出会い系の流儀 その2

 みなさんは‘ニーチェ`という哲学者をご存じだろうか。

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一昨年に『ニーチェの言葉』というベストセラー本が世に出て、世間で注目浴びたから、知っている人もいるかもしれない。

 彼の哲学を簡素にまとめると次のようになる。

人生の無意味さを説く『ニヒリズム』が浸透し、退廃的な世紀末思想が蔓延しつつあった19世紀末、ニーチェは、キリスト教的道徳を弱者の負の感情であるひがみ『ルサンチマン』だとして一蹴し、『神は死んだ』と叫び、今までの欺瞞に満ちた道徳・価値観に一石を投じた。彼は、積極的に生きる意味・目的・価値を否定『ニヒリズム』する姿勢を取りながらも、そうした中で、自分自身を超えてより強いものへと成長する『超人』に人間の理想像を求めた。


(´▲`)?


チンプンカンプンである。このような血の通わない辞書的説明だと

「なんだか難しいことを言った人なんだなぁ~」

だけで終わってしまい、その哲学の生きた魅力、悲劇的なニーチェの人生、その哲学の悲しい本質に触れることができない。なので、この場をもって、まずはニーチェの話について少し触れたいと思う。
これがどう、迷惑メールが来るようになったことと関係があるのかと言えば、さほどないように見えて、ほとんどないのであるが。


 まずは哲学とは何か、についての話である。
『哲学』と聞くと敷居が高いと思われがちだが、実はその逆で敷居は低い。むしろ低すぎて軽蔑してもいいくらいだ。

そもそも、生きている意味だの、世界の真理だの、神の存在だの、そういった哲学的な問題に心がとらわれる人は概して非リアだった。充実した仕事、彼女との楽しいひととき、至福の趣味の時間、こういった楽しいことに囲まれ、満たされた毎日を過ごすリア充は、そういった小難しいこと考える時間もないのだ。
哲学的なもので悩むのは充実した日常を送ってない非リアの仕事であり、学問として権威を持ち始めるまでは、哲学は非リアの専売特許だった。みなさんの周りにいる哲学について語りたがる知人の顔を思い浮かべれば、納得できることだろう。

 ニーチェもその例外ではなかった。

 生涯独身を貫いた彼は、妹エリーザベト以外の女性とあまり交流を持たず、世界の摂理については詳しくても、女性のことについてはさっぱりだった。むしろ、さっぱりだったからこそ哲学の世界へ‘逃げた`とも言える。

「若い頃からモテてきた男の想像力は犬以下である」

などと自著に書くことによって、日頃から鬱積した、リア充への嫉妬をぶちまけていた。そういうわけで我々の間では、ニーチェは親しみを込めて‘ニーチェ君`と呼ばれている。

そんなニーチェ君を心配した一人の友人がいる。

リヒャルト・ワーグナー

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 19世紀を代表する大音楽家である。ワルキューレの行進などがその代表曲。こち亀で爆竜大佐が登場する際に流れるBGMでおなじみのあれだ。
彼は、ニーチェ君が女性と交流が出来ないのは、彼が童貞なのが原因であり、脱童貞さえできれば、自分に自信が持つことができ、ニーチェ君も女性とも健全な交流ができるようになるのではないか、と考えた。そのため、まずは売春婦を相手に脱童貞することをニーチェ君に提案した。

…………とても大音楽家と大哲学者の間の話とは思えないのだが、悲しいかな事実である。友人ワーグナーの提案に乗ったニーチェ君は、その足で売春宿へ向い、売春婦と一晩を共にした。こうしてニーチェ君は晴れて童貞から素人童貞へとなったのであった。そのおかげで、素晴らし哲学者として大成しましたとさ。

めでたし、めでたし

と言いたいところだが、ニーチェ君の話はこれで終わらない。
 

 脱童貞はできたものの、最愛の女性であったルー・ザロメには手酷く振られた。自殺願望が沸き起こるほどニーチェ君は傷ついたという。素人童貞と言えども心は童貞だったのだ。それ以来人と深い交流は避けるようになり、哲学へ傾倒していく。ニーチェ君最大の傑作「ツァラトゥストラはかく語りき」を書き上げたのもその頃だった。
その中でニーチェ君は、人間関係の軋轢におびえ、受動的に他者と画一的な行動をする現代の一般大衆を「畜群」と罵った。ニーチェ君自身が、なりたくてもなれなかった‘一般人`に対する嫉妬の現れではないかと言われている。(非リアが一般大衆をパンピーリア充DQNといって罵るのに近い感じだろうか)

彼は、一般大衆になることができない孤独な自分に対する言い訳として、己の価値観を中心に生きる、個人主義的生き方を推奨して、『超人主義』を提唱したのであった。自分への言い訳を作った彼はより孤立を深めていく。

それから数年後、風俗通いが原因で患っていた梅毒が脳まで転移した。それが原因で、45歳の若さで頭がイカれた。1900年、世紀末の最後の年に肝炎が原因で亡くなる。まだ55歳の若さであった。

(´;ω;`)

 ニーチェ君の人生が、果たして悲しいものなのかそれとも偉大なものなのか、これについては答えがなく、人それぞれの意見がある。ただ、ぼくは彼のことを思うたびに、何故か悲しくて涙を抑えずにはいられなくなる。
悲しき非リア素人童貞毒男ニーチェ君、彼の哲学の中にも登場する『ルサンチマン』という言葉が、彼自身の悲劇的な人生を最もよく表している。

ルサンチマン、それは現実に対する不満である。

自分が苦しんでいるこの世界は実は本物ではなく、苦しんでいる自分が救われるべき世界があるはずだ、という願望である。そしてそれは、弱者が強者に対して抱く嫉妬であり、復讐感情である。

 

アパートの下の階から響いてくる男女の仲睦まじい様子に聞き耳を立てながら、

「どうせ奴らは、自らの実在が不確かで寂しいから肌と肌との接触を求める、孤独で愚かな弱虫さ。日々高級な悩み事に苦悩しては、一人で立派に世界と対峙しているぼくに比べたら、所詮奴らは満足している卑しい豚だ!」

などとつぶやくある男の、惨めで虚しい自己正当化こそがルサンチマンのいい例である。

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 この世に生を受けてから去年の10月まで、『華がなかった』という言葉に尽きる人生をぼくは送っていた。
オブラートを取り除けば、

生まれてこのかた女性とは絶望的に縁がなかった

ということになる。

中学生の時は「高校に入れば」

高校生の時は「大学に入れば」

と言い、自分を言いくるめていたものの、大学生になった去年の春、ついに退路を断たれてしまった。

「恋人なんて、しゃ、社会人になれば、社会に出てからだよなぁ」

などとつぶやく心の余裕すらぼくには残ってなかった。


 しかし、ぼくは別に女っ気の無い生活を悔やんではいなかった。ぼくは自由な思索を女性により乱されることを恐れたし、自分の周囲にある完成されたホモソーシャルな世界に満足していた。
それは外から見れば、クソ汚っい肥溜めのように見えたし、それに肩まで浸かっていた我々とっても、そこは肥溜めだった。ただ、生暖かく心地よかった。
類は友を呼ぶというが、ぼくの周囲に集まった男どもも、女性から必要とされない、否、女性を必要としない男たちであった。我々は、我々の魅力に気づけない軽薄短小な女性からの視線などものともせず、日々自己鍛錬に精を出し、さらなる人格の向上に努めた。

あるときは二次元美少女の完結性について議論し、あるときは生殖行為に起因する、たかが惚れた腫れたの‘恋愛`にうつつを抜かす、最高学府内を我が物顔で闊歩する腑抜け学生どもを罵倒した。またあるときは会の内部の風紀の引き締めとして総括・自己批判を行い、唾棄すべき有害思想である‘三次元恋愛至上主義`の混入を防いだ。
こうして我々はさらなる高みを目指し、精進の毎日を過ごしていた。

しかし、精進すれども精進すれども、一向に人格は向上することはなかった。逆に社交性や一般常識、服のセンスが下がっていき、いっそう男女交際への道が険しいものとなるばかりであった。我々個々人が抱える問題の根本的解決には繋がらなかった。
我々は表面上硬派を気取るものの、心の底では不純異性交遊を望んでいた。切望していた。しかれどもそれは容易には手に入らなかった。バラ色のキャンパスライフなどは、我々にとって高嶺の花すぎたのだ。それゆえのジレンマから生み出されたルサンチマンの発露が、このクソッタレコミニュティなのであり、我々なのであった。


 どうせなら、いっそのこと山に籠ろう、男女交際もままならないのに、社会とうまくやりあう自信がない。このまま下界にいても、もう良いことはないや。
大学を辞める親への言い訳を真面目に考えていた去年の10月、ぼくは『岡本さん』に出会った。
それからの出来事は前に書いたし、書くのも辛いので周辺的なことに留めたいと思う。


 彼女との交際期間中、ぼくは、サークル、ゼミ、クラスメイト、地元の友人、所属するすべてのホモソーシャルから軽蔑・ヒンシュクを一身に受けた。ぼくが日頃から恋愛の否定と純潔の尊さ、二次元美少女の完璧性を唄う、反リア充の急先鋒を気取っていただけに、そんなぼくに対する彼らの批判には、狂気迫るものがあった。
それでも正直に言えば、ぼくは嬉しかった。恋人ができただけで人生こんなにバラ色になるものなのかと。流行歌を聞いてはその歌詞の恋愛に、ぼくと彼女の関係を重ねたりもした。ぼくは恋にうつつを抜かした、軽佻浮華なアホ男と化していた。それこそ、昔のぼくが最も軽蔑すべき対象としていた人物そのままであった。

とにかく、それでもぼくは幸せだった。

愛のチカラでニヒリズムの打破さえできるような気になっていた。愛し合う二人。今のぼくこそが超人なのだと。
しかし、ダメ人間がそうも簡単に著人への階段を上がることは出来なかった。クリスマスを目前にした12月の初旬、ぼくは彼女に振られた。俗に言う破局というやつであり、失恋というやつだった。

 タチの悪い友人たちには、

「抜け駆けした天罰だ」

寄生虫女に全て吸い尽くされた」
(岡本さんが無類の寄生虫好きだったことから)

「君を振るとは、寄生虫女は聡明だな」

などと言われ、これみよがしに笑われたが、そんなことなどぼくにとってはどこ吹く風の馬耳東風、頭の中は‘岡本さんに振られた`という事実でいっぱいだった。

ぼくの何がいけなかったのか。

そればかりが頭を離れなかった。

 

 書こうと思えばこの失恋話だけで、トルストイをも凌駕する長編小説が書けそうではあるが、“三大聞き流す話”において、『老人の現代の若者叩き』・『友人のノロケ話』と双璧をなす、『若者の苦悩話』なんぞ誰も興味がないことは明白なのでここまでとしておく。


とにかく、ぼくはショックだった。クリスマスイブには冬の日本海を見に行くための金策に奔走した。それほど精神が病んでいた。
話はこの心身消失期から始まる。迷惑メールが来るようになった原因、ぼくが出会い系に手を出すまでの記録である。


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 暖房器具の故障により、こたつでの籠城を余儀なくされていた1日月のある夜、失恋で苦しむそんなぼくを見かねてか、高校時代からの友人である琢磨が、宅飲みセット一式が入ったビニール袋を両手に持ってぼくの家に押しかけてきた。玄関で顔を合わせるなり、

「悩み事など酒と一緒に飲み干してしまいましょうよ。男なら。」

などと、彼にしては非常に非論理的で性差別的なことを言って勝手に上がり込んできた。
吐息も凍てつく多摩の一月だというのに、彼はだらだらと体から流れ出る汗を手ぬぐいで拭いながら、ぬっとぼくの前に、とりわけ大きいほうのビニール袋を持った手を突き出してきた。もう一方の袋はこたつの上に置かれていた。中にはビールや焼酎、乾き物のおつまみが見えた。

「いつもどおり、全部生暖かいぐらいでお願いしますよ。何度も言うようですが、僕猫舌なんですから。」

琢磨から渡されたパンパンな袋の中には、合計1500円はくだらないと思われるおつまみ用の冷凍食品の数々と、お歳暮用の高そうな生ハムが入っていた。これにはぼくも驚いた。琢磨という男が、わざわざ金まで払って酒やおつまみを買ってくるとは。


 ぼくは琢磨の財布というものを見たことがない。彼はいつも人の懐に寄生していた。二人で宅飲みをする際は、酒からおつまみまでいつも全部ぼく払いだった。
外食の際は会計間際でいつも忽然と姿を消し、相手に清算の煮え湯を飲ませるのが彼の常套手段だった。三国一の守銭奴だと琢磨は自称していたが、琢磨の金に対する執着は、守銭奴のそれとは明らかにベクトルが別であり、単に意地汚いだけの男のように思えてならなかった。

「こんなにいっぱい持ってくるなんて、どういう風の吹き回しだ?まさか盗難品じゃあるまいな。」

訝しげにぼくが聞いた。

「まさか、そんなご冗談を言いなさるなて。僕からあなたへの日頃の感謝ですよ。」

「だとしたら、余計気味が悪い。」

「またまた、あなたも人が悪い。」

ぼくはおつまみを準備するために調理場へ向かった。

「それにしても、いつ来てもイカ臭いですねぇ、この部屋は。」

琢磨は言われるまでもなく、すでにこたつの中に入っていた。


 調理場に向かったぼくは、琢磨が持って来てくれたおつまみの準備に取り掛かった。電子レンジで長時間温められた冷凍枝豆と冷凍唐揚げ、フライパンでこんがり焼いた生ハムと冷凍餃子、それに炊飯器を持って、ぼくは調理場から部屋へ向ったころには、部屋では琢磨が、さきいかをしゃぶりながら既にビールをすすっていた。
こちらを見てニヤっとしていた。いつみても気味が悪い顔だ。

「連絡もせずいきなり来ることはないだろ。もしぼくが不在だったら三鷹から高幡までとんだ無駄足だったぞ。」

横柄な彼の振る舞いに少しムッとしたぼくは、手に持ったおつまみをこたつの上に置き、怪訝そうに言った。

「なぁに、寄生虫女に振られて傷心中のあなたのことだから、ひねもす家に篭もっているんじゃないかと思ってね。」

琢磨はビール缶の表面をつたいちゃぶ台の上に落ちた水滴を指で弾き、ピチャピチャとさせながらニヤニヤと答えた。

「それでも準備ってものがあるだろう、こちらとしては。」

「汚い君の部屋には慣れているから、どうぞお構いなく。」

「そういうことでは無くてだなぁ・・・」

「まぁ、そんな硬いこと言いなさるな。僕とあなたとの仲じゃないですか。ほら寄生虫、ちがった、さきいかでも食べてお酒でも飲んでさぁ。」

生傷に粗塩を塗りこむ彼の言動に、ぼくは憤慨しながらも、そこはぐっと我慢して、黙ってビールを仰いだ。終始ご機嫌だった琢磨は、高温でカラッカラになるまで温められた唐揚げをそうとは知らずに口に放り込み、その熱さに悶え、こたつを叩いた。

「生暖かくって、言ったじゃないですかっ~~!」

涙目で琢磨が訴えた。


 それから、いつものようにくだらない世間話をにさん話した。大学の奴らの愚痴話だったり、昭和特撮映画の話だったり、八王子市と立川市がどちらが都会であるかの話だったり、とにかくなんの生産性もない、いつものバカ話だった。
話がひと段落つくと、琢磨が少し恥ずかしそうに、しかし自信アリげにポツリといった。

「そういえば僕、童貞捨ててきちゃいましたよ、先月。」

突然の訃報に、ぼくは前後不覚になった。

憎たらしくもあり愛すべき童貞がまたひとり、ぼくの周りから姿を消した。


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 この押し付けがましい男、高木琢磨について書く。

彼とは高校の文芸部に入った時からの付き合いである。ぼくに灰色な青春を押し付けた張本人とも言うべき悪友で、ぼくが所属する全てのホモソーシャルの中で、最高位にして最悪な『文芸部クラスタ』の総裁であり、そこの精神的主導者であった。
哲学・文学に特に詳しく、その方面に関する彼の知識・主義・主張は指導教授にも一目置かれるほどだった。ぼくにニーチェ君を紹介してくれたのも彼だった。

幼少期から難しいことを常に考えているからであろうか、琢磨は、芥川龍之介で言うところのぼんやりとした不安、マルクスで言うところの人間疎外、太宰治で言うところの厭世観を、一身に背負ったような不景気な顔を常にしていた。
幼少期からの難しい哲学の詰め込みが反動となってか、琢磨は、人間性は一つとして褒めるところがないぐらいのダメ人間であった。勉強もせず怠惰で、ケチで、わがままで、へそ曲がりで、遅刻魔で自己中心的で、世渡り上手で、嘘つきで、刹那主義者で、葉野菜が食べられない奴だった。
 
ただ、不思議と愛嬌があり、その潔いほどの歪んだ性格は、愛すべきキャラだと捉えられていた。そのため腹が立つことに、琢磨はクラスでは意外と人気があった。

彼の溜め込んだ知識は、論理武装にも転用可能であり、人を詭弁で負かしたり、非難を煙に巻くのが得意だった。くだらない自分の意見をあたかも正論のように言うのは彼の十八番だった。

「イディアの影に過ぎない濁世を生きれば魂は汚れる。執着を捨て世俗との交流を断ち、精神の純化に努めるべきなのですよ。」

琢磨はよく言ったものだった。

「表象界に愛はなく、世間一般の言うそれは偶像に過ぎない。真実の愛は2次元美少女、特に幼女にある!」

琢磨はよく恥ずかしげもなく力説したものだった。


 現実を否定し、観念の世界に生きた男。男女交際を唾棄し、幼女信仰(ただし二次元)へ走った男、世界を振り切り、LOにたどり着いた男、それが高木琢磨であった。
一昨々年の春、ぼくが辛酸を舐めていた頃、たいして勉強もせずに、第一志望の慶応義塾大学に合格しながらも、その硬派な姿勢を貫き続け、ぼくの慶応ボーイ観を変えてくれたのも彼だった。

彼はそういう男だった

不器用なやつはあるが、悪い奴ではない。どうせ今日は、抜け駆けして恋愛に走っては、見事に振られたぼくに嫌味を言うのだろう。そしてまたいつものように、三次元恋愛の不完全性と二次元幼女の崇高さを説いては、琢磨なりに傷心中のぼくを慰めようとしてくれているのだろうと、ぼくは予想していた。
また、それに期待してもいた。
現実(恋愛)を捨て精神世界(二次元)への逃避を説く。ルサンチマンまみれの彼の言葉が、再びぼくの心のよりどころになるのではないかと。

しかし、その淡い期待はことごとく裏切られた。

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手にとった枝豆を、必要以上の吸引力で吸いながら、いつもの憎まれ口調で琢磨は言った。

「傷心中の君には悪いんんですけど、実は僕さぁ、先月セフレができちゃって、その勢いでやっちゃいましたよ、セックス。」

彼が口にしたのは、あろうことか自身の脱童貞の話だった。

「そんなくだらないことを言いに来たのか」

ぼくは発泡酒を口につけながら、できる限り無関心を装って答えた。頭の中では、琢磨との灰色な高校3年間が走馬灯のように蘇っていた。

‘高木琢磨`とあろう男からそんな俗な話を聞く日が来るとは夢にも思わなかった。

「バレちゃいましたか?いや~、流石ですよ。よっ!名探偵!この報告を失恋で苦しんでいるであろうあなた様に、是非したくて」

「おい、てめぇ、コノ」

「きゃっ、暴力だけはやめてくださいまし~」

「おい、くっつくなよ汚らわしい」

「だって、寒いんだもの。それに恋人に振られて寂しいんでしょ」

あまりにも腹が立って我慢できなくなったぼくは、

「これでも喰って暖をとれ!」

と言うやいなや、冷凍シュウマイ用のカラシを琢磨の口に無理やり突っ込んだ。しばらくの間琢磨は涙を流しながら反省しているようだったので許してやった。しかし、沈黙はすぐに破られた。


 エチルアルコールがいい具合いに回っているせいか、はたまた自らの言動に対する羞恥心からか、顔が赤く火照っている琢磨はいつになく調子よくしゃべった。

「物は試し、君も一回やってみたらいかがですか?見える世界が変わりますよ、世界が。
セックスはオナニーの延長じゃなかったんですよ。こうカラダとカラダが触れ合ってキスとか、あぁすることによってだなぁ、なんて言いますか、互いの実存を確認できるというか、虚構の表象界から抜け出して、生きている現実のこの世界と触れ合うことができるって感じたんですよ。リアルを感じたんですよ、リアルを。寺山先生が言っていた通りですよ。『書を捨てよ、セックスをしよう』っとくりゃ、もう。」

少し恥ずかしそうに、しかし自慢げに語る琢磨の姿に、ぼくは動揺を隠せなかった。こういうときは酔って早めに理性を飛ばすしかあるまい。

ぼくは2本目の発泡酒を飲み終えると、話し続ける琢磨をよそに焼酎を手酌し、がぶがぶと飲み始めた。

下ネタやホモネタ、最近見た桃色映像の話なら、高校時代から琢磨と会えば必ずといっていいほど話していたが、‘キス`などという背筋も凍るほどの甘酸っぱい単語を交えた、正統派なセックスの話をするは我々の業界では御法度であり、苦手分野であったため、我々は決して話すことはなかった。
そのため抗体がないぼくには、いつものようにチャチャを入れることはできず、ただ大正時代のうら若き乙女が如き面持ちで、耳を赤くしながら琢磨の話を聞くしかなかった。

琢磨は自分も付き合うと言わんばかりにぼくから焼酎の一升瓶を奪い、手酌で一杯やりながら、話し続ける。

「僕らは身持ちが硬すぎたんですよ。いっぱいAVを見て、いっぱいオナニーしたら‘セックス`から得られる情報など完全に補完できる、なんて大真面目な顔して言ってましたけど、あの熱さとか、やわらかさとか、伝わってくる吐息、リズムなんかは、やっぱり経験しないと分からないもなんですよ。知ったかぶりをして逃げていただけなんだよ、未知の経験を。脱童すると世界が変わりますよ、本当に。自分に自信が出てくるし、何より女が怖くなくなります。あなたは僕と同じ人間なんだから、初めっから恋愛なんてハードルが高すぎますよ。まず無理です。ですからまずは脱童貞。『セックスは恋愛に先んず』ですよ。」

「いつから貴様と同レベルにま、俺が落ちたというのだ」

「まぁ、そんなにかっかなさるなって。今に至っては‘汚れた`ぼくめと‘純潔`なあなた様の間には、天と地ほどの差がありますから。」

琢磨がむっつりと笑いながら答えた。

ぼくは動揺を通り越してまた怒りが溜まってきた。

非童貞は童貞より偉いのか、と。

脱童貞はそこまで実りのあるものなのかと。ワーグナーに脱童貞をしきりに勧められたニーチェも、きっとぼくと同じように、内心憤慨していたに違いない。
そもそも、ぼくが重度の童貞患者であることの原因の八割は、高校時代に琢磨が植え付けた有害思想に原因があることは歴史が証明していた。琢磨と出会ってなければ、ぼくも櫻井会長と虹色ハイスクールライフを送っていたに違いない。

怒りが頂点に達し、琢磨の胸ぐらをつかんで、全てぶちまけてやろうとした、まさにその時、彼がぽつりとつぶやいた。

「岡本さん、今頃どうしているだろうなぁ。」

「えっ!?」

唐突に彼の口から出た単語にぼくはびくっとした。

「いやぁ、僕に出会い系を決心させたのは、あなたの‘彼女ができた`って報告でしたからさぁ。実際会ってみたら岡本さんが、ああも、あなたの言っていた通りの、女の子だったから、僕ははもう気が気でなかったんですよぉ。つまりはですねぇ、回り回ってこの脱童は彼女のおかげとも言えるわけですよ。だからさぁ、彼女にも感謝しているといいますか、ねぇ。」

「出会い系?」

「あれ、言ってませんでしたっけ?ハハハ、それはそれは失礼しました。何を隠そうこの高木琢磨、出会い系サイトで知り合った人妻相手に脱童したのですよ。」


ぼくは、彼の脳がすでに梅毒に蝕まれてる気がしてならなかった。