自己紹介 その3

 先日書いた日記を改めて見返すと、やはり阿弥陀なしでは見れない話であった。末法の世に救いはないのですか。自分で読んでいても落涙を防げない。かわいそうな男である。

その日記を読んだ大学以降の知人からは、

「本当に寂しいやつだったんだなぁ、お前」

と同情されたり、

「いやいや、腹を割って話せる男友達がいるだけマシだよ」

と別の知人たちからは慰められたりもしたが、慰める奴に限って、麻生高校から東大へストレートで進学した輩だとか、高校時代は彼女はいたんだけど友達はいなかったなぁ、というふとどきな輩だったりと、うらやま死刑この上ない連中ばかりであった。

今いるコミュニティーの中での高校非リア自慢はぼくの右に出るものはいないと思われた。しかし、先日、当時書いてた日記を読んで色々と高校時代が、そして浪人時代が鮮明に蘇ってきた。

 

 前にも書いたが、ぼくは二年に及ぶ長い浪人期間を経験した。それ予備校に通っていたわけではなく、宅浪、いや、実質は勉強すらしてないただのニート、穀潰しだった。布団から起きては理由をつけて勉強をサボり、本を読みご飯を食べて寝る毎日。

毎日が日曜。

曜日感覚がなくなり、いいともレギュラー人で、曜日を確認するのが常だった。暇で暇でしょうがなく、BS常に垂れ流していた韓流ドラマを見て日がな一日時間を潰していた。

 

 韓流ドラマにはホント馬鹿な作品が多い。しかし、至って純粋なそれでいてブッ飛んだ馬鹿さ加減なのである。あの馬鹿さ加減はシネコンに押されて、今や日本で衰退しつつあるB級映画に通じるものがあった。反日の韓国を叩くのはいい、しかし、韓流ドラマに罪はない。サブカル民であるネット住民こそ、韓国ドラマの保全に走るべきだ、というのが当時のぼくの持論だった。

睡眠導入役マイスリーがないと眠れなくなったのも、この頃からだった。

今でこそ滑らないバカ話として、笑いながら話せるぼくの飲み会での十八番だが、それただの自己卑下、自虐。自分の未だに高いプライドを守るための、一種の防衛行動であった。文芸部の会長が言うとおり、ぼくは肥大化した自意識の塊だ。あの二年間は決して笑えるような期間じゃなかった。

 

 その期間、ぼくは意識的、無意識的に高校時代の楽しかったこと、悲しかったこ、色々な出来事を忘れようとしていた。席次は常に学年トップで、周囲から秀才ともてはやされた当時のぼくと今のぼく。高校時代の知人、友人にもダメ人間だと認め合える琢磨たちを除き、会いたくなかった。恥ずかしかったし、情けなかった。

「恐怖は過去からやってくる」

ジョジョ第五部のボス・ディアボロは言ったが、ぼくにとっての怖い過去とは、高校時代の楽しい思い出にほかならなかった。今でさえ、フラッシュバックのように当時の映像が頭をよぎると、声を上げそうになる時もある。

そうして忘れていた高校時代。文芸部での出来事も、日記を見るまであまり思い出せなかったことを考えるに、ぼくの中ではいまだあのことは消化できてはいないようだ。

そう、あの頃のぼくは作家を目指し、日々日記を書いていた。

 先月、実家から送られてきた生活支援物資のなかに、ぼくが頼んだ蔵書とともに紛れて入っていたのがこの日記である。

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高校時代から浪人期も含め、五年分は書き込んでいる。
(そもそも親がどういった意図でこの日記を送ってきたか、それよりこの日記の隠し場所、いや保管場所でもあるぼくの部屋の猥褻図書館は無事かどうかが気になる)


この黒革の日記帳を文字で1ページ1ページ埋めていくたび、当時のぼくは作家という大きな夢の実現に近づいている気がしたものだった。楽しいことも嫌なことも、学校の愚痴やその日思いついた面白い下ネタまで、日記の内容は多岐にわたっている。

年季が入っている分、またはいっぱい書き込んでいる分、日記帳は一冊一冊ずっしり重い。


初め、仕送り用のダンボールの中に日記帳が入っているのを見たときは、触りたくもなかった。ぼくは当時のぼくに会うのが怖かったのだ。しかし、捨てられるものでもない。できれば、実家に送り返したかった。欝がぶり返し、久々に欝イートなんかもやってしまった。

だけど、怖いながらも、ぼくは当時の日記を見返さなければいけない気がした。今読まなければ、おそらくもう二度と対峙できなくなると、頭の片隅で思ったからだ。読んでいると頭に血の気が上り、奥歯を噛み締めるようなことも多々あったが、なんとか今はパラパラと目を通して読むことができる。

 

そこに散らばっていた高校時代の思い出の欠片、ひとつひとつを拾い、入念に研磨し、丁寧につなぎ合わせたら、だ。

「あれはもしかしたら青春をしていたのではないか?」

と思えるような情景が海馬から前頭葉のスクリーンの随所に映し出された。その筆頭たるのが文芸部での活動だった。しかし、今読むにアレでアレな男子高校生が書いた日記の破壊力たるや……。

 

高校時代のぼくは、校内では文芸部員として、いっかいの物書きに憧れ、日々切磋琢磨して文章を練る文学少年だった。文芸部には、園崎先輩、東原さん、そして会長がいた。あ、あと琢磨もいた(ような気がする)

そしてクラスには、筋肉バカの永臣、千里眼と宮城さん、校内一チャラいがいいやつアルフレードがいた。あ、ここにも琢磨がいた(ような気がする)

思い返してみれば、楽しかった日々だ。日記を読み返してみれば、ほとんど愚痴しか書いていない月もあるが、それでもぼくは、毎日楽しそうに見える。

リア充に非リア、ゴスにロックにレゲェ好き、cancanを回し読みするグループもあれば、月刊ムーを一人で読んでいる奴もいた。スポーツマンにオタクにヤリチン、トイレで化粧する女子もいれば、授業中腐女子物のまんがばかり書いている子、創価学会員にエホバに左翼……


今考えたら、年齢が同じという共通点だけの少年少女が、学校教育という、なかば強制的な力のもと共同生活をしていた。社会に出たら絶対口のきかないものどうし、接点すらないであろうグループの人たちとも、一緒にテスト対策として英単語の問題を出し合ったり、教師の文句を言いあったっけ。

その空気感や感情。

あそこを離れた今だからこそわかる、その時期の大切さ、短さ。

 

よく周りの大人たちからは、

「今のうちにいっぱい遊んでおくんだぞ。」

「今が一番楽しい時期だな。」

「後悔内容に、貴重な青春を走り抜けよ」(激寒)

などといらんことをよく言われたものだ。


「若いからなんだと言うんだ。こっちは学業に、つまらない学校生活に、少ない小遣いに、門限に、人付き合いに、物理的行動範囲に……何よりも子供だから、お前ら大人のこういうクッソ陳腐なお説教を最後まで聞かないといけなくて、自由もクソも肝心ねぇんだよ!」

と内なるパンクスの血が騒いで、言い返してやりたかったが、そこは毎回紳士的に抑えていた。

自由なことが多くてたくさん本が読める、好きなことができる、ぼくは早く大人になりたくて、いつも先走って、生き急いで、背伸びばかりしていたのかもしれない。


「我々は自由の刑に処されている」


とフランスの実存主義哲学者のサルトルは言ったが、まさにそのとおりで、大人には制限がない。可能性は無限にある。しかし指標が何一つない。そんなプロットのない大人の生き方こそつらく、厳しいものなのかもしれない。大学生になった今、その言葉の重みを感じる。


あの頃は、ただ毎日、へいこらへいら自転車をこいで学校に通ってさえいれば、それだけでよかったのかもしれない。型にはまってはいたが、夢というものがあり、毎日それに向かって生きていただけだった。


「俺は何をしなければいけないんだろう?」


「俺は何をするべきなのか?」


と考える必要などなかった。形ではそりゃ、殺める若者なんてのも演じてみて、悲劇のヒーロー症候群に浸りながら知的オナニーを楽しんだりもした。それは日記の随所にも見られる。三島由紀夫と当時の自分を重ね合わせた2006年11月25日の日記でも読もうものなら、

「三島イズムを持って死ね!」

と叫びながら、当時のぼくの下腹部日本刀でを切りつけたい衝動にも駆られる。

文学書年特有の悩みごっこはすれども、ただ当たり前のように淡々と流れてくる宿題をこなせばいい毎日だった。

しかし、今は違う。 

日記を読んでいると、無意識に自然と机を足で強く蹴ってしまうことが多々あった。髪の毛を抜いてしまっていることもあるし、親指を噛んでいたこともあった。やはり、読んでいて辛い内容、辛い期間というのはある。(会長が3年生の年、2007年の冬が特に厳しかった)

それでも、日記を読んでいくうちに、ふつふつと

「また書いてみたい」

という感情が生まれてきたのも事実だ。太宰治が体現したように、書き手自身にとって辛い経験こそ、物書きにとっていい題材はない。日記を読んでいると、当時のぼくから、書く事に対するパワーをもらったような気がしないでもない。(この表現が激寒なのは認めよう)

思い出したくなった。文字で表現したくなった。これからは、灰色と化していた高校時代の奪還のため、高校時代の思い出を、日記を元に、もう一度、繊細に、何も起承転結のないその文芸部の思い出を中心に、プロット無しで、つれづれなるままに書いてみたいと思った。

 無論、若者の青春小説にありがちな、めくるめく桃色遊戯が繰り広げられることなどないので安心していただきたい。書き手であるぼく自身が、最近友人に彼女を一日預けられたぐらいの安牌系男子なので、其の辺はムーディーズAAAの格付け保証付きだ。


もしそういった不埒な描写を期待して読む人がいるなら、悪いことは言わない、ほかの人の書物、ブログをご覧なさい。恋空セカチュー君届、世間にはそういったお手軽で、気楽で、愉快な書物が溢れている。

何も好き好んでこんな喪臭い日記を読むことはない。読了した暁にはファッションセンスが減退し、女の子と上手く話せなくなり、少し音痴になること折り紙つきである。ぼくとぼくがそれを保証する。

 

しかし、それでも敢えてこの日記を読む人は、貴重な経験をするだろう。といって具体例を出せないところがツライが、何か貴重な経験をするはずだ、たぶん。

 

このブログで書くことは「ぼくと書くこと」についての話である。


(2006年、10月3日、高校一年生時の日記を元に執筆)