自身も歌手であり、宇多田ヒカルの母としても有名な藤圭子さんの代表作に「夢は夜ひらく」という歌がある。
「十五、十六、 十七と私の人生暗かった」
という歌詞がすきで、よく替え歌を口ずさむ。
「七、八、九、十、十一、十二、十三、十四、十五、十六、 十七、十八と私の人生暗かった」
「十九からは?」
と後輩。
「もしかして大学デビューしたとかw?」
「十九、二十は宅浪期間だったから無」
二十一で大学に入ってからも、それからも孤独で人生は暗かった。
「中断を挟んで結局二十二まで人生暗いよ」
「いまは暗くないの?」
「明るく振る舞わないといけないので」
「変なの」
不満そうにそう言った彼女こそ、その半生は暗い。
彼女の家庭環境はぐっちゃぐちゃのめっためたで、思い出に残る両親の姿はすべて喧嘩している、と彼女は言う。
父の度重なる暴力と女遊びが原因で、両親は彼女が12の時に離婚した。母はいっつも家にこもり、お酒を飲んではしくしく泣いてた。
「お父さん稼ぎはよかったからさ、お金はあったはずなんだよね」
襖は破れごみは散乱しお風呂は故障。家は荒れ果てており、彼女は家庭の味というものを知らない。
いつだったか、彼女から「どうぶつの森」に関するエピソードを聞いたことがあった。
――小学校の時にさ、クラスでどうぶつの森が流行ったことがあってね、
わたしもどうぶつの森が大好きで、欲しかったんだけど
親にゲームキューブ買ってって言えるような家庭環境じゃなかった。
今思えば子供ながらに気を遣ってたんだと思う。
だから、友達にお願いして彼女の家でどうぶつの森やらせてもらってたんだけど、
頻繁に通いすぎちゃってさ、嫌われちゃったんだその子に。
それからなんか学校がおっくうになっちゃって
ずっと家でひとりでどうぶつの森ごっこしてて遊んでた。
お皿の破片とか落ちてて、ママのうめき声が聞こえてくる部屋でさ、
理想のお家を作ってごっこ遊びしてたの。
「わたしは非リアだった」
と彼女。そういう次元の話ではない。
「先輩はさあ、人生暗かったという割にはパンチのあるエピソードないですよね?」
「たしかに絵になるようなエピソードはないけど、イジメられないように、透明人間になるので必死で、苦しかったっすね…」
”透明人間”というフレーズをこの頃よく使っていた。
思春期のあの時代を形容するにはぴったりな言葉だと思っていた。
「わたし、息をしていなかったんだと思います」
とある人は言った。
耳に残って離れないそのフレーズが透明人間にとって代わった。
――先輩は最近調子が良さそうでいいですね。わたしは常に今が一番苦しいです。
そんなことを話していた後輩が、この春に結婚するらしい。この会話をしていたときにはもう婚約まで済んでいたというから驚きだ。
「婚約までしといて何が今が一番苦しいだ」
とも思ったが、彼女ができ、婚約し、結婚しても、まだうまく息ができないぼくも他人事ではないことを思い出した。
歌手、藤圭子さんの生涯は波乱万丈だった。
若くして天才歌手として成功するも、一説には自身にも周囲にもストイックな姿勢があだとなり芸能界を干され、28歳にして一線から去ることになる。
再びスポットライトを浴びたのは、娘ヒカルのデビューのときであった。
十五、十六、十七と 私の人生暗かった
の後に歌詞はこう続く。
過去はどんなに暗くとも 夢は夜ひらく
2013年、藤圭子さんは63歳の若さでこの世を去った。自殺だった。