熟女好き

「ママの誕生日会を家でやるから!w」
ということで張り切って家の大掃除をしていた妻に、それは見つかった。

旅行用バッグの中敷きの裏面。

我ながら完璧だと思った隠し場所だった。大掃除とはいえ、そんなところ見るかなふつう。

ぼくがトイレ掃除をしている最中、妻に大声で呼ばれたので彼女のもとに行くと、ぽんとリビングテーブルに投げ出された2冊の薄い本。

「ホント嫌なんだけど、わかる?」

(あ、これはネット回線が開通する前に耐えきれなくて買った熟女系ビニ本だ…)

冷たい目で嫌悪するようにぼくを睨みつける彼女が言葉を続けた。

「エロ本ってのは百歩譲って許せるとして、わたしがとっても嫌なのがこんなババアが好きだってこと!!!」

妻がぼくの目の前でパラパラとめくったその本は、怪しい高齢女性の肌色で埋め尽くされていた。客観的にこう見せられると、とてもおどろおどろしい感じがする。だらしないお腹、深いシワ、吸いつくされた胸、なるほど、これを読むのは相当な変態だろうと他人事のように思った。

「40や50ってわたしのママレベルの歳だよ?本当はそういう人じゃないと性欲は湧かないの?」

いや、そういうわけではない。これら本はあくまでもジャンル探訪のために買っただけだ。別に熟女好きってわけでは……

しどろもどろにそんなことを言った。

「持ってるエロ本ってこれで全てだよね?だとしたら2冊中2冊、所持してるエロ本の100%が熟女系ってことだよ?!まだロリコンの方がよかった。」

ぼくには若くて可愛い妻がいる。だからロリコンとかギャル系とかは手を出す必要がなかったんだよ。でも、だからこそ、君では熟女は味わえない。毎日フランス料理のフルコースなんてのは飽きるだろ?たまには牛丼やかけそばが食べたいときもある。

おどおどしながらそんなことを言ったら、彼女が一言。

「だったらレスなのはなんでよ!」

それから一週間くらいは口もきいてくれなかった。

結局エロ本は捨てられてしまったけど、いまでも熟女系動画にはお世話になる。
妻の言うことは最もだと思う。法に触れるとは言え、子どもを産むには適した年齢、ピチピチの肌。女子中高生に興奮する方が男として健全だと思う。
それに比べて熟女ときたら、直接的な視覚で味わうには適さないワビサビの世界かもしれない。

ぼくも学生時代は、自分をロリコンだと勘違いしていた時期があり、条例抵触ギリギリの漫画に写真集に映像にといろいろ収集している時期もあった。それも今や昔。働くと同時に興味が失せてしまった。

健康的な若い身体に興奮できるのは、きっと健康の証左なんだと思う。いまああいうのを見るととても疲れてしまう。

たしかに若い女性こそ美しい。若さは価値であり、年を取るごとにその価値は減少していく。若い女性とその母を見せられてどちらが美しいかと聞かれれば、ぼくだって若い方を指差す。

でも人生は長い。人はだれしも歳を取り、どんどんどんどん美しくなくなっていく。恐れても仕方がない。

若者の色というのはとってもビビットだ。その刺激は網膜を破り脳髄を突き刺す。人生の最も美しい時期の彼女たちの姿を見ていると、焦燥感に襲われ変に傷ついてしまったり、感傷的な気分になってしまう。金閣寺は燃やさなければならない。
一方、40、50になってもまだまだ綺麗で、充分に性を謳歌している女性たちを見ていると、とても安心してしまう。

「まあ年を取ってもぼちぼち楽しく生きてるよ」

長生きするのも悪くはないな。そういう楽観的な視座を、熟女系エロコンテンツは与えてくれる。