ガヤガヤした活気のある居酒屋でドンチャン唾を飛ばしながら数名で騒いだあと、サシの3次会では落ち着いたバーでしっぽりと飲んでるとき、相手のオタクがぽつぽつと話す学生時代の思い出話。
「別にイジメられていたわけではないんだけど…」
で始まる、愛されキャラとして、クラスや部活のみんなに"イジ"られて過ごした学生時代の思い出話。ぼくはこれが堪らなく好きだ。
オタクが話す「別にイジメられていたわけではないんだけど…」な話。そんな導入で始まる話は十中八九ヒドい虐めの話。
イジメられていたと思われたくない卑小なプライドなのか、それとも本当に「イジメられていた」と認められない防衛本能なのか、その理由は人それぞれだ。
「別にイジメられていたわけではないんだけど…」
のフレーズを聞くたびに、これからどんな楽しい話が聞けるのかとゾクゾクする。
先日お宮参りを行った関係で、ぼくの母親が沖縄からコッチに来て一週間ほど泊まった。
のんちゃんの面倒を見てくれたり、妻に代わって料理に掃除にと大活躍だったのでとても助かった。
妻も久しぶりに銭湯に行けたことや4時間以上寝れたことが嬉しかったらしく、終始上機嫌。妻は姑であるぼくの母とは上手くやってる。
のんちゃんが寝たあとは、よく妻と二人でぼくが新生児だったときの話を母から聞いていた。
ぼくは食欲が旺盛な新生児だったらしく、体重は医者に「異常だ」と言われるラインまで増えていたらしい。聞けば妻にも似たようなエピソードがある。だから、きっとのんちゃんも食欲ブリブリに違いない。
肌が荒れてたら放置せず小児科に行き、処方されればステロイド外用薬でも恐れずに使うこと。この時期の肌荒れはアレルギーの発症に繋がるので。
そうなんだ。と妻。
ぼくと妻はオンチだし運動神経も鈍いので、間違ってもチアリーダーになるような女性には育たないだろう。漫画研究会かジャニーズの追っかけとか、かな。等々。
すると、母から「あなた踊り下手だったっけ?」と。「ん?ヘタも何も忌避してるから踊りについてのエピソードもないじゃん」と答えると、「いいえ」と母がぼくが小学6年生のときの学芸会の話をしてくれた。
「だってあの時あなた楽しそうに踊っていたじゃない。みんな笑ってたしとっても上手かったよ。」
小学6年生の学芸会で、確かにぼくはみんなの前で踊っていた。当時流行していたバラエティ番組『ワンナイ』に登場する宮迫博之扮する"轟さん"の格好をして、マジックペンでのメイクとタンクトップ姿で。
確か……あれは当時の学芸会の劇(沖縄戦の悲劇を描いたやつ)の一場面として、何か笑える要素も入れようという話になり、クラスのお調子者たちが
「オレたちが轟さんのマネをして踊る!」
というバカみたいな案を出したのが発端だった。ぼくは別にそのグループに所属していたわけでないので、踊る気なんてさらさらなかった。
が、どうしても人数が足らない、ということで、陽キャにも陰キャにも交友関係が広いイジられキャラのぼくに白羽の矢が立ち踊るグループに入れられた。
ワンナイの放送日時は水曜日の22:00-22:30で、その時間は父がニュースステーションを観てる時間だったから、ぼくは轟さんどころか大人気番組の『ワンナイ』すら知らなかった。
父に「今度の学芸会で、宮迫博之扮する轟さんのマネをしなくちゃいけなくなったからワンナイを観せてください」とお願いすることなんてできず(引っ込み思案なこの子が…、とイジメを心配されるため)、放課後お調子者グループの長みたいな人から見たことのない轟さんの指導を受ける日々が続く。
小学生にとって、全く違うグループの中で放課後を過ごすのはとっても苦痛なもので、気分は捕獲されたエイリアンそのもの。(両脇の大人に手を掴まれているやつ)
早く帰りたい一心で踊るものの、その必死さと貧弱な体躯のタンクトップ姿のせいで、コミカルよりも惨めさが際立ち、「マジメにやれよ」の連発。
「お前のせいで俺たちまでスベった感じになったらクルサリンドウ(沖縄の方言で「殺す」の意味)」とすら言われた。
これじゃあ埒が明かない、ということでお調子者グループの長みたいな人の家に連れて行かれた。
イジメのせいで性根が腐ってたぼくは、小学生の頃からコンビニで実録系の、今で言うところの闇金ウシジマくんみたいな漫画ばかりを読んでいたので、「あ、これ足立区のコンクリート事件で見たやつだ。先生の目が届かないメンバーの家の中で輪姦されて殺されるやつだ」とまで思った。
彼の家は3階建てと大きく、5人家族だというのに彼の部屋が2つもあった。その中の一室で彼が録画して撮り溜めてある「ワンナイ」をみんなで観た。話で聞くより面白く、中でも宮迫博之扮する轟さんはずば抜けて滑稽で面白かった。イジメっ子グループと一緒になってゲラゲラ笑った。初めてのワンナイだった。
家の中での彼らは学校とは打って変わって優しかった。彼のお母さんはケーキや紅茶まで出してくれた。
お調子者グループはどいつも性格が悪く素行も悪い。その日までは「アイツら荒れた家庭なんだろ」と思い込んで憂さを晴らしていたが、全然そんなことはなかった。何ならぼくの家庭よりも数倍も良い生まれだ。
教育に厳しく、ゲームを買ってくれないどころかワンナイすら観せてくれないぼくの父が、こんなやつのお父さんの半分の半分の半分も稼げてないのか……、と思うとむしろ父がかわいそうに思えてきた。
結局、ぼくは彼のお家で輪姦された挙げ句コンクリート詰めにされることもなく、何なら彼のお母さんからお土産まで貰い、その日はひとり家に帰った。その他メンバーたちは泊まったらしい。
帰り道、何だか惨めで泣いてしまった。
それからも放課後は練習の日々が続き、本番当日を迎えた。本番では、一緒に踊るはずだったお調子者メンバーが1人残らずインフルエンザ罹った、というトラブルがありながらも、無事ひとりで大役をこなす事ができ、大きな笑いと拍手に包まれてぼくの踊りは終わった。
お母さんはあの時のぼくの踊りに感動していたらしいことを、その日18年の時を経て初めて知った。
「ぼくがやります!って自分で進んで手を上げてやって、とても上手かったよ」と母。
全くもって忘れてた、忘れようと努力してきたことを、思い出させられてあ、あっー!あー!!
「ヤーモオドレ,デナイト タックルスヨ(お前も踊れ、でないと殴るぞ)」
と言われ踊ったあの踊りを、母が息子の自慢話として妻に語ってる姿はキツイものがあった。
お母さん、想像を下回る子でゴメンナサイ。
と心の中で何度も謝った。
もしかしたら、母も「真相は大体こんなもんだろう」とわかってるけど、そう思いたくなくて都合よく解釈してるだけなのかもしれない。
まぁ、別にイジメられていたわけではないんですが……