文学少年の話

 小学6年生のとき、ぼくのクラスには深々と黒い瞳をした、静かで大人びた男の子がいた。小学生にしては低く、それでいて澄んだきれいな声の子だったが、 ほとんど無口というもので、いつも静かに本を読んでいた。医者の子どもで、母を早くして亡くしているということが、彼の静かさと落ち着きを納得させた。

 

 ぼくと彼はお互い視力が低かったので、席替えでは常に黒板に近い席だった。そのため、席が隣同士になることが多く、また給食の班も一緒だったため、仲良くなるのに時間はかからなかった。

 

 ある日家庭科の授業で、家族構成を書かされたことがあった。隣に座る彼の紙をのぞくと、母の年齢が28歳とあった。ぼくは、彼の父が再婚したことをそのとき知った。この事実を知っているのは、きっとクラスでぼくだけだったと思う。それを知ってからというもの、ますます彼が深い水の底に静かにじいっとしているように、ぼくは勝手に思い込むようになる。彼を通じて、ぼくは文学少年というものを初めて知った。


 当時のぼくは御多分に洩れずただのガキだったので、休み時間ともなれば友だちと球技をしに校庭に飛び出したし、話題の主な内容といったらゲームのことだったり、クラスのうわさ話だったりした。ただ、ぼくは彼の前では目一杯背伸びして、自分なりにオトナらしく振る舞おうと努力していた。彼の話題に付いていこうと、本も頑張って読むようにした。

 

 いつだったか、彼はヘッセの「車輪の下」のあらすじを、とても静かに、よく整理されたことばで話してくれたことがあった。ぼくは少年ハンスの苦悩よりも、 彼の低く澄んだ声に魅力を感じていた。加えて、語り手である彼に、「継母にいじめられている不幸な少年である」という勝手な妄想が重なり、そのイメージが彼の話にさらなる奥行きを演出していた。ぼくは人と一緒にいて、かくも穏やかな時間が流れうるということを経験した。


 ある日の下校途中、彼の家に誘われた。ぼくは継母に好奇心がいっぱいだったと思う。それは、インターホンの音色までどこか気品のある、大きな塀に囲われた一軒家だった。彼がインターホン越しに、女性の声と二、三ことばを交わすと自動で玄関の鍵が開いた。間違いない。ぼくの好奇の対象は今この家にいる。ぼくの気分が高まった。

 

 玄関を上がると、彼にリビングまで案内された。彼は真ん中のテーブルに座ってじいっと黙っている。ぼくも、彼の横に座ってじいっと黙っていた。その時、彼女が部屋に入ってきた。両手でお盆を支え、そこにはショートケーキと紅茶の入ったカップが置いてあった。彼女は少し嬉しそうな様子でぼくに挨拶し、ぼくは軽く会釈した。

 

 好奇の対象は鼻筋にスッキリ通ったたいへんな美人であった。医者の後家さんになるぐらいなのだから、器量の良さは事前のイメージ通りだ。しかし、頬がかすかに赤く幼さ残る丸顔は、意地悪な継母の外見というよりはむしろ虐められるシンデレラのそれで、薄幸そうな感じさえした。こればかりはイメージと真逆なものだった。


 たいへんな美人は、ショートケーキと紅茶をぼくらの前にそれぞれ並べると、空になったお盆を胸元で抱いたまま立っていた。壁にかかった時計をじっと見つめている息子をどう扱ったらいいかわからないようであった。ぼくは、あいにく生クリームが嫌いなのでショートケーキに手を付けられずにいたが、その沈黙はなんとも気まずいものだったので、熱い紅茶をズルズル飲んでは、何度も彼に目配せをした。彼はそれでも黙って時計を見つめるばかり。ショートケーキはおろか、紅茶にさえ手をつけようとはしなかった。

 

文学少年のその態度は反抗的というものでもなかった。 ただ、困っているようだった。たいへんな美人も困っているのである。ぼくも困っている。


 それから、ぼくは彼の部屋に寄って、天体望遠鏡で遊んだり漫画を少し読んだりして帰った。 たいへんな美人の話題は互いに避けるようにしていたため、ふたりでいるときも会話はあまり弾まなかった。文学少年はたいへんだなぁ。帰り道、ぼくはひとりでつぶやいた。あのたいへんな美人もたいへんだなぁ、困ったなぁと、ぼくは帰り道も困っていたのである。ぼくにはわからないオトナの世界を垣間見たような気がしていた。

 

 その時、自転車がぼくの横で止まった。文学少年が新聞紙に包まれたいちごを、 ぼくに無言で押し付けてきた。ぼくは押し返した。「困るよ」とぼくは言った。「あの人がなんにもなかったからって。」文学少年はじっとぼくの目を見た。その大きな、深々と黒い目が何を表していたのかは、ぼくにはわからなかった。ただ、ぼくの理解を越えて、ぼくの理解を越えているということで、ぼくは味わったことにない悲しみとともに、新聞紙からはみ出しているいちごを受け取った。


 ぼくらは特別それ以上は親しくならなかったが、遠くで目が合うと決まって彼はオトナの人のように笑った。ぼくはそれだけでとても安心した。騒がし教室の中で、彼はいつも同じように静かにしんとしていた。

 

 将来は医者になりたい、と文学少年は言った。小学校を卒業後、彼はぼくとは違って県外にある難関の私立中学に進学したため、以来会うことがなく、音沙汰もない。facebookもやっていないようなので、いまどこで何をしているかわからないが、きっとどこかの大学で医大生をやっているに違いない、とぼくは思っている。


 クラスの卒業文集の彼のページには、「 父が経営する医院を継ぎ、両親を幸せにする」と書いてある。“両親”という文字を目にしたとき、ひとごとながらもぼくは嬉しい気持ちになった。