dボタンくん

娘の誕生に伴って親戚や友人たちからご祝儀を多くいただいたが、使い道がなかなか決まらず、そのほとんどが娘名義の口座に眠ったままになっている。

 

赤ちゃんでお金がかかるのはミルク代ぐらいなもので、服は西松屋で買えば上下セットで800円もしないし、絵本は妻が描いたものがたくさんある。

ぼくや妻の父母、つまり娘の祖父母からは玩具を買うという申し出が頻繁に届くが、全部断っている。子供に高価な玩具など必要ないのだ。

そういうわけで、子育てにはまったくお金がかかってない。

 

ダウンタウン松本人志はその著書(タイトル忘れた)において、貧困な家庭環境で育ったため、ろくに玩具など買い与えてもらえず、洗濯ばさみや消しゴムを時に消防車に、時にゴレンジャーに見立てて遊び、その想像力を養った、という話を書いている。

 

別に松本人志を育てたいわけではないが、発泡酒の空き缶や体温計ケースで楽しそうに遊んでいる娘を見ていると、「これでいいか」という気になる。

高価な玩具を与えても、彼女にとってそれがポテトチップスの袋より遊び甲斐のある玩具になるかどうかなんてわからないし、こうした欠乏のなかにこそ人生を楽しむ知恵が隠れているのだと、思ってしまうからだ。

 

 

浪人時代、パソコンも携帯もプレステ3もないぼくはとにかく暇で、いかに暇をつぶして一日を過ごせるか、に毎日頭を悩ませていた。

 

  1. 5:00 起床
  2. 5:30 シャワーを浴び散歩
    大学に通う同級生とばったり道で出会わないように、散歩は早朝と決めていた。weak up morning(弱者の朝は早い)と呼んでいた。
  3. 6:30 就寝
    両親が起き始めるころ、ぼくは二度寝に入る。
  4. 9:00 二度目の起床
    両親の外出を確認し部屋から出て、とくダネ!を観ながら残った朝ご飯を食べる。
  5. 10:00 時代劇を観る
    沖縄ではこの時間、暴れん坊将軍だったり、必殺仕事人の再放送がされていたので惰性で観てた。
  6. 11:00 BS1メジャーリーグを観る
    当時はまだイチローマリナーズで現役で、彼の試合を観るためにメジャーリーグをよく観てた。

 

気分がいい日は図書館に行ったり、自転車に乗って古本屋周りをしたものだが、うだつが上がらない7割方の日は、午前中はテレビを観てばかりだった。

メジャーリーグや時代劇の再放送は不定期で、放送してない日の方が多かった。そういう日は、暇すぎて、かといって娯楽はテレビくらいしかないものだから、リモコンのdボタンを押して各テレビ局が流すdボタンコンテンツで遊んでいた。

 

みなさんはdボタンを押したことがあるだろうか?

dボタン。それはテレビに真剣に向き合っている人しか押さないボタン。

テレビを観る習慣すら薄れてきたぼくは、もう5年くらいそのボタンを押してないような気がする。

 

dボタンを押すと、各局の簡易なポータルサイトのようなものが、災害速報のような感じで、放映中の動画の上下左右を囲むような形で表示される。

そこでは、天気だったり、最新ニュースだったり、交通情報なんかが見れたりする。

 

面白いテレビ番組がない暇な午前、まず地上波はNHKNHK教育(現Eテレ)、琉球朝日放送(朝日系列)、テレビ沖縄(フジ系列)、琉球放送(TBS系列)、BSはBS1、BS2、BS日テレBS朝日BS-TBSBSテレ東、BSフジ、BS11dボタントロールをした。

 

なかでも魅力的だったのがBS1BSテレ東だった。

 

BS1 メジャーリーグ・データベース

メジャーリーグのシーズンとなると、BS1では東部地区・西部地区の全球団の勝敗データや投手・野手の防御率だったり打率だったりの各種データを網羅した特設コンテンツが公開されていた。

初めはイチローの安打数の推移を確認するだけだったが、次第にイチローはおろかマリナーズも飛び越え、独自にサイヤング賞やシーズン最多ホームラン王を予想したりするのに使い始めた。

 

BS テレ東 東証一部株式検索

文字通り、東証一部上場企業の株価を調べることができる。

前日の値上がり率1位を見て、「これを〇〇株買っていたら△△万円儲けていたなぁ」と妄想したり、当時破綻寸前で超低空飛行を続けるJALの株価推移を見守ったり、不動産開発界隈における大手仕手株ゼクスを監視したりした。

 

この二つのdボタンコンテンツの遊びは今ではインターネットを通じて簡単にできる。

が、上京しネット環境が整ってからはメジャーも株価も一切追わなくなった。

代わりに艦これをやったり、中華性の動画違法アップロードサイトで深夜アニメを観るようになった。

 

dボタンくらいしか遊べる玩具がなかった浪人期と、パソコンを買いネット環境も整備された大学生時代、どちらも不毛な時間を過ごした点は変わりないが、前者の方が娯楽に飢えていた分工夫して遊んでいた、という点において有意義だったような気がする。

 

映画レインマンを観てみろ。

人はいざとなったら電話帳ですら遊び道具にできるんだ。

 

松本人志が貧しかった幼少期を肯定するように、「欠乏は人生を楽しむ知恵を与えてくれる」なんて大層なこと言って、ぼくもまたあの時期を肯定したいだけなのかもしれない。

そんなつまらないプライドから生まれた信念に基づき、ぼくは娘に玩具を買わない。

 

 

 

センターが近いな、まだ物理の対策してないな、どうしよう。

 

と不安になりながらも机に向かえなかった2年目の秋。

ぼくが浪人を始めたのとちょうど同時期に不登校になり、その半年後高校を中退した弟が、これまたぼくと同様にdボタンで遊んでいるのを見た。

 

NHK教育(現Eテレ)木曜18時からの天才てれびくん生放送では、生放送でテレビ戦士たちがプレイしているゲームを、視聴者も「茶の間戦士」としてdボタンを通じてプレイすることができたが、弟はその番組をdボタンゲーム収集のためわざわざ録画し、暇を見つけてはその番組を再生してdボタンでゲームをしていた。

 

BS1メジャーリーグ・データベースについてはぼく以上の情熱を持っており、各球団の有名選手別の統計をノートに取っていた。

 

今思い出した。

あれは傍から見ると身の毛がよだつ。

 

あそこまでいったらヤバいな、とも思えてきた。

 

明日は娘に玩具でも買って帰えろう。