――それより何か面白い話してよ。すべらない話とかないの?
その日も、大学の友人と講義をサボってファミレスでうだうだと時間を潰していた。ぼくが最近読んだ本の話をし始めると、友人は決まってこの質問をしてくる。
「すべらない話、ねぇ……。日々の生活に笑いがないってわけじゃないんだけど、話となるとどうも思い浮かばんな~」
「何かないの?最近こんなことで笑ったとかさ」
「う~ん、それ自体覚えてないよ」
「つまんねーの」
そしてまた、ぼくの読んだ本の話に戻る。だいたいいつもこんな感じだ。
でも、その日は少し様子が違った。
「お前さぁ、就活の面接練習とかってしてる?」
「いや、いまは試験対策で手一杯だから、まだだね」
「最近じゃあ"すべらない話"を聞いてくる所とかもあるらしいよ」
「すべらない話を?就活で?それって民間だけでしょ」
「いや、それがどうもそうじゃないらしんだ……」
その日の夜、ぼくはなかなか寝付けなかった。
――すべらない話……なぁ
テレビで芸人たちがやるような、身振り手振りや擬音など、高度なものを要求するレベルとはいかないまでも、応募者のコミュニケーション能力、感性、および現在いる環境を知るために、こうした自由作文系の質問をするところが増えているらしい。
――ありません、じゃあ、ダメだよなぁ……
ムクリと万年床から起き上がり、パソコンを起動させWordを開いた。ユーモアのセンスがからっきし無いというわけではない。元をたどればチャップリンやビートたけしから学んだ笑いの方程式が、ぼくにはある。高校のクラス文集では、2年連続「クラスで一番ユーモアがある人」に選ばれたことだってある。
ただ、この6年の間で、それは枯渇した気がする。久し振りに会った同窓に、笑顔が消えたね、と言われたことがあるぐらいだ。
Wordでつけている日記を見ても、ネタになりそうな面白い出来事は見当たらなかった。今のぼくは、当時のように笑いの絶えないリア充コミュニティに所属しているわけでもなく、何より外に出ない。面白いことの大半は部屋の中、頭のなかで起こっているような毎日だ。面白い出来事に遭遇する機会が、滅多にないのだ。
1時間ほど書いては消して、書いては消してを繰り返していると、ひとつ、ある出来事を思い出した。今からちょうど一ヶ月ほどまえ、実際にあった事件。
ぼくの幼なじみの友達が、自殺に失敗したという話だ。
彼は幼いときから、何事もそつなくこなす事ができる、いわゆる秀才タイプの人間だった。文系ばかりだったぼくの友人たちのなかでの、唯一の理系であり、研究者となるべく、大学では一般的に就職には不利と言われている物理学科に進んだ。
自らの才能を頼りに、狭く険しい研究者への道を進もうとする彼の姿は、僕らには眩しくもあり、危なっかしくも映った。
彼は少々メンタルに問題を抱えていた。
そして僕らの予想通り、彼は在学中何度か自殺未遂を起こした。最初は処方薬を貯めこんでのOD、次に飛び降り未遂(これは市庁舎屋上での水際の説得でなんとか回避できた)、その次にリストカット……数え上げれば切りがない。
理由はどれも「将来への漠然とした不安」というこれまた漠然としたものだった。そのためか、これら自殺計画も幼稚なものであり、だからこそ未遂で済んでいたのだと思う。
しかし、先月の彼は違った。
――もういいや、全部全て終わらそう
自殺サイトを巡り用意周到に計画を立てた。月の生活費の6万を全額使いその道具も揃え、加えて主治医と親宛に遺書まで書いて投函した。背水の陣で、彼は今回の自殺に臨んだのだ。
そのとき取った自殺方法というのが、ヘリウムタンクとポリ袋を使ったヘリウム自殺というやつだ。詳しくは書けないが、ある方法で高濃度のヘリウムを長時間吸引すると、酸欠で意識を失いそのまま楽に死ねる、というのがその概要だ。
初期費用が高額なことを除いては、練炭よりも簡単に出来る方法とあって、最近その界隈では人気のある方法なそうな。
(図解するとこんな感じ)
友人は不退転の決意で、酸素含有率が最も低い、業務用の純正ヘリウムタンク(4万円)を海外から購入した。今度は怖くなって逃げ出さないように、クスリと酒で理性を殺してから、実行に移した。
ポリ袋を頭に被り、ヘリウムガスの吸引をはじめる。視界はポリ袋のせいで不明瞭だ。呼吸は不思議と苦しくない。心のなかでカウントダウンを始める。
そのとき、一秒一秒がとてつもなく長く感じた、と彼は後日ぼくに言った。
――失敗したらどうしよう。後遺症が残る可能性もあるって書いてあったな
――例の手紙については、親にどう説明しよう?精神病院に入れられるかな
――本当に死んだらどうしよう……
酒とクスリでグダングダンなはずの彼の頭を、不安は高速で駆けまわった。
――もう20秒経った、まだ生きてる
――もう30秒経った、まだ生きてる
――もう50秒経った、そろそろ……
何秒たったころだったか、彼は頭からポリ袋を剥ぎ、床にうつ伏せになっている自分に気づいた。その自分は、不甲斐なさと恐怖で、オンオンと声を上げながら泣いていた。
彼がぼくに電話したのが、ちょうどその時だった。
「はい。もしもし?どうしたの急に?」
――オ~ン↑オンオン↑ オ~ン↑オンオン↑オ~ン↑オンオン↑ オ~ン↑オンオン↑
電話口から聞こえてくるのは、夕方のニュース番組の特集でよく耳にする、万引き主婦のあの声だ。
「えw?何?ボイチェン?イタズラかよっwwwww」
――オ~ン↑オンオン↑ オ~ン↑オンオン↑ オ~ン↑ ゴメン……オ~ン↑オンオン↑
「え?何!?マジでどうしたの……?…wwwwww」
――ヘリウムデ…シッパイシテ…キャゥン~↑
「ちょいまちwwwwwwwwwwwwマジかwwwwwwwなんかゴメンwwwwwwwww」
馬鹿みたいに甲高いその声は、彼が語る陰鬱な内容とはあまりにもかけ離れており、終始ぼくは笑いっぱなしだった。「人の自殺未遂を笑うな!」と彼はお冠だったが、あの声で怒られても余計火に油、こっちが酸欠になるんじゃないかってぐらい笑ってしまった。
でも、彼のヘリウムが切れる頃には、ふたりしてしくしく泣いていた。
「この出来事をどうにかしてすべらない話に落とせないかな?」
翌日、いつものファミレスで、ぼくは大学の友人に上記のプロットを見せた。
「たしかに面白い話だけど……ダメだね。」
「え?なんで?ちゃんと声マネとかもするよ?オーン↑オーン↑ってw」
「第一、”自殺”なんてネガティブなワード、面接で口にしていいわけない」
「そんな、結婚式じゃあるまいしぃ」
「それに、わざわざすべらない話で、そんなブラックな話をチョイスするキミの人間性が疑われるよ。加えて、友人の自殺未遂報告を笑って聞いていたってなんだよ、それ」
「そうかな~、別の話探すかなぁ」
「そうした方がいいと思うよ。なんならイチから作り上げてもいいんじゃない?」
そういうことで、この話はお蔵入りとなった。成仏のため、ここに載せておく。
"とんでもない悲劇でも笑いにすることで、人生は生きる価値のある虚構となる"
とチャップリンは言ったが、その笑いは舞台を選ばなければいけないらしい。
後日、このプロットをすべらない話に落とし、お見舞いがてら入院中の当の本人である友人に話した。彼は笑いながら聞いてくれた。
「われながら面白いな、この話www」
彼の目は涙ぐんでいた気がする。
――おまえが死んだら、せっかく作ったこの話も笑えなくなっちゃうからヤメロよな~
そのとき彼に言ったこの言葉が、きっとこの話の本当のオチになるんだろうなぁ、とぼくは思った。