寝る前のお話係は決まってぼく。
「ママは話下手」
と娘は言ってぼくにしか話をねだってこない。娘の出す即興のお題に答える形で「〇〇するちいかわ」という話を2つ話すのがぼくの日課。
「ライオンに食べられると思ったら犬だったちいかわ」
「ちいかわのママの職場の人から携帯を貰うちいかわ」
適当な話を作るのにかけては自信のあるぼくでも、毎晩これらのお題に答えるのは骨が折れる。どの話も10分以上話さなければ娘は満足しないし、面白くないとリライトを要求される。
妻の出版社就活を手伝った際に、三題噺についてはマスターしたつもりだったが、それの何倍もこれは難しい。
毎晩、しかも2つもだ。
その中で見つけた裏技が夢の話。
「ちいかわがライオンに追っかけられ、泣きながら逃げている悪夢に魘されていたら、隣で寝ていたハチワレが心配して揺すって起こしてくれた。」
「ちいかわのママの職場の人から貰った携帯には不思議な力が宿っており、握れば空を飛べ、話せば瞬間移動でき、食べることもできる(イチゴ味)。すごいなぁと喜んでいたらそれは夢で……。」
何でも夢に絡めると、どんな話でも消化でき、夢オチという起承転結も付けることができる。我ながらワンパターンだと思うが、娘はこうした夢の話がとても好きらしく、満足そうに聞いてくれる。
隣で聞いている妻はと言うと、「よくそんなツマラナイ話長々とできるねぇ」とぼく才能に感心しっぱなしのようで、毎晩話の途中で娘より先に寝る始末。
ある夜、娘に「夢はすき?」と聞くと「空飛んだり鬼が出てきたりするからすき」と彼女は答えた。
娘にとって夢とは非現実を味あわせてくれる舞台であり、とても気に入っているようだった。
「パパは夢すき?」と娘がぼくに聞いてきた。
「夢かぁ〜夢なぁ」
年を取りオジサンになって非現実的な夢を見なくなった。かと言って現実的な夢も見ない。
夢の中に妻や娘が出てきたことはなく、社会人になって出会った人たちもあまり出てこない。よく見る夢は小中高生の頃の思い出であり、たまに見る大学時代と言えば、「本当は単位が足らなくて卒業できていなかった夢」くらいだ。
夢の中のぼくのほとんどは、今のオジサン姿ではなく、当時の姿をしている。
照屋くんがぼくんちに誘いに来て、一緒にキャッチボールをしたり、スマブラをしたりして遊び、「そういやコイツ死んだんだよなぁ。夢か。」と気づくと同時に醒める夢。そんな夢が多い。
決して後に引きずるような悪夢ではなく、枕を濡らしながら起きる悲しい夢でもない。友達は他にも何人かいたはずなのに、ぼくの夢に帯で登場するのは、原付バイクを運転中にトラックに轢かれて死んだ照屋くんだ。
照屋くんが亡くなったとき、親友が死んだという実感がなかった。ただ、小説「されど我らが日々」の登場人物たちのような、親友の死を自分の中の意義のある出来事として消化しようとしているような、そんな自分が嫌であまり考えないようにしていた。彼の死から6年が経ち、ぼくは家族を持った。
唯一無二だったはず親友の死の持つ意義が、薄れれば薄れるほど、彼はぼくの夢に姿を表すようになった。決して怨霊とかそんな感じではなく、あの頃のままの姿で、これまた若いぼくと連邦vsジオンなどのあの頃の名作を遊ぶのだ。
人の死を正しく消化するというのは、こういう過程を経ることだと思う。
ちいかわの話ばかりでは、話し手のぼくも飽きてきたので、昨晩は死んだ照屋くんが出てくる夢の話をした。
こうした話でも"夢の話"というジャンルのおかげか、娘は「パパ面白い」と言って楽しんでくれた。
この話は娘向けというよりは、一緒に寝床に着いている妻向けに話したつもりだった。しかし、その日も妻は娘より早く寝てしまっており、せっかくのエモい話を聞くことはなかった。
ぼくのセックスというのは、どうも昔からポリネシアンすぎて刺激の起伏がないらしく、元カノなんかは行為の途中に寝てしまうことが多かった。
今晩は夢の話という体で、娘にその話をしようと、心に決めている。