「俺らが浪人生だったとき、元クラスメイトのFB見て回ったことがあったじゃん。
確かまさき君がデキ婚して子供ができたばかりの時期でさ、
……そうそう確か19の夏だ。
あのとき、赤ちゃんと一緒に映る彼のpostを見て『土人だな~w』って笑ったよな。
けど、30にして子供ができた今だからこそ思うよ。
彼は10年も俺より先を行ってたんだなって。」
そう話すぼくに対して、友人は冷静に
「自分の人生が常に前進していると勘違いしていないか?」
と言ってのけた。
「子供ができたんだもの。当たり前じゃん。」
とぼくは反論した。
夢破れて東京を去る男を見送る二人だけの送別会だった。
場所は秋葉原の肉の万世ビル。時期は2021年1月上旬辺りだったと思う。
二度目の緊急事態宣言真っただ中で、店内はぼくらと2組のカップルくらいしかいなかった。
集合時間は18時半と遅かったため、1時間も食べないうちに店を追い出されたぼくら。
飲み足りないということでコンビニで買ったお酒を飲みながら歩き、東京タワーを目指すことにした。
どうして東京タワーかというと、夢破れ東京を去る彼にぴったりな餞になると思ったからだ。
ただでさえ人通りが少ない日曜夜のオフィス街は、コロナ禍も重なりゴーストタウンのように静まり返っており、一本裏道に入れば車も全く走っていなかった。
車道の真ん中をお酒を飲みながら歩く。気分は輩。
「沖縄に帰って何するの?」
と聞くと、「理系の家庭教師をやる」と彼は答えた。
沖縄みたいな田舎にも、旧帝大の院へのロンダリングを目指す大学生から看護学校を受験する女子高生と、理系教育の需要は大きく俺みたいなものでも有難がられる。
死ぬなんてバカみたいなことはもう考えてもない、と彼は続けた。
道の先に小さく見えていた東京タワーがどんどん大きくなってくる。
「さっきからずっと東京タワー見えてるじゃん。邪魔する建物もなく。なんでだかわかる?」
彼に聞いたが返事はない。
「港区は景観条例で、東京タワーが街のどの場所からでも見えるように、厳しい建築規制をかけているらしいんだ。」
「東京タワーはそんなにいいものかね」
「アイコンみたいなものだからな。東京タラれば娘でも語られてたけど、アレが見える場所に住むのが一種の成功のステータスと化しているぐらいだからな。思い入れがある人も多い。」
「東京タラれば娘……なにそれ?」
どうやら彼は東京タラれば娘はおろか東村アキコも知らないらしい。
ぼくの口から最近のサブカルチャーの話や芸能ネタの話が出るたび「物知りだね」と言ってくれた。皮肉や侮蔑というよりも、それは世間に馴染めているぼくを純粋に褒めているような感じがした。
東京への未練はあまりないようで、その方面での話は膨らまず。
今後の話を一通り終えると、彼はシオランやゾラの話をし、それがぼくに通じないと見るやホモビデオの話をした。
昔の友人との共通の話題最後の砦がホモビデオになってしまったことに、ぼくはとても寂しさを覚える。
「お前が結婚をしてもう子供まで作ったって母親に話したら彼女なんて言ったと思う?
『お前はいつ結婚するんだ』とか『女に興味はあるのか?』なんて質問を通り越して、
『お前はオナニーをするのか?』だったよ。」
「酒鬼薔薇聖斗扱いかよ」
とぼくが笑うと彼も笑ってくれた。
伝わったようだ。
医療少年院で酒鬼薔薇聖斗の治療を担当した女医の治療目標の一つに『正常な女性の肉体をオカズにオナニーできるようにすること』というのがあった。動物を虐待したり児童の死体を眺めている時しか性的興奮を感じなかった彼にとって、オナニーのエロ本への移行は健常性・社会性の回復の兆候であった。少年Aのオナニーの進捗が注目されていた、というエピソードを彼も知ってるようだった。
思えばそのネタの出典である『少年A 矯正2500日全記録』をぼくに勧めてくれたのは15歳の彼だったような気もする。
始まりは同じような地点だったのにも関わらず、あれから15年経った今、ぼくは低俗に落ち子供を作り、日々芸能ニュースを見たり、有名YouTuberのチャンネルを登録したりしている。方や彼は反出生主義に磨きをかけ孤高を愛し、哲学をしたり物理をしたりしている。
「コンテンツを消費し過ぎ去るだけの日々にお前は虚しさを感じないのか」
と彼は言ったが、めざましテレビに始まり通勤時間のファスト映画、残業、21時帰宅のこんな生活でも、娘がハイハイしたり、7分粥が食べれるようになったり、喃語を話し始めたり、そうした一日一日の成長の過程を見ているだけで、なんだか自分の人生も前進しているような感じがする。
「向上心はなくなったけど、今まで以上に充実している気がする」
と答えると彼もわかってくれたようだった。
東京タワーに着いてもまだ22時だった。
0時まで東京タワーの周りを歩き時間を潰し、終電でぼくは家に帰った。
「妻と娘によろしく」と帰り際に彼は言った。
先日、沖縄から大量のジャガイモが届いた。
彼からだ。
沖縄に戻った彼は、家庭教師のアルバイトをしながら、家の近くに畑を借りてそこでジャガイモを育てている。
「晴耕雨読は心身に良い。まだ死にたくなってないからな。」
農園の名前はプログレス。
大量に収穫できるわけでもないので、あくまでも自家消費やおすそ分け用の栽培らしい。
日々ぐんぐんと成長していく野菜たちが、彼の心の癒しだとか。
「こんなにジャガイモが届いても料理できないんですけど」
と妻が苦情を言うものだから、しばらくはぼくが料理当番となってせっせこジャガイモを処理して離乳食を作っている。
このジャガイモを作ったオジサンはな、頭がいい。
だからこれを食べると、きっとお前も頭が良くなる。
けど、オジサンはな、頭が良いからいろんなことで悩んでいる。
だからきっと、お前もそのうちそうなる。
そうして沖縄で農業を始めるんだ。
前進しすぎて老成してしまった友人の話。