文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

猫と妹


寒ぅい、寒スギぃ!(Д)

 東京の乾いた冬の寒さにはまだ慣れないものだなぁ、と思う。やっぱり寒い冬の夜なんかはガタガタ震えるし、白い吐息を見てなんだか嬉しく思ったりする。常夏の南方生まれの所以なのかもしれない。

 夜中の1時頃、ぼくは友人宅をあとにした。正確には‘追い出された’とも言うべきか、「彼女から電話がかかってきたから帰って、どうぞ」と言われ、晩酌の酔いもさめないうちに寒空の下に放り出されたのだ。一緒にオマーン戦を観戦したあの熱気はなんだったのか。思えば去年の今頃は、ロンリークリスマスを前にお互い寄り添い温め合った間柄ではなかったじゃないか。彼女ができたとたんにこうだ。なんとも薄情なやつo(TヘTo)

気づけばもう11月も中盤、シ~ンと静まり返った深夜の高幡不動駅はクリスマスの飾り付がすでに始まっていた。クリスマスファシズムの嵐が、ついにわが町にも来たのだ。

「やいやい!我こそは高幡不動ご本尊の守護者!モロトフカクテルを右手にゲバ棒を左手にクリスマスファシズムと闘う革命戦士ナリ!」

木枯らし吹き荒むなか、カラカラと下駄を鳴らし、そんなくだらない妄想をふくらませながらライトアップが終わった、真っ暗なドヤ橋を渡る。

 クシュン

と、クシャミをしても一人。今頃恋人たちは愛の囁きでも交わしているのだろうか。今夜はいっそう下宿先は冷え込みそうだ。凍え死なないように電気ヒーターを解禁しよう。ドヤ橋のたもとでそう決意した。


 屋根裏部屋の扉を開けると、‘ニャー’と声が聞こえてきた。埃かぶったソファの上に、ネコがちょこんと座っていた。少しだけ開いてたサッシの間から忍び込んだに違いない。このへんのノラだろう。ノラのくせに白くてふくふくとしていて、間違いなくぼくよりも良いものを食ってそうなそいつは、逃げるでも威嚇するでもなく、ジーッとぼくを見つめていた。悪意の占有者の癖に生意気なやつだ。

ホレホレこいつめ、とノドを撫でてやる。するとノラはこれ以上にないであろう至福の表情で‘ニャー’と鳴くのだ。
ぼくはやっぱりネコが好きだ。


 まずあのお腹が好きだ。
この世にある全てのホワホワとした柔らかいものを詰め込んだような、あのプニュプニュというかポニョポニョというか、なんとも形容しづらいあの触感。 あの呼吸のたびにふくらんだりしぼんだりする、潮の満ち引きを連想させるあのお腹の動き。ねこはら枕’なんてあったら、迷わず買っちゃうね、ゼッタイ。


 冬のネコは特に好きだ。
冬がなんのためにあるのか問うならば、夜なべをして手袋をあむ母さんのためでも、売り上げが伸びるアパレル業界の社長さんさたちのためでも、仲睦まじくあたため合う恋人たちのためでもなく、冬はやっぱりネコのためにあるのだ。

暖かい室内で暖をとるネコというのはもはや国宝級で、こたつを囲んでの一家団欒のなかでも、我々人間はネコさんが来たものなら、速やかに席を空けて、冬の支配者であるネコさんに暖をとらせなければならないのだ。


 眠そうにしていると思えば、カッと見開くあの大きな目も好きだ。それでいて冷たく、鏃のような切れ味をしているかと思えば、好奇心旺盛な幼子のように清らかで、我が子を見つめる母のようにやさしいあの目、あれはいったいどこを見ているのだろうか?何にもない一点をジーッと見つめているネコを見ていると、こちらもなんだか不安になってくる。

「この世ならざる別の世界でも見ているのか?」

とさえ思えてくる。


 ネコには霊感がある、と古今東西で古くから言い伝えられてきた所以も、ひとえにこの視線の謎にあるに違いない。でも、それはきっと別の世界を見ているわけではないのだ。ただ、「これからボクはどうなるんだろうなぁ?」とネコは思っているだけなのだ。

 クシュン、クシュンと鼻が鳴る。

ネコを撫で続けていると、クシャミが止まらなくなった。久々にネコアレルギーが発症したからだ。これはネコ好きにとって致命的な欠点だ。どうも、この空気中を漂うネコの体毛が鼻を刺激するらしいのだ。そういうわけで、ぼくはネコ好きながら下宿先ではネコを飼っていない。実家でも飼っていたことも一度だけ、しかも1ヶ月ほどしかなかった。
(たしかそのときにネコアレルギーだと気づいたんだっけかなぁ)


 部屋にネコを連れて行くわけにもいかなかったので、サッシ窓を開けたまま電気ヒーターをかけ、屋根裏部屋をあとにした。 ノラネコに餌をあげてはいけないという条例はあっても、‘寒い冬の夜でもノラネコに一晩宿を貸してはいけない’という条例はないだろうし。
(あってもそんな悪法は破るつもりだが)

電気ヒータの解禁はもう一日延長だ。
 

 

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 むかし、妹がネコをもらいに行くというので、それについて行ったことがある。

なんでも電柱に貼られた「飼い主募集」の子猫の写真をひと目で気に入り、そこに載ってた番号にかけ、飼い主に連絡をとったというのだ。あまり乗り気はしなかったが、妹がまだ中学生だった手前、ひとりで見知らぬ人と会うのを心配した父のお願いだったので、仕方なく行った。

ケーキの小箱を持った妹と、待ち合わせの公園の中に向かった。そこで小一時間ほどふたりでネコが来るのを待った。

━━そのネコの名前は何にしよう
変なのはダメだよ、ねぇ、どうしようかなあ?

━━ネコが懐いてくれなかったらどうしよう
夜うるさいって隣の人に文句を言われたら、ねぇ、どうしようかなあ?

━━カナが学校行っている間、お兄ちゃん面倒見てくれる?
お兄ちゃんも外に出るときは、ねぇ、どうしようかなあ?

━━鼻だけ真っ黒なブスネコだったらどうしよう
ねぇ、どうしようか、どうしようかなあ?

━━ねぇ、どうしようか、どうしようかなあ?

とさかんに妹は尋ねてくる。

ぼくが、それならこうしたらいいんじゃないか?と答えても、妹は全く聞いていないようで、

━━━どうしようか、ねぇ、どうしよう
とまた繰り返し尋ねてきた。

 妹のそんな姿は、尋ねるというよりは、必死に、何か自分に言い聞かせているように、ぼくには見えた。そういえばコンビニで立ち読みした心理学の本にも、「女の子の質問なんてそんなものだ」って書いていたっけな。今まで念願だったネコをこれから飼えるとだけあって、妹も興奮しているんだろうなぁ、と。


 いかにも‘オバサン’といった感じのオバサンに抱えられて、その子ネコはやってきた。父の心配はやはり杞憂だったらしい。お腹のあたりが真っ白でぷにぷにしたかわいい小さな三毛猫だった。鼻だけ真っ黒なブス猫ではなかった。妹の心配もやはり杞憂だった。

「あなたが電話をくれたカナちゃん?」

「はい、~中学校2年の~カナです。それでこっちが兄の……」

妹から紹介されてオバサンに軽く会釈する。

こういう当事者間の話に変に割り込むこともない。女性同士の場合はなおさらだ。オバサンから抱えている子ネコの説明を受ける妹を、ぼくは少し離れたところから傍観していた。

妹はオバサンから子ネコを受け取ると

「ウヒョ~~、スーパーかわいいよぉ^~」 

と言いながらしゃがみこんでしまった。

ぼくも近づいて子ネコを撫でたい気まんまんだったが、妹が放棄してしまった‘取引’という重要な任務を、兄であるぼくが代行しなければならなかった。 

オバサンはお礼のケーキを受け取って帰っていった。

「ケーキ1個で買収されるとは、お前なかなか高く見積もられたもんだなぁ」

妹の抱く子ネコの頭を撫でながら、ぼくはそう皮肉を言った。

「お兄ちゃんならコンビニスイーツでも買収されないだろうけどね」

妹はそう言うと子ネコをぼくから離し、前日に買ったという、格子状のネコ用キャリーバックに入れた。
日の傾きかけた商店街をぼくと妹はトコトコと歩いた。夕飯の買い出しで人がごった返すカーキー色のアーケードに、長く伸びるふたりと一匹の影を映しながらてくてく 歩く。


 キャリーバックに入った子ネコは人の視線を集めた。ぼくは少々恥ずかしく思ったが、彼女はそれもどこ吹く風、時折子ネコと顔を合わせて何かを話しては、ニコニコ意気揚々に歩く。先ほどとは打って変わって口数も少なくなった。

交差点に差し掛かったところで妹は言った。

「決めた!三毛猫だから‘ミケ’にする!この子の名前。だってお兄ちゃんに頼んだら変な名前になりそうだもん」

ミケと顔を見合わせ、笑いながらそう言う彼女の横顔が、そのとき、すこし大人びて見えた。

しかし、胸を張ってそう宣言したかと思えば、

「ミケはこんなに小さいのに、お父さんお母さんと離れ離れになっちゃたんだよねぇ。夜中に寂しくなったりしないかなぁ、泣いたりしないかなぁねぇ、そんなときはどうしようかなあ?」

と、すぐに首をかしげてまた心配そうに自分に問いかける。


━━━ねぇ、どうしようか、どうしようかなあ?


 その頃のぼくといえば、浪人年数も惰性の二年度目に突入しており、ろくに勉強もせずに読書ばかり、どこに出すでもない、誰に見せるでもない小説ばかり書いて過ごす毎日だった。模試の席次は下がる一方で、というか模試にも顔を出すことはなくなり、もうにっちもさっちもいかない状態だった。

エリート官僚になるという夢は途絶え、かと言って執筆業で生計を立てる自信もなかった。毎日家でくすぶってるばかりで、家族との関係も良くなかった。妹とも家ではあまり話さなくなっていた。今思い返してみたら、そのとき、妹がなぜあんなに話しかけてきてくれたのか不思議なほどだ。妹じゃないけど、ぼくも「これからどうしよう?どうしよう?どうなるんだろうなあ?」と悩める若者だった。


━━━ねぇ、どうしようか、どうしようかなあってば


「う~ん、そうだなぁ、ネコに聞いてろよ」

「ミケだってば」

「ごめんごめん。直接困ったさんに聞いたら何か分かるかもよ?」

「それグッドアイディアだね」

ぼくの皮肉を解することもなく、妹は格子を外してキャリーバックからミケを出し抱きかかえた。

「君は一体どうして欲しいの?ねぇ、どうして欲しいの?」

ミケは妹の肩ごしに、ぼくをジーッと見つめるばかりで何も答えない。ミケの目は『これから僕はどうなっちゃうんだろう?』とぼくに尋ねるような、不安そうな目だった。

「これからの将来のことなんてぼくが聞きたいぐらいだ。」

ぼくは今にも泣きそうなミケに目でそう言い返した。

「アハハ、この子に何聞いてもダメみたいね」

妹は嬉しくってしょうがないよあたしゃ、って顔をしてぼくに言った。



━━━━それより、お兄ちゃんさっきからクシャミがひどいね。
もしかしてお兄ちゃん風邪なの?もう、気をつけてよね、今年も受験生なんだから。



センター試験まであとふた月もない、晩秋の夕暮れだった。