22歳の新人と30歳のぼくの同期がポケモンのアニメの話をしていた。
「30にもなって何がポケモンだよ」と、ぼくは内心嫉妬しながらも、可愛い新人と楽しそうに話す同期の話を盗み聞く。サトシがついに引退するという話らしい。
「ポケモンとか懐かしいなぁ。俺ら世代ど真ん中のアニメで昔よく観てたわ。」
「私は新作ゲーム買ったからアニメにもまたハマっちゃって。〇〇さんがオススメの回とかありますか?」
「う~ん。やっぱニャースの話かな。なんでニャースが人の言葉を話すようになったか、ってやつ。子供ながらに観てて泣いたなぁ。」
「ニャースのやつなら私も観ました!本当に泣けますよねアレ。」
ニャースの話……そんな話あったような、なかったような。
帰りの電車でスマホ片手に調べてみると、アニメ傑作選に入るよう名作らしい。記憶にない。
ぼくもポケモンは大好き、なハズだったけど、住んでいたのはテレ東はおろか日テレもない民放3局の沖縄県。ポケモンのアニメは、土曜に放送されたりされてなかったりと不定期だった。
そのため、ポケモンは好きだったけど、サトシやカスミやニャースといったアニメ版ポケモンの登場人物たちには、あまり馴染みがない。
ぼくにとってポケモンと言えばガチャポンのフィギュアだった。
月100円のお小遣いを握りしめ、毎月となり町のダイエーにガチャポンを回しに行く。ポケモンはガチャポンでも大人気で、3か月に一回は内容がリニューアルされるものだから、チャンスは3回しかない。それでお目当てのフィギュアが出なければ、二度と手に入れることはできない。
ポケモンのフィギュアは月1個のペースで増えていき、お年玉等の臨時収入もガチャポンにつぎ込んだため、5年生になることには保有するフィギュアの数は100体を超えていた。
集めるだけではなく、ぼくはフィギュアで遊びもした。
主人公であるゼニガメが旅に出て、道中に出会ったいろいろなポケモンたちと闘う、という人形ごっこだ。
ゼニガメは剣を武器に使う。それは取れてしまったブースターの尻尾で、炎の剣のように見えたためゼニガメが使う武器とした。
ごっこ遊びはだいたい1時間くらい続く。
初めのころは「へんな遊びしているなあ」と笑って見ていた親たちも、その遊びが4年生になっても5年生になっても続いているのを見て「……大丈夫か?」と発達段階が遅れたぼくのことを心配してきた。
「中学生になるまでにポケモンごっこは卒業しないとな」
とぼくもぼくなりに、その幼稚な遊びを続けることに危機感を覚えていた。
小6の冬、保有していた100体超のポケモンのフィギュアを全部捨てた。以来、ゲームを含めてもポケモンに触れることはなくなった。
自称オタクの新人の女の子(22歳)と、これまた自称オタクの同期の男(30歳)がポケモンの濃い(?)話で盛り上がるのを盗み聞くたびに、シャワーズのフィギュアで精通を迎えた話でポケモン愛のマウントを取ってやろうか、という衝動に駆られる。
好きは決して知識量で定量的に比較できる感情ではない。
2歳になった娘とクマのぬいぐるみを使って遊ぶ際、「君よくそこまで遊べるね」と妻に呆れられるまで、ずーとごっこ遊びをしている。
「クマちゃん今日は散歩に行くの。
トコトコトッコ。あれれ?ここはどこだ?迷子になっちゃった。
疲れたしここでおやつでも食べようか。
今日はね、大好きなリンゴを持ってきたの……」
娘も終始ご機嫌で楽しそう。あのときの経験値はここで活きるんだな、と少しポケモンたちに感謝した。