思い出ばなせない

 6月ごろになると よく港で船を見ていた。 母には図書館で勉強してくると半分嘘をついて。

 

 何でもない、月曜日以外の平日の昼間。図書館が開館するくらいの時間、自転車で家を出る。 江國香織よしもとばななあたりの小説を適当に2冊くらい手に取り、カウンターで貸し出しの手続き。

 

司書の女性はぼくの家の近所に住んでいる。平日の昼間、ぼくが家の周りをふらふらしていると、洗濯物を干していた彼女がベランダから挨拶してくれたことがあった。図書館に勤め始めまだ数年の若手さん。ぼくは少しきまりの悪い思いをしながらも、彼女に挨拶を返した。

図書館のカウンターに彼女が立っていれば、後ろに並ぶ人がいなければ少し雑談に興じたりもした。

 

 

 港の、フェリーの出入りがよく見える防波堤へ腰かけて本のページをめくる。 人通りも少なく、特に誰かに見咎められることはなかった。 たまに横で釣り糸を垂らす釣り人と話すことはあった。 天気とか最近の釣れる魚とか何でもない話。

 

ぼくは大学生で今日は授業がないのだ、という嘘の言い訳をいつも準備していたけれど、それを話す必要がある事態は遂にやってこなかった。 釣り人たちとは、むかし父に連れられてしばしば早朝にイカを釣りにいっていた話なんかをぽつぽつとした。

 

 図書館の中庭、港の漁業協同組合事務所のベンチ。昼ご飯は母が作ってくれた弁当を食べた。それと炭酸水。毎回「親不孝だなぁ」と思いながら食べていたので、味はあまりしなかった。

 

 

 ある死にたくてたまらない夕方に、筑波の友人に電話をかけていたのも、その港の公衆電話から。電話ボックス、立ったままでの電話なので長くなると足がしびれてくる。左右に体を振りながら、死にたくて死にたくて辛いんだ、とか、沖縄に帰ってきたら会おうね、だとか。

 

よく覚えていないけれど、5時の音楽が流れるころに、お互い電話で怒鳴り合って喧嘩みたいになったこともあった気もする。

夕焼けがきれいで、写真を撮ってはよく友人に送った。

 

波止場に座って、海に向かって足をぶらぶら。家に帰りたくない日なんかは夜までそこにいた。暗くなると不逞外国人や地元のヤンキーがたまるようなところなんだけど、一度たりとも彼らに絡まれるようなことなんてなかった。港の話はこれでおしまい。

 

 

 あの頃のぼくは、いつもアレのことばかりを気にしていた。焦っていた。若さの浪費。ただエッセイを読んだり海を見たりして時間をつぶしていたのは、一種の自傷行為だったのかもしれない。そろそろ誰かに怒られたい、と毎日思っていた。

 

 

 

 昨夜、妻とその父とご飯を食べた時、学生時代の部活の話とか、ゼミの話とか、交友関係の話とかになった。華やかな彼らの話を聞いた後に、「ぽきたくんはどうだったの?」と急に振られたものだから、とっさにその場でこしらえたウソの青春話をしてしまった。

 

その話には健康的なスポーツが出てきて、健康的な家族、友人、健康的な初恋なんかが出てくる。

自分の理想としていた青春ってこれだったんだろうな、と話しながらに思った。我ながらあまりの俗っぽさに呆れ、へらへらしながら妻と義父にウソを話し続けた

 

あまりに無難すぎる青春の話だったせいか、それとも彼らがぼくの卑しいホラに気づいたためか、話はあまり盛り上がることもなく話題は別の方面に流れる。

 

 

 今でもたまに陰鬱で閉塞感しかなかったあのころを夢に見る。絵にも詩にもならない、妻にも話せないような後ろめたい時期の思い出。きっと誰にも話せず死ぬのだ。

あの日々はすべてが愛おしく素晴らしかった。