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文弱日記

文学とサブカルとお役所生活

エホバの伝道者

エッセイ

 その日は10時ごろに起きた。近くの大学では入学式があったらしく、新入生たちの華やぐ感じが風にのって部屋に入ってくる。外は薄ら寒い曇り空だったが、もう1週間は洗濯物を溜め込んでいたので、洗濯を断行した。


 公務員試験が近づいてきたこともあってか、洗濯物入れにしばらく手をつけられておらず、かなりの量がたまっていた。両手で抱きかかえて洗濯機に突っ込む。なんだかすえたような嫌なニオイがした。我ながら臭かった。


 時短モードで脱水まで済ませ、カゴに洗濯物を入れ、部屋に向かう。1Kのぼくの下宿にはバルコニーなんて洒落たものはなく、窓も1つしかない。道路に面したその窓のすぐ外に、物干し竿はちょこんと付いている。カゴを脇に置き、窓の前に立ち洗濯物を干していると、外を歩いてたシックな格好をした二人の女性と目が合った。

アパートの1階で、外には遮蔽物なし、室内唯一の窓が道路に面しているという構造上、プライバシーはあったものではない。どちらともなく、軽く会釈する。生活の一部を見られた気がして、ぼくは少し居心地の悪さを感じた。


 彼女らはまっすぐにぼくの方へ向かってきた。みすぼらしい格好で洗濯物を干している若者に気づいたはずなのに、躊躇する様子がまったくない。そのうえ気が抜けるくらいの気安さで、先頭にたった女が話しかけてきた。

「こんにちわ、ようやくいい陽気になりましたね。」

 真っ黒でフリルの付いた日傘を差して、淡い色の地味な長袖ワンピースに身を包んだ少女は、いかにも宗教らしい清楚な雰囲気を漂わせていた。外はとてもいい陽気とは言えず、気温もむしろ肌寒いくらいだ。

「そうですね、暖かくなりましたね」 

と適当に返事をする。

「私達は神の話をしに来ました」

と少女は続けた。ニコッと笑う少女の口元に、ぼくはどこか懐かしさを感じた。


 もう一人女性、露出の少ないシンプルなツーピースを着けた彼女は、少女の右斜め後ろに佇んでいた。これまた真っ暗な日傘目深く差していたので、顔はその日傘に隠れて見えなかった。けど、ぼくはそれが少女の母であることを知っていた。

少女は冊子をぼくに手渡し、説法を話し始めた。昨今の緊迫する国際情勢から入り、途中聖書の逸話や格言を挟みながら、身近な家族愛の大切さに落とす少女の説法の構成は見事だったが、少し間の悪い話し方には、未だ稚拙さを感じた。きっとこの説法自体、誰かが書いたものの受け売りに違いなかった。 

「世界平和を実現するために、私達ができることってご存じですか?」 

説法が終わりに近づいた頃、少女がぼくに尋ねた。 

後ろの道路では、風景に同化した少女の母親の前を、いかにも春という感じのスーツ姿の新入生たちが通過するのがチラホラ見えていた。 

「ねぇ、キミって高校生?それとも大学生かな?」 

「えっ……」 

それまで流暢にしゃべっていた少女の口が止まった。 

「ごめん、やっぱり神様とかに興味ないから。」 

そう言ってぼくは窓をピシャリと閉めた。カゴには未だ洗濯物が山積みで入っていた。 

 彼女らはあっさりと去っていた。洗濯物を干すのはしばらく諦め、ぼくは机に向かい勉強を始めた。試験まであと一ヶ月、未だ手付かずの教科が幾つもあり、かなり不味い状況にいる。

手渡されたパンフレットには『エホバの証人』と書いてあった。ぼくはこの宗教を知っている。

――ぼくの伯父さんとその娘たちは、エホバの証人の信者だった。

ぼくは彼女たちのシックな格好は好きだった。時より見せる歳相応の表情が好きだった。だけど、笑ったときに覗いくいくつもの銀歯と、妙に落ち着いた物腰は好きになれなかった。