文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

話そう人生を

 ぼくは会話が苦手だ。 

友人にそう言うと、会話なんて簡単、難しく考えることないよ、話したいことを自然に話せばいいんだよ、と不思議がられるけど、ぼくはまさにその「自然」に話すことが、いちばん苦手だ。 

独り言や書き物とは違い、会話を始めるには、まず特定の相手がいなければならない。しかし、その相手にとって自分がどういう人なのかを読み間違えると、とても恥ずかしいことになる。 

こっちは親友だと思って話していても、相手にとってぼくはただのクラスメイトでしかない場合、何か深いことでも話した後「いやーほんと、ここまで踏み込んだ話ができるのはお前だけだよー!」と心開いた証、最高の称賛を送ったとしても、相手は路傍の石の接近を嫌い「そっか、じゃあおやすみ!」と素知らぬ顔で切られてしまう可能性が非常に高い。 

 むかし、いく度となくそんな経験をした。そんな夜、ぼくはどうなったかって?酷く深く傷ついた。 

「ぼくはあの人にとってその程度の存在だったんだ。さっきのでキモがられたかな。」 

誰でもそうであろうが、ぼくは、傷つくのが大嫌いだ。そうして傷つかないように学習した結果、一歩、いや千歩ぐらい引いて、相手が見えるか見えないかぐらいの安全圏からでないと、安心して会話を始められなくなった。こうなれば相手が誰であれ、こちらは傷つく心配はなくなる。 

でも、そうして会話はどうなったか?そこまで引いてしまうと、まず会話が始まらない。始まったとしても、近づくのに時間がかかりすぎて「今日寒いね~!」「寒いねー。」「いやーマジ寒い。」「超寒いねー。」と触りの天気ネタのジャブを打つだけで会話を終えるようになる。これは不毛すぎる。 

傷つないのはいいけど、これでは会話が成り立たない。 
『人と話したい』 
そんな柄にもない寂しさが、ぼくの中で増してくるのだ。 

 まれに、それからジリジリと距離を詰めるのに成功し会話らしい会話が始まることもあるが、まだ緊張は解けない。会話をしているときに、どこを見ていたらいいのかがわからないのだ。小学生の頃に親や先生から「人の目を見て話しなさい」と習ったはずだが、こんにちの日本でそれを実践している方はあまりお目にかからない。

いや、お目にかからないのはぼくがいつも会話するときに地面にいる蟻ばかり数えているからなのかもしれない。 

相手は、ぼくの(蟻を数えているせいで)泳ぎに泳いでいる目を必死に見ながら気を使って話してくれているかもしれないし、ぼくのそんな挙動をキモがって「あいつって、喋るときいつも目がうろうろしてるよね~」「あっわかる~!あれ超キモくな~い?」「マジキモいよね~~!!」「「アハハ!!」」という実のある会話が、ぼくのいない場で毎日繰り広げられ可能性だってなきにしもあらずだ。 

 相手がどのタイプなのかは分からないが、会話中、ぼくの頭にいる相手はいつも後者の部類だ。そいつはぼくの実のない話に相槌を打ちながら、内心ぼくのことをバカにしている。

嫌だ!こわい!!ぼくだって好きで地面ばかり見てるわけじゃないさ!!ただ顔をあわせて話すとなると汗が止まらず、表情筋が緊張でこわばって、いまにも泣き出しそうになってしまうんだ!!助けて!!否定しないで!!わかって!!愛してよ!、とぼくか蟻を数えながら、脳内で見えない敵と戦っている間にも会話は進んでいる。 

こうした、ぼくの異様な緊張が伝わるせいか、相手も他の人と会話するようには言葉が出てこないようだ。その一瞬の緊迫感が永遠の地獄のように感じられて、思わずぼくの口から一つの言葉が零れる。 

「……今日マジ寒いね!」 

再びぼくは距離を取り、ラウンドが終わるまでの短い時間お天気ジャブをうち続けてしまうのであった。 


「会話のキャッチボール」とはよく言ったものだが、ぼくはそのキャッチボールする場所や使うボール、投げる速度や方向、全てに緊張してしまうのだ。

これが初対面の相手だけに起こる緊張ならばまだいい、しかしぼくの場合どれだけ長い時間をかけてもこの緊張が取れず、いつまでも誰に対しても自然な会話ができないままでいる。20年間何をやっていたんだ。 


 自由に楽しむだけの会話にさえも見えないルールはある。みんなはそのルールに対するバランス感覚を、生活していく中で獲得し、それに自然に従えるようになっていく。だけどぼくは駄目なようだ。どんなに努力しても、心理学に噛り付いてもまくら相手に練習しようとも、自然さが獲得できないのだ。 

自然さが得られなかった者は、世界の中に入れない。世界の自由さの中に含まれた自然なルールがわからないぼくは、朝日に溶けた幽霊のように、いるのにいないような存在になってしまうのだ。

そこまでいくと、人はあるときぼくの不自然さに必ず気づく。それがたまらなくつらい。だからぼくは本を読み、せめて話題の引き出しぐらいは広げようと努力する。そうしてますます世界との距離は広がっていく。 


 ひとりは嫌だけど会話は苦手。そんなぼくだからこそ、旧友やサークルの人に話しかけられたり、ご飯に誘われたりすると、涙があふれ出るほどうれしい。ぼくのダメさをわかった上で、彼らはぼくに接してくれている。 

「あれったかのすけくん!?まだ生きてたんだ!!」 

と勝手に死んだことにされてたとしても本当にうれしい気持ちでいっぱいになる。 

この世界に、ほんの一瞬でも、さわれたことがうれしいのだ。 

そんな会話が出来る日を待ち遠しく思いながら、今日もカベ相手に人生を話している。