ねこを自称する女

青春とは、華やかで、明るい、開かれたたものだろうか。それとも、かび臭くて、陰鬱な、抑圧されたものだろうか。

むろん、様々な青春があると思う。人それぞれ、時代に応じ、いろいろな環境によって。

ただ一つ言えることは、ぼく自身のそれは後者であった、ということだ。

 

コロナ禍において、修学旅行や部活動が中止・縮小されたというニュースを見るたび、悲しそうな顔で現状を訴える学生たちを見るたび、そのスポットライトが当たる彼らの影にいるであろうぼくのような人種を想い、「よかったな」と独り言を言う。

 

「そういう青春もあったかもしれない」

という存在し得ない青春の喪失に基づく幻想痛はよい。他責性があり、甘美で、妄想による補強の余地があるものだからだ。

 

ぼくの青春はというと暗く、息苦しく、苦痛が伴う。その原因はひとえにぼく自身にあるから逃げようもない。きっとあの当時に戻ってもまた、同じような青春を繰り返すのだと思うし、戻りたくもない。

 

ただでさえメンタルが弱いのに、若いころというのは誰しも感性が研ぎ澄まされたように繊細で、ちょっとしたことでも心を動かされ、とてもとても難儀なものだ。今は早く歳を重ね鈍くなりたい。

 

青春と聞いて連想するのが、宅浪をしていたときの実家の自室だったり、エロ本を集めに回っていた古本屋だったり、枯れ伏した草と霜柱に覆われた荒涼とした多摩川の土手だったりする。

 

その多摩川の土手を、知人の間で”マトリックス”と呼ばれ嘲笑された黒のレザーコートを着た、痩せ細った一人の男が歩いてゆく。何も書けないクセに、文学者然とした結核持ちのような陰鬱な風貌だ。

 

それを潔しとしていたわけではなく、人並みの青春を求めた上でのなれの果ての姿だった。

 

 

 

中央大学真法会(ちゅうおうだいがくしんぽうかい)とは、1934年に中央大学の学生の有志が設立した法学研究、司法試験等受験指導を目的とする団体である。

大学内の炎の塔(多摩学生研究棟)に研究室を持つほか、複数の研究施設を所有する。入室には入室試験(適性試験・論述試験(1次)、面接試験(2次))を要し、その倍率は、例年、10倍を超える。

司法試験の合格実績は、2019年度が17名、また2015年から5年間の合計でも68名と、学研連1位を誇っている。また、予備試験・法科大学院の合格実績においても、極めて優秀な成果を残している。

 

 

 

中央大学には部活動やサークルのほかに、大学公認の中央大学学術研究団体連合会というのがあり、その多くが司法試験に重きを置いている。

 

合格率2%の旧司法試験制度の時代において、学術研究団体員の合格率は高く、特にその中でも最も伝統のある『真法会』ともなると、在学中の合格率だけで30%を越えていたという。

 

第一志望の大学に3回も落ち、不本意ながらも中央大学に進学することになった20歳のぼくは、「ここまで来たなら法曹にでもならなしょうがない」と決意し、語学のクラス分けが行われたその日、真法会の入会試験を受けに会場に足を向けた。

 

 

試験会場は8号館と呼ばれる大規模授業用の講義棟の一室だった。8号館の中の多くの教室は、様々な学術研究団体の入会試験会場となっていたため、その中は新入生でごった返していた。

 

8号館の周辺では、多くの学術研究団体がブースを出しており、希望に頬を染めた新入生たちと、彼らの青春を灰色に染めてやろうと手ぐすね引いている団体員とで賑わっていた。

 

「研究団体に入会したら、卒業時まで毎日炎の塔と呼ばれる自主学習棟に缶詰にされる」という話を小耳に挟んでいたせいだろうか、ブースで勧誘を行う先輩たちは皆青白く、2浪したぼくよりも浪人生然として見えた。

 

「本当に研究会に入ってもいいものだろうか」

と逡巡したりもしたが、

「戦後初!私大卒の検事総長 笠間治雄 さんを輩出」

と大きな文字が書かれた法友会の看板に背中を押された。

 

2浪までして中央大学なら検事総長にでもならない限り人生取り返せない。

 

ぼくは残り短い青春を再度灰色に染める決意をした。そもそも恋愛にサークルにと薔薇色のキャンパスライフを過ごせる質でもない。

 

試験時間の関係上、真法会と法友会は両方受けることができなかったため、ぼくは真法会のみを受験した。

 

試験内容は憲法の私有財産権に関する論述問題だったと思う。20歳、沖縄出身のぼく。論じることができる憲法条文と言えば9条ぐらいしかなかった。

 

法学部生とは言え、まだ講義も始まってない4月に学部1年生が書けるような問題ではない。周囲もさぞ困っているだろう、と思い周囲を見渡すと皆ペン忙しそうに動かし必死に答案を書いている。

ぼくも何か書かなきゃ。

私有財産制の否定というトンチンカンな文章を書いた。

結果はもちろん不合格。

 

来るところを間違えたな、と思った。

 

「自分はもっと上の大学に行くべき人間だ」と、中央大学の人たちを少し馬鹿にして見ていたところがあったが、そんな傲りはもろくも崩れ去った。

 

後で聞いた話によると、司法試験を目指す人たちは、中央大学に入学が決まったその日から「真法会入会のため」に法学の勉強を始めるものらしい。司法試験、それは大学に3回も落ちるような男が、パッとした思いつきで進むべき道ではないことを知った。

 

司法の道を早々に諦めたぼくは、”SM作家の団鬼六は代用教員をしながら花と蛇を書いた”という話から「公務員にでもなって副業で作家活動をしよう」と思うようになった。

 

本を読むことは昔から好きだったので、安易に作家になろうと思った。かといって、執筆活動だけで食べていけるような自信はない。そもそもロクな執筆経験もない。そこで公務員の安定性を求めた。

 

作家(兼公務員)になると決めると急に時間ができた。

せかせか勉強しなくてもいいし、就活のための経験作りだったしなくてもいい。ただ本を読んでちょろっと文章を書いていればいい。浪人時代とは変わらない生活の再開だ。

 

こうして、当初意図したものとは別の形で残り短い青春も灰色に染めることとなった。

 

 

沖縄での浪人時代と変わった点と言えば、生活の拠点が沖縄から東京(と言っても日野市だが)に変わったことだ。

 

東京で手に入らない本はなかった。

神保町に足を伸ばすまでもなく、八王子駅前には古本屋が集中しており、沖縄では見つからなかった坪内逍遥の『当世書生気質』や、安楽死の方法を事細かく書いた『危ない28号』などの鬼畜系雑誌が簡単に手に入った。

 

 

東京ではファンやワナビーのイベントがたくさんあった。特にぼくは東京流通センターで開催される『文フリ(文学の同人イベント』が好きだった。

 

2011年の秋の文学フリマで、ぼくはあるサークルを訪れた。

目当てはそのサークルの作家だ。

大槻ケンヂ(サブカルミュージシャン)のファンサイトを調べている中で、ぼくは彼を知った。彼の書く大槻ケンヂ作品のレビューはどれも素晴らしく、ぼくの気持ちを代弁しているようだった。

 

彼が運営しているサイトには、自身が看板作家を務めるサークルが紹介されており「11月の文フリにオリジナルの小説作品を出す」と書いてあった。物書きの知り合いが欲しいと思っていたぼくは、彼に照準を合わせサイトに記載されていたアドレスにメールを送った。

 

「とても楽しく読ませてもらっています」

だとか

「次の文フリに行きます」

だとか

「過去作も買いたいので持ってきてください」

だとか送った。

 

彼からはその度毎に丁寧な返信を貰い何通か続いた。とても友好的な感じがしたので、「当日会いさえすれば友達になれるかな」と期待していたが、現実は甘くはなかった。

 

ブースに座った作家の男、それはサイトに書かれているアイコンとは似ても似つかない熊のような大男で、「メールしていた坪内です」と名乗るのを、ぼくは一瞬ためらってしまった。

 

彼も彼で、メールではあんなに友好的だったのに、ぼくに対する接客態度はとても不愛想で、お金を払うやいなや「ありがとうございました。」と会話を途中で切られ、すぐに追い返されてしまった。

 

打ち上げの参加まで期待して、わざわざ東京都日野市から2時間近くかけて来たというのにそれではあまりにも無駄骨だ。

 

流通センター内をあてどなく彷徨っていると、ひと際賑わう『江戸川乱歩ブース』が目に入った。

江戸川乱歩は好きだ。横溝正史や松本清張ほど肩ひじ張らず読めるので好きだ。性的に倒錯した変態性欲の怪人たちが起こす奇天烈な物語は、「イロモノだ」として日本文学史ではあまり高い評価を受けていないが、嫌われ者ながらも人との接触を求める怪人たちの不器用な様に、読んでいてよく泣かされたものだ。

 

そのブースで同人誌を2,3冊買い、話しやすそうなお兄さん相手に話していると、流れでその打ち上げに連れて行ってくれることになった。

そこでぼくは、彼女、猫と出会ったのだった。

 

 

 

その麗奈っていうのは辞めてください。
あまり好きな名前じゃありません。
私はねこ。


今度からねこって呼んでください。
私だけねこなのは変なので、これから君はいぬです。

 

東京はもう寒いですか?

東京に行くときは秋用のワンピースを着て向かうつもりですがどうでしょう。濃い紫のワンピースなので、ねこの顔を忘れていてもすぐ気づくと思います。

一応これがワンピースを着たねこの写真です。

 

いいですか。今度会ったときもねこですよ?

 

 

 

彼女、ねこはそのサークルの打ち上げで隣の席だった。年は17。サークルの関係者ではなく、ぼくと同じ一見さんでの参加だった。

その場で話した際は、「ねこ」なんて奇妙な一人称も使ってなかったし、「いぬ」なんて不名誉なあだ名を付けられることもなかった。

 

そのサークルは早稲田大学の関係者が大半だった。どんなにか彼らが偉く見えたろう。西洋史で博士課程に在籍している人や、実際に出版社に勤めている人など、文化人と呼ばれるような人たちが多く、少し気後れしてしまった。

彼らが話す話題は文学の話から絵画の評論の話に渡り、ぼくは自分が全く本を読んでいなかったことを自覚しビックリした。世界は広い。

 

話題は江戸川乱歩から遠く離れ、共同社会(ゲイマンシャフト)とか情熱(パトス)だとかの聞きなれない言葉が流れてくるようになったとき、ぼくは彼女を見つけた。

 

難しい話のなかで、幼い彼女は場違いのように浮いていた。『コケティッシュ』という古い言葉が似合うようなかわいい少女だ。彼女は青森に住んでいて、東京へは在来線を乗り継いで来ているのだという。

 

ぼくにしてはスゴイ積極性だったと思う。その場で彼女と連絡先を交換し、それからメールする仲になった。

彼女は奇しくもぼくと同じ苗字で、初めぼくは『麗奈さん』と名で彼女のことを呼んでいたが、2、3のメールのやり取りで『麗奈さん』は『ねこ』になり、ぼくは『いぬ』になる。

 

 

 

ねこです夜ですこんばんは。

以前は横浜に行った際に立ち寄りました。夜景がとても綺麗だったのでよく覚えてます。

 

弟がよく不貞な姉を叱ってくるのです。

この前まではお風呂も一緒に入っていたのに、今では遅く帰るねこを捕まえては「そういうのはよくない」と叱ってくるのです。

嫌われすぎてお風呂も一緒に入ってくれません。

 

江戸川乱歩邸は残念でしたが寄生虫博物館が楽しめたのでそこはヨシです。

 

 

 

文学フリマでの文化人たちとの交流以来、ぼくは世界文学と四つに組んだ。小説家になるためには、まず世界文学と呼ばれる傑作をたくさん知らなければならない、と思ったからだ。

古本屋ではエロ本の代わりに世界文学全集を買いそろえ読んだ。

しかし一向に面白さがわからない。

 

「原稿は燃えない」という名文句で有名なブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』を読んだ際も面白さが分からず、ただただ苦痛だった。あとがきを読み、どうやらゲーテの『ファウスト』がその種本らしいことを知ると、今度はファウストに手を伸ばしてみる。が、それも面白さがさっぱりわからない。これまたあとがきを読むと、ギリシア神話の前提知識が必要な内容らしく……。

 

結局、自分の知識のなさと感度の低さに落胆するだけに終わった。

 

なに、どうせぼくが書こうと思っているのは文学なんて大それたものではなく、江戸川乱歩やポーのような、カストリ小説に毛が生えたようなものだから気にはしない。

 

文学フリマへの来場は確かにぼくの執筆欲を刺激した。同人作品とはいえ、ブースに立つ作家は皆偉そうで、その周囲には彼らを慕う人で溢れていた。作家はやはりモテるんだ。

 

蛍光ペンでのライン引きや余白への書き込みで汚された世界文学全集は、古本屋での買取を拒否されてしまい、今も当時の葛藤の歴史を後世に伝える資料として、本棚の大部分を占める形でぼくの部屋に残されている。

 

 

 

いぬはたくさん本を読むんですね。

でもねこは今そんな気分ではありません。

興味ないのでやめてください。

 

今日はバイト先の先輩に誘われてサメ料理を食べに行きました。

(写真はサメのお頭に齧り付くねこです)

血も滴るいい女でしょ?

 

このサメのお頭を持って帰ると言って先輩を困らせてしまいました。

車の中が臭くなるから嫌なんですって。

もちろん、持って帰りました。

 

 

 

ぼくはねこからのメールにはいつでも1時間以内で返したが、ねこからは1日、2日経っても返信が来ないことはざらだった。

 

ねこは高校を中退しており、17でフリーターとして青森県のデパートの総菜コーナーで働いていた。一方ぼくは、履修申請を漏れてしまい講義もなく、実質ニートのような生活大学生を送る大学生。メールの頻度に差があるのはしょうがない。

 

当初は意気込んでいた執筆活動もろくに進まず、唯一書く長文がねことのメールくらいだった。世界文学との戦いも暗礁に乗り上げたため、時間だけがあった。

 

書きたい作品についての構想はあった。

架空の事件に対するルポルタージュのような社会派小説だ。事件は酒鬼薔薇聖斗を思わせるような無差別殺人事件で、犯人は社会不適合者の30代男性。

DCコミックの映画化のような感じで、荒唐無稽な江戸川乱歩の世界をより現実的な形に落とし込んだ小説が書きたかった。

 

「社会と自分を結ぶのは犯罪だけだと考えた」

 

これが帯のコピー。

社会不適合者の男の犯行とその背景、裁判後の獄中での更生までを描いた物語である。

 

プロットを作るのは楽しくスラスラと案が出てくるのだが、いざ書き始めてみると、全く文章が進まない。書きたい世界はあっても、それを表せる言葉を持ち合わせていないのだ。

 

一度、短編のホラー小説を書いてねこに読んでもらったことがある。

「情景描写がヘタだ」とねこは言ってぼくにドストエフスキーを薦めてきた。

 

ドストエフスキーの情景描写、特に室内の家具の描写なんかは病的なほど細かく長文で、物語のテンポを悪くするほどの駄文だとぼくは思っていたのだが、ねこはアレは参考になる、と力説した。

どうやら現役の作家さんとお付き合いの経験があるらしく、これは彼の受け売りらしい。

 

 

 

冬となった。

道路はカチコチで運転は大変そうです。

18になったので自動車学校に通い始めました。

だからクルマのことを考えてます。

 

高校みたいに辞めなきゃいいなぁ。。〇

 

昨日体重を計ったら50キロもありましたデブ。

デブねこ。

厚着は食欲を自制心から解放してくれます。

 

そういうわけで、

家での食事中はヤン・シュヴァンクマイエル監督の映画を観ながら食べてます。

変態がたくさん出てくる猟奇的な映画が多いので、今のいぬにピッタリだと思います。

 

いぬは映画もたくさん知ってそうですよね?

ダイエットの友となる映画を絶賛募集中~(^^)/

 

 

 

ねこは神出鬼没だった。

月に数回は夜行バスなどを使って東京に来ているらしく、知り合いの写真家の個展を手伝ったり、ジャズのセッションオフ会に参加したり(ねこはトランペットが吹ける)、芸大生のセフレと会ったりと、その若さのエネルギーを余すところなく使っていた。

 

華やかなプライベート事情から推理するに、ぼくのようなメル友は何人もおり、その多くが芸術の方面で活躍中な文化人であり、作家志望の中央大学生のぼくはどうやらその末席らしかった。

 

ぼくがねこに会うのは、2~3か月に1度くらいなもので、それも誰かと会うまでの繋ぎの時間なことが多かった。

 

一度日野市にあるぼくの家に泊めたことがある。

「一宿一飯の恩義はカラダで払ってもいい」

とねこは冗談っぽく一言ってきたが、結局その晩は何もすることができなかった。

怖かった。本気で好きだったからだと思う。

 

文化的な何かを成し遂げてねこからの尊敬を勝ち取ってからではないと、行きずりの男の一人として埋もれてしまうような気がしたからだ。

 

その晩、枕元でねこは「写真で食べていきたいと思っている」と自身の夢を語り、一眼レフに撮り溜めた珠玉の作品たちを見せてくれた。

 

 

いぬが頭上の青い空に雄大さに感動して泣いているとき、ねこは浮かんでいる雲が魚みたいだと思い微笑んでるかもしれない。

 

同じ風景を見ていても切り取り方は様々で、私が見ている風景と隣に立つあなたが見ている風景は違うかもしれない。

言葉だけでは青がどういう色だか説明できないように。

 

写真には、広すぎるこの世界を切り取り『視界を共有することができる』と思わせる魔力がある。

 

実際にできるかどうかは大切じゃない。

『私が見ている世界を見せられる』

そう思えるという点において、写真は孤独に対するよすがになれる。

 

 

というような話をしてくれた。記憶が曖昧なので半分以上はプルーストの『写真』の受け売りだが、きっとそんな話だったと思う。

 

ねこの撮った写真は、お世辞にも良いと言えるようなものは一枚もなく、「写真家としては成功はしないだろうな」と内心思った。

ぼくは小説家という夢を語り、今考えているプロットを話しているところでねこは寝てしまった。

その晩ぼくは一睡もすることができなかった。

 

翌朝、ねこは早朝の高速バスを取ってあるということで、ぼくらは早い時間に家を出た。

東京都と言っても山梨県に近い日野市は高幡不動にあるぼくの家から駅までの間には、浅川という多摩川の支流の1つである一級河川が流れている。

 

乳白色の霞が薄く被衣のようにかかるふれあい橋を渡る。目下にはその浅川がある。

 

名前の通り水深が50cmもない浅い川なのだが、流れは広く高い建物が周りにないことも相まって、鏡のように瀬をなして流れる処はハチミツ色の朝日を反射させキラキラと輝く。

 

ねこは鞄から取り出した一眼レフで、パシャパシャと風景を撮り始める。

 

いや、ハチミツ色なんて嘘だ。朝日には眩しい以外の感想しか抱けなかったし、浅川もふれあい橋もその名前を知ったのはだいぶ後のことだ。

 

当時のぼくは「眩しい」「寒い」「かわいい」くらいしか思わなった。

ぼくにとって情景なんてそんなもんだった。

 

ぼくの家から駅までの20分の徒歩の道すがら、ねこはついぞやぼくをその一眼レフの被写体にすることはなかった。

 

 

 

ねこは昨夜からウンコが止まりません。

コーラックを飲みすぎたようです。

 

いぬはアナルセックスってしたことありますか?

ないですよね、知ってます。

 

バイト先の店長に「今晩やるから飲んでおいて」

とコーラックのODを勧められました。

 

飲んだところお腹を壊してしまい、

ねこ初のアナルセックスはウンコ塗れのスカトロプレイでした。

 

それ以降もウンコが止まりません。

避妊セックスに対する神からの罰、産みの苦しみに絶賛悶え中です。

 

 

 

冬が過ぎ春になり、ぼくは2年生になった。

今回は履修申請を忘れず申し込み若干生活が慌ただしくなった。けど、ねこへのメールは相変わらず生活の最優先事項であった。

一方のねこはというと、18になったことで親元を離れ、横浜の男の家で居候のような同棲生活を開始した。会員制SMクラブのM嬢としても働き始めたらしく、私生活は前以上に華やかだった。

 

遠距離が終わり、近くに住み始めたはずなのに、ねこからの返信の頻度は極端に下がった。早く本物にならなければねこに見捨てられてしまう、と焦る毎日。

 

架空の猟奇事件に関するルポタージュという当初の構想は、全く書き進めることができなかった。題材を変え、カミュのペストのような、閉鎖的な社会を襲う疫病とそれを祝福だと賛美する狂人の話を書いた。

 

ニガテだった情景描写をできる限り避けたため、ラノベのような対話劇となってしまった。カミュのペストの凄みは、鋭く体感的に伝わる情景描写にあるというのに。

地に足のついた情景描写は、右往左往する登場人物たちの言動よりも、より雄弁に疫病による惨状を読者の目前に映し出す。

その真逆を行く『Y氏の病理(著:いぬ)』。文量は3万字程度。

 

箸でも棒にでもいいから引っ掛かれ、と藁にも縋る思いで投稿サイトに上げたものの、評判は芳しくなく、反応と呼べるのは自費出版の会社から営業のメールくらいだった。

才能がないのはわかっていたが、執筆を捨てるとなると、もう、自分には持ち球は残っていない。

 

「何か発想が降って来ないか」と期待して浅川に沿って河川敷を東に進み、そのまま多摩川を東へ東へと歩くことが増えた。降ってきたものと言えば、雨の他にはホームレスにカツアゲされたという事件くらいなものであり、孤独な散歩者の夢想と呼ぶにふさわしい、何も実りがない習慣だった。

 

華やかな青春のためにはねこが必要であり、ぼくはねこの気を引くために、奥へ奥へと人里離れた自意識の殻へと潜って行った。

 

 

 

自殺はいけません。

意識的な自殺は他の動物には見られない人間特有のものです。

成人の多くは現実苦から自殺しするのに反し、若者はその形而上学の悩みから自殺し得ます。

きっと君みたいな若い人が自殺に惹かれるのもそのせいでしょう。

 

顔にそれまでの生活苦が刻まれているような、年を取ってからの自殺は美しくありませんからね。

美とは何か愛とは何か、そんなことに思い悩んで死ぬ姿に憧れを抱いてはないですか?

 

けどね、たとえ如何にその心情が純粋であったにせよ、18そこらで人生をすっかり見通したつもりで自殺するというのは、思い上がりというものですよ。

 

 

 

ねこの言葉でも、もちろんぼくの言葉でもない。

ねこと会った3回目の夜、ぼくらは浅草でねこが贔屓にしているという現代落語家の講演を観た帰りに寄ったバーでのバーテンの言葉だ。

 

リストカットがやめられない時期があった、というねこの話に対して、教科書通り肯定も否定もせずに相槌を打つぼくを諭すように、バーテンダーは上のような説教を始めたのだ。

 

ねこはキラキラと目を輝かせながらバーテンの話を聞いてしまい、ぼくはだいぶ恥をかかされてしまった。けど、彼の話はとてもいい話だった。

 

若く美しい女性の持つエネルギーというのは絶大で、一緒にいるだけでもドラマがあった。ねこを通じて、ぼくも端役ながらドラマの一部になれているような気がしたのだ。

 

 

もう冬になりましたね。

沖縄の冬はどうですか?私は神奈川ではなく沖縄の冬を聞いています。

 


青森はやっぱり寒くて暗いです。

いぬは「死を連想する街」とか失礼なこと言ってましたよね。そのとおりです。

 


この前彼と鳥貴族に行きました。

いぬがよく連れて行ってくれたお店だったから、いぬのこと思い出してこの手紙を書いています。

 


鳥貴族ってとっても安いんだね。

いっつもいぬにお金出してもらってばかりだったから知らなかったけど、安いお店ですね。

ますますいぬにゲンメツしました。

 

会計は彼とワリカンです。

だって彼は私よりも年下で、いぬなんかよりもっともっと若いから。

 

こうやって自立した女になって、私どんどんどんどん醜く年を取るんだと思う。

 

いい気味?会おうね。

 


いぬは心理学なんかじゃ食えない、と言ったけど、私別に農家の女になってもいいと思ってます。体力あるし。

 


返信はいりません。迷惑なのでやめてください。

それではまた。

 

 

 

ぼくとの文通のようなメールがダルくなってきたのか、ねこからの返信はなくなり、代わりにぼくらはツイッター上で交流するようになった。

交流と言ってもねこからのリプライはなく、だからぼくもリプライはしなかった。

 

ねこを自称する女だった麗奈も、ツイッターで上では年月を追うごとに丸くなり、いつしか彼女の一人称は私に変わる。

 

特定の恋愛対象を持たず、常に不特定多数と関係を持つポリアモリー(複数恋愛)を自称していたのに、彼氏と別れるたびツイッター上で荒れ、なんだか普通の人になっていた。

 

彼女の最後のTwitterへの投稿を見たのは、大学4年生の5月、ぼくが渋谷のオリンピックセンターで国家公務員の合格者向けの省庁合同業務説明会に参加しているときだった。

大検を経由して地元の弘前大学に合格したので実家に帰っている、という内容のツイートだった。

 

以後、彼女はアカウントを消し、Twitterでその活動を追うことはできなくなった。

出会ったときが17なので、彼女は20そこらで若さを燃焼させた上で、上手く着地できたということになる。

本当に器用な生き方だと思う。

 

彼女がねこから麗奈になる過程で、ぼくの彼女への関心、執着はだんだん薄れていった。

その間にぼくはエリカと出会う。

麗奈がサブカル女とするなら、エリカは本物。

 

その感性は唯一無二だった。ミステリアスさと不安定な精神はコインの裏表で、エキセントリックなエリカとの交際は心身ともにひどく消耗するものだった。

 

それでもエリカとの結婚を考えていたぼくは、「せめてぼく自身は安定していないと」と強く思うようになり、成果の出ない執筆を投げ捨て、就活に邁進するようになる。

 

 

「公務員にでもなって副業で作家活動をしよう」

という当初の夢から作家活動が抜け落ち、ぼくはただの公務員になった。

 

月たった50時間の残業にヒーヒー言い、執筆意欲はおろか読書欲すらない。

結局エリカとは別れ、他の女性と結婚した。

去年には娘が産まれ、最近は人生これでいいような気がしてきた。

 

 

上記の麗奈からの最後のメールには返信していない。一人称はねこのままだが、きっと気恥ずかしさからだろう。文章の中にはもはや、あのときのねこの姿を見つけることはできなかった。

仮に麗奈と再会することになっても、きっともうお互い楽しくはないはずだから。

 

 

今の麗奈には興味がない。しかし、気持ち悪い話だが、当時のねこには未だに恋心を抱いている。

当時の文面やメール添付のその自撮り写真、何を見ても完璧なのだ。今思い返せば典型的なサブカル女、どこにでもいるようなタイプなんだけど、それでもだ。

 

学生時代から足掛け8年、「ねこを自称する女とそれに振り回される男」の小説を書いている。種本は森見登美彦の『太陽の塔』。出来るだけ出来るだけ情景描写を丁寧に。

 

書き終えるのが早いか、それとも老いで感性が鈍るのが早いか。

いずれかのとき、ぼくは青春を克服できるんだと思う。