文体と悪癖

 ここ数ヶ月、あまり本が読めていない。忙しいからではなく、読む元気が無いからだ。講義中、昼食時間、寝る前、どんなに時間を使っても1週間に3冊、これが限度だ。新書もあまり読めなくなった。読むのは太宰かエッセイぐらいだ。そのせいで、文体もこうおかしい。 
  
 前日のブログには、その影響が顕著に出ている。私小説でありながら、主人公の「ぼく」と作者の「ぼく」が出てくる、というのがまさにそれ。道化の華、に見られる太宰の人誑し文体だ。でもこれは、発明者の太宰だってドストエフスキーのパクリだということを書簡の中で認めている。ぼくがパクったって問題はないだろう。 

 先月、この文体をつかって2本、短編を書いて某創作サイトにアップした。評価はまずまず。ただ、コメントがたったの10件しかついていなかった。これにはまいった。背伸びせず、いまはもっと軽いものを書いていこうと思った。それに、この文体を使いすぎると分裂症、パラノイアの傾向が悪化しそうな気もする。実生活でも、自分の動作一つ一つに、ト書きで講評をつけるクセができてしまった。なので、これからは健全な文体に戻したいと思っている。 

  いつまでも「ワナビー」と嘲笑されないように、今年中には、一作、いいものを書き上げたいと思っている。