居残り勉強の思い出

行ったことない異国における王侯貴族の序列関係の話や、上流階級の食生活の話をよくする子で、「板金屋の娘がそんなところ縁もゆかりもないだろう」と内心思いながらも、ウンウンと興味のなさそうな相槌を打って、話を聞き流していた。

 

さも話は地続きみたいな感じで、次に彼女は「今週のジャンプでの阿散井恋次の学生服姿がいかに萌えるか」の話をする。迫る合唱コンクールの話だとか、体育教師への悪口だとか、そんな生活の匂いがする話は彼女の口から聞いたことがなかった。部活動の人たちもグラウンドから撤収し始めた夕暮れの教室に、彼女とぼくふたりきりだった。

 

中学時代、2DKのマンションに家族6人で住んでいた。自分の部屋はない。家にクーラーもないような環境だったため、受験勉強はおろか宿題等も家庭では出来ず、勉強はもっぱら教室に居残ってやった。

意味が分からない校則のせいで、図書館内での勉強は厳しく禁止されており、見つかれば内申点にも響く厳しい指導があった。

16時、6時限目の授業が終わると、部活動組は部室に向かい、塾組はそそくさと教室を出る。教室に残っているのは、どちらにも属していないチョット苦手な人たちだ。ぼくもそそくさと教室を出て、図書館へ向かう。図書館には手塚治虫藤子不二雄星新一全集があり、暇つぶしには困らない。

 

1時間くらい時間をつぶし、教室に戻る。彼女を除きたいてい誰もいない。「困ったなあ」という顔を作ってぼくは教室に入る。

 

彼女は勉強がとてもできる方で、後日談になるが今は医者をしていると聞いた。小学生の時からの知り合いなのだが、小4から赤毛のアンや15少年漂流記を読むような、沖縄には珍しい教養の持ち主だった。そんな彼女からしたら、実力はともかく勉強に臨む姿勢だけはあるぼくは、野蛮な島に生きる希少な同志に思えたのだろう。

「私だったらこうするダレンシャンのその後」とか「シオンの議定書について」とか、いろいろ話してくれた。

 

小太りの便底メガネで早口な、選民思想持ちの学歴至上主義者。80年代の少年誌ギャグマンガに描かれるまんまのオタク女っぽい外見で、母親が熱心な幸福の科学の信徒ときた。

彼女とは結局何もなく、卒業後はそれっきりで連絡先も知らない。

 

西日が差し込み蜂蜜色に染まる教室で、ちょっかいを出してくる女子中学生とふたりっきり。センチメンタル補正のせいか、思い出の中の彼女の容姿は年々美化されてる。