「自治労の正体」 ー 森口朗

 

自治労とは

自治労とは地方公務員で組織する公務員の労働組合であり、その組合員数は公称80万人にのぼる。旧民主党の支持母体であり、共産党を除く日本の左翼勢力の中核に位置する。

本書では、元都庁公務員である作者が、その公務員時代の実体験をもとに、この自治労を叩いていく。

 

批判点は主に以下の3つ。

1.公務員の政治活動について

2.公務員の待遇について

3.自治労の政治姿勢について

 

感想

ぼく自身、公務員労働者として自治労のいち組合員であり、Noと言えないオタク顔なので、いろいろな組合のめんどうな動員(国会前に行ったりするやつ)や署名活動に携わってきた。

 

その活動に従事するなかで、自分なりに活動の意義や組織の存在自体に疑問を持つようになり、頼ったのが批判的に自治労を分析する(ように見えた)この本だったんですが、はっきり言って実話bunkaタブーレベルのお粗末な内容でした。

 

朝日新聞による偏向報道」を批難する内容から始まる書き出しの時点で、「ん……?」と不安を感じましたが、全編を通じて「右派の視点で売国的な政治思想を持つ自治労を叩く」という姿勢は貫かれており、「土日の休日や有休を使って公務員が辺野古の基地反対デモに参加することに納得できない。」という著者の主張に至っては、優しい目になってしまった。

 

ぼくが読みたかった論点

 

1.労働者としての公務員の立ち位置

賃金を含む労働条件は、労働者と使用者の労使交渉によって決められるべきであるという労働関連法規上の大原則と、公務員給与は立法府によって決定される(公務員給与は一律民間の平均であるべきだ)とする財政法定主義の対立。

 

 

2.労働組合が政治運動をする意義

財政法定主義から導くまでもなく、公務員の賃金などの労働条件は、行政の長やその監査機関である議員に大きな影響を受ける。そのため、「給与を上げてほしい」や「残業時間を減らしたい」といった要望を通そうと思えば、政治家である彼らに働きかける必要が出てて来る。

 

また、道路から教育から生活保護から戦争まで、公務員の業務は日常のあらゆる範囲に及ぶ。労働組合の意義のひとつに、勤務環境や仕事内容を決定する上層部の企画業務への介入というのがある。

 

ふるさと納税は税の現場と財政規律を破綻させる。廃止すべきではないか」

「子供を戦地へ送るような教育はしたくない」

生活保護の受給基準をもっと緩くすべきだ」

 

等々の思いを現場で抱えていても、法律で決まっている以上はその納得できないマニュアルに従わざるを得ない。公務員の業務範囲は森羅万象であり、それぞれの現場にはそれぞれの現場の思いがある。

 

「こうだったらもっと楽に仕事できるのに」

「悪いことをしているようで、まったく仕事にやりがいがわかない」

 

そうした現場の声をマニュアル、つまり法令に反映させるためにはやはり政治活動しかないのだ。

 

しかし、法律の執行者である公務員が、大きな声を出しその策定にまで関わってもいいものなのだろうか……?

 

 

3.自治労の政治姿勢

自治労、根が左翼のぼくから見ても左翼臭い。反ヘイト運動や護憲運動に安倍ネオファシズム独裁政権(この表現好き)への反対運動、それって"労働組合"として必要?

ぼくと同世代の公務員たちはみな、この政治色を嫌う。

 

「なんで毎月の給与から徴収された金が立憲民主党なんかに”献金”されてるんだよ」

 

というグチをよく聞く。本当にそうだと思う。

 

「なんで貴重な土日”動員だ”なんて言われて反安倍集会に参加しなきゃいけないんだよ」

 

というグチもよく聞く。本当にそうだと思う。

 

自治労の、この偏向的な政治色に拒絶反応を示す組合員や非組合員はとても多い。公務員バッシングが未だ止まらず、本書のような本が出回る一因には、公務員労働組合の偏った政治姿勢が右派からの反感を買う、というのがあるのは確かだ。

 

また強い特定の政治臭が原因で、組織力は低下の一途をたどっており、組織力の低下は組合の労使交渉力の低下、つまりは労働条件の低下を意味する。

 

 

組合員の労働条件の向上が組合の第一義であることを考えると、政治ごっこのしすぎて労働条件の悪化を招いているようでは本末転倒である。

 

ヘイトや反原発や反憲法改正だと戦線を広げているようでは、公務員の労働条件を攻撃する敵を増やすばかりか、味方であるはずの異なる政治思想を持った公務員たちとも団結を難しくする、とぼくは思う。

 

果たしてそんな危険を冒してまで、自治労は左翼勢力に肩入れすべきだろうか?

 

おわりに

前にオフしたツイッターの組合員、彼女が今度転職に伴い上京するらしい。

彼女は同世代にしては熱心な労働組合員で、イベント参加のための上京のたび、田町のカレー屋や五反田のカラオケボックスで「組合のあるべき姿とは」みたいな青い話をした。

 

「旦那とも離婚しました」と彼女は言う。

 

転職先はAmazonシステムエンジニアで年俸は初年度800万。離婚の原因は自身の不貞行為で慰謝料300万。

 

労働組合という、大きなものへおんぶにだっこの寄生組織の活動に熱心で、狭山事件の再審請求デモや反原発勉強会に参加していた彼女は、気づけば反組合・外資系のど真ん中のAmazonに転職していた。

 

 

今ぼくはいろいろなものに妥協し、本腰を入れて生活をしよう、人生を進めようと考えてたとこだ。

公務員の仕事も腰掛ではなく、妻とのこれからの生活を考え骨を埋める覚悟で取り組む。そのためには、労働組合との付き合い方も考えなければならない。

流されるままに労働組合、ではなく、ぼくは主体的に選択をして労働組合への姿勢を決めるんだ、と。

 

そんなとき、彼女の離婚発表とAmazonへの決意表明のツイートを見た。

「自分の可能性を試してみたかった」

この言葉を見たとき頭がぐらぐらした。

 

 

早くぼく自身が組合に対する立場を決めねば、と藁にも縋る思いで手に取ったのがこの本、なんだけど、本当にひどい本だった。