、書き物を久しぶりに再開したこの頃、どうも妄想癖が加速していて困る.そう思いながら寝返りを打っていると、気づけば17時前、日も陰り始めた時間帯だった.明らかに遅刻してしまう時間に起きた私は、急いでドレスコードである書生服もとい、書生スタイルに着替えた。

書生スタイルとは着物の下にカラードシャツなどの洋服を着て、その着物の上から武道袴や馬乗り袴を付けた格好のこと。金田一耕助、絶望先生の服装がまさにそれだ。

オフに参加する前から書生好きが高じてか、京都書生旅行なる企画も友人と立てて敢行した程の書生好き、着物も袴もなんとか数着は持っていた。しかし、その着こなし、帯の締め方から袴の着付け、これがまた面倒で……結局試行錯誤しながら30分ほどで書生服に着替え、目的地浅草へ向かった。

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(総額1万5千円くらい。袴の帯の結び方がわからなくて少々みっともないが、これがいちおう男の書生服、というものだ)


駅まで全速力で走り(二枚歯下駄だったのであまり速さは出ず)なんとか新宿までの準特急に間に合った。ゼイゼイ息を切らして気づいたことには、周りの乗客からの熱いような冷めたような視線.

「ほら、12月だからよ、12月」

と、何やらかってにひとり合点しているおばさん連中もいれば、

「何のアニメのコスプレだろうね、聞いてみようよ」

とひそひそ話し合っている女子高生もいる.今やもうキワモノとしてしか見られない、書生に対する世間の評価をひしひしと感じながら、私は京王線、中央線、東京メトロを乗り継いで浅草駅に到着した.時刻は18時10分、少しばかり遅刻した.


 集合場所の4番出入り口には、書生姿の四人組が目に入った。夕陽も落ち、外はすでに暗かったが、街灯とネオンに照らされた時代錯誤な四人組は遠目からでも目立っていた.すでにもう楽しそうに何やらワイワイと話していて、「あの中にこれから入っていくのかぁ」と思うと、少し躊躇もしたが書生姿の他人を見たのは初めてだったので、興奮していなかったと言えばウソになる。
まず参加者全員に遅刻を詫び、幹事の加藤さんに挨拶をして、軽い自己紹介のあと全員で雷門をくぐり浅草を散策した。


 時間が時間だけにすでに閉店している出店もちらほら見られ、人通りも少なかった。人見知りで、なおかつ遅刻によって出遅れてしまった私は、取り敢えず幹事の加藤さんと話すことにした.後ろではすでにほかの三人が楽しそうに話していた.

加藤さんを先頭に、下駄を鳴らし、腕を組み、当時の書生になりきって浅草の街を散策することは、なんとも気持ちが良かった。

そもそもこの書生オフの活動内容とは何なのか?

 浅草の街を歩きながら、私は加藤さんに聞いてみた。加藤さん曰く、あのふざけた募集要項に導かれ集まった書生好きの連中と酒を飲み、大いに清談する.それだけで楽しそうなことじゃないか、となんともアバウトな返事を頂いた.女性厳禁にしたのは、女性が来るオフ会だと、情欲塗れの獣どもの狩場となり、平成書生オフ会がその崇高な本意を遂げられぬものになってしまうから、だという.
がっちりとした大きな体を使って、ジェスチャーしながらそう力説する加藤さんを見ていると、釈然としないながらも妙に納得してしまう節があった。
一時間程浅草を散策した後、我々は薄暗い照明がともる神谷バーに入り、軽食と電気ブランをいただきながら再度自己紹介が始まった。


まず、このオフ会の幹事、加藤さんである。

軽く180㎝は超えるであろう長身で、高校時代はラグビーをやっていたらしく体格もがっちりしている.黒く日焼けした肌と短く整えられた髪の毛、目鼻だちがしっかりした彫りの深いその外見は、虚弱体質、栄養失調の代名詞たる書生からは程遠いものだった.「美学」という言葉に強いこだわりを持っているようで、先の言動にも見られるようにその言動は硬派そのもの.体育会系に属する人間だと思われた。


次は栗山さんである.この人は一風変わった人だった。

ライオンのように白髪交じりのふさふさな髪を後ろになでつけ、あごひげを生やし、濃い茶色の眼鏡を掛けていた.栗山さん着る書生服は、参加者の誰よりも年季が入っているようで、つまりは古臭く、着物の上に羽織ったマントには無数の虫食いの跡が見えた。顔と手足が長く、動きはクラゲのようで重量感が全くない。口数はあまり多くなく、東北弁のぶっきらぼうな感じのしゃべり方だが、何気ない一言一言に重みがあり、そこからは並々ならぬ教養がすけて見えた。はっきり言えば、一ミリたりとも平成生まれには見えない。その仙人めいた面持ちは、寛永生まれだと告げられても納得してしまうような、不思議な風格だった。


その次が成田だ。

兵庫県出身だという成田は、恥ずかしさや双方向コミュニケーションという言葉を知らないらしく、常にべらべらとしゃべり続ける.早口の関西弁で「ホンマアホちゃうか」「イケずぅ~」とまくし立てる、東京人が思い浮かべるステレオタイプな「陽気でお調子者な関西人」そのものだった.外見のほうも軽率そうな、いわゆるチャライ感じで、身長が160㎝ぐらいとみなよりも低かったところが唯一の可愛げであった。
(成田は同年齢であり気を使うような奴でもないので以下敬称略)


最後が藤宮君だ。

話し方が理屈っぽく、つねに冷笑家然としているその様子はいかにも秀才というタイプだった.もっとも、話していくと独自のユーモアセンスを持っており、皮肉や意地の悪いセリフを持ち味としていた.成田とは大学の友人であるらしく、彼に無理やり誘われてしょうがなく参加した、と当初は不機嫌そうに話していたが、買ったばかりだと思われるウールのトンビマントと、その下に見える高級着物である仙台平、それと深くかぶった藍色の学生帽……いくらなんでも気合を入れすぎなその書生姿を見るに、天の邪鬼な、いわゆるツンデレな性格が見て取れた.
だけど、それをまた嫌みなく着こなしている辺りに、彼の生まれの良さが感じられた。
(成田君曰く、大地主の御子息らしい)


そして藤宮君について書くとしたら、書かずにおけないのがその外見だ。

4番出口の待ち合わせ場所で彼の姿を見たとき、このオフが女性厳禁で本当に良かったと思った.色白く艶やかならねば、青白く、鼻高く目元涼しく顔のつくり端正で……、まぁ、今めかしく言えばイケメン、いや‘美少年`と言った方がいいか。とにかく整った、それでいて童顔で可愛い造形をしていて、書生姿の異様な集団の中でもひときわ目立っていた.紫式部が思い描いた光の君も、きっとこんなカタチをしていたに違いない.
しかし、理屈っぽく皮肉屋で嫌味っぽいその言動、猫背で頭を抱えながら歩くその風采、なにより成田しか大学の友人がいないところを聞くに、藤宮君も人間だった。


この4人に私を加えた5人全員の自己紹介が終わったところで、各自自由に話し始めた.5人と少し人数が多いだけに、4人掛けの隣同士のテーブルに分かれて座っていた.そのため、全員で話すことはなく、自然と2、3人のグループに分かれて、めいめいで書生とは何たるか、についてから話し始めた。

 

初めは書生が出てくる文学作品の感想や、その当時の時代考察などの話が続いた。私が書生オフに期待していたのはまさにこれだったが、未だ緊張していたせいか少しばかり会話が固かった。しかしさすがは電気ブラン、「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはない」と太宰が書いたように、入店してから30分もしないうちに我々はほろ酔い状態になり、少しずつたがが外れていった.


話題は現代の学生への批判⇒恋愛資本主義の否定⇒孤高の仙人主義の礼讃へと、移りに移り、そうして話題は訳の分からない方向へと無軌道に飛躍していった。今度は、一体何について話していたのか、再び真剣に議論する必要さえ生じていた。

アルコールは人間関係の潤滑油とは言うがまさにその通りで、銘々がほろ酔い加減でワイワイと、電気ブランを片手に打ち解けていた。話の内容は当初期待していた文学や政治についての清談とは程遠く、完全にゲスな方向にシフトしていた。

なんとか藤宮君のみが理性を保ち「僕は違います!」と言いながら、我々ゲス連合の同調圧力に果敢に立ち向かっていた.加藤さんが席を立ち「男の美学」について力説すれば、成田が横やりを入れ、藤宮君がそれに追い打ちをかける.往年のコント赤信号のやり取りのようだった。それを見てにやにや薄ら笑いを浮かべる栗山さんに、私が稚拙な人生論を吹っかける。


「そもそも文学青年というのは文弱の極みである!お前ら揃いも揃って顔色生白うて、冬瓜みたいだぞ。男は第一に腕力がなくてはいかん!それはダーウィニズムでも解かれていること。なぜ左派革命が日本で成功しないかというのも、そのインテリ路線の~」


「貴君の言うパッショネートのある人間は、かぼちゃの種まで食べるのか?」

「いやいや、喋りながら食べていたら食ってしまっただけのことだ」

「腹の中にかぼちゃが生えますよ」

「いや~そないなことアリえへんワィ、ボケが弱すぎるでぇ、藤宮ちゃん」

「馬鹿ァ言え、かぼちゃなんぞ恐るるに足らんワ。そういや種で思い出したが~」


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「而して最も人を文弱にするのは女色において勝るものなし。だからだよ、僕はもっぱら腕力を磨き粗服に徹してだなぁ~」

「ルサンチマンの典型例ですね」

「すっぱいぶどうともいいよるでぇ」

「君もしや……童貞か?」

 

 そんなこんなで2時間程飲んで食べた折り、加藤さんの声のボリュームが、ついにマスターの怒りのキャパ限界を超えてしまい、我々は店を追い出された.

「めかすのは男子の美学に反するぞ!」

と声高になぜか藤宮君を非難していた最中の出来ごとだった.橙色の裸電球がともる暖かい店内から一転、寒い秋空のもとに放り出された我々は、これでは歯切れが悪い、ということで、今度はチェーン店の個室居酒屋に入って飲み直すことにした。


 栗山さんは人が潰れるのを見るのが好きらしく、入店早々大量の日本酒を注文し、常に我々のグラスを渇かせることなく、隙あれば人の杯にお酌を続けた。人形がレールの上を左右に動くがごとく、ススッと素早く個室内を動きまわるものだから、我々はそのアルハラを防ぎようもなく、日本酒をだいぶ飲まされた。

みながみな悪酔いをしていた.加藤さんは、前にも増してオーバーなジェスチャーで婦人交際と文弱の関連性を説き、藤宮君はそれに皮肉を言う.成田は壁にもたれかかり、徳利片手にただヘラヘラと笑っていた.そこからはお酒がさらに回ったので、あまり詳しいことは覚えていない.


閉店時間の午前4時、浅草のとある居酒屋の一室にはぐーすかと眠る加藤さん、テーブルに突っ伏しへらへらと笑う成田、袴を脱がされ乱れた着物姿で横たわる藤宮、そしてぷるぷると震えながらトイレとの往復を繰り返す私がいた.栗山さんはいつの間にか姿を消していた.むろんお会計は済ませていない.喰い逃げである.


‘畢竟書生の所業は陋猥にして野卑云々’
とはまさにこのこと.


思えば、我々書生好きのバイブル「当世書生気質」にもそんな書生たちの姿が書かれていたような気もした。時代の流れとともに書生も変遷をとげ、今や学生が書生に取って代わった.その学生も、世相風俗の流れに敏感なもので、学生像とやらもめまぐるしく変わっていく。

戦前の文学青年、全共闘の活動家、三無主義のノンポリ学生、バブル期のクリスタル族……。今じゃインターネットに深夜アニメを愛する、自称‘非リア学生’といったところか。しかし、趣味趣向や話題の種も変われど、20そこらの野郎どもの言語恰好は変わるものではない。たとえ百数年の時が経とうとも。

グラグラ揺れる早朝の浅草駅のホームで、ふと、そんなことを思った。