労働組合疲れ

ぼくは職場の労働組合でまぁまぁ偉い立場にいる。

数百人の組合員を束ねる役職(オタクなのに!?)に就いている。

 

この役職には就きたくて就いた、というよりは、前任者である人が後継者を見つけられず、長年その職責に苦労されているのを見るに見かねて自ら人身御供となった、という感じ。

 

労働組合での仕事は報酬のないボランティア活動のようなものであり、明確な指揮命令権もない。

「人事(生活)」という生命線を握られている仕事とは違い、オープン・ショップ制のぼくら組合では、組合にgiveするものはあれどtakeするものは少ない関係上、放逐されたからと言って痛くも痒くもないからだ。

職責とはつまり直接的な制裁を伴わない道義的責任。それのみがこの役職にのしかかる重荷だ。

 

ぼくは前任者とは違い、責任感のない、体面もへったくれもないオタクだ。こんな職責に苦労することなんてないと思ってた。

 

いちおう立場が立場なので、この役職には組合員の信任投票を経て就いた。立候補者ぼくひとり。その面倒くさい選挙の過程で、ぼくは声高になんども組合活動に伴う負担軽減と組合活動の取捨選択を訴えた。

 

結果はもちろん信任多数の当選。

 

ぼくのこの姿勢は民意を得ている。

 

だからぼくは、例え上からどんなに理不尽な動員の命令(※例:国会前で反安倍政権のデモやるから20人若手集めろ)が出ようとも、意義を感じなければ反論するか無視する、というような反抗的態度で組合活動に臨んだ。

 

 

立場上、数百人の組合員を束ねる役職(オタクなのに!?)に就いているため、「デモに人を出せ」「金を出せ」「共済の契約を取らせろ」「機関誌を配らせろ」「署名を集めろ」といった命令が本部から降りてくるが、気分によって従ったり、従わなかったりする。

 

機関決定を経た命令にも従わないぼくをクビにしない本部はいかがなものか、と我ながら思う。ぼくみたいなのは組織の癌だ。

しかし、担い手不足が甚だしいこの業界はそんなぼくも切れず、ぼく(オタク)に逆ギレされたら困るから怒られることも少ない。だから、ぼくは組合本部をナメている。

 

けど、呆れられたり、無能扱いされたり、ぼくと同じようなリーダーが集まる場では仲間外れにされたりするのは堪える。割り切っているとはいえ、これがけっこう傷つくのだ。

 

組合本部から下った命令をボイコットするのは約5割くらいで、残り5割については従っている。5割しかやっていないのに、月30時間くらいは組合の関係で勤務後も職場で作業したり、土日に出たりしてる。すべて従ったらいくつ体があっても足らない。

 

 

この役職に就いたことについては後悔ばかりではない。若くして数百人を束ねるという良い経験をさせてもらった、と思っている。

 

けど、もう疲れた。

 

子供も生まれ、毎晩21時までには家に帰りたい。虚無みたいな組合活動のせいで娘の寝顔しか見れない生活が続くのはもうウンザリだ。

 

流行りの適応障害かもしれない。

最近は組合関係のことは考えるのが嫌すぎて、組合関係のメールや郵送物は開きもしてない。結果、いろんな会合を無断欠席となり注意を受けたり、提出物の催促の電話を毎日いただく。

 

ぼくだけの問題ではない。そんな組合組織の癌と化しているぼくを切れない組合組織自体にも問題がある(責任転嫁)。

 

慢性的な後継者不足からも分かるように、もはや組合活動には人を引き付ける魅力がない。参加者はひたすら自己犠牲を強いられる。

 

その活動内容に意義があるのであれば、その自己犠牲を上回るほど自己実現欲求が満たされるのであれば、人も集まると思うが、実際はそんなことはない。

 

組合活動には消極的なのに、土日は炊き出し等の地域のボランティア活動に熱心に参加する若手もたくさん知ってる。

彼らの目には、組合活動はきっとくすんで見えるのだろう。

そんな組織だから担い手が常に不足している。ゆえに、ぼくみたいな癌の手も借りたいのだ。

 

ぼくは根が左なので、労働組合という存在とその機能については今でも肯定的だ。

しかし、その他組合同様ぼくの組合は肥大化、官僚機構化、硬直化しており、そのせいで機動性が著しく低い。というか機能していない。

 

春闘オルグ(新規勧誘)・役員選挙といった形骸化した年中行事を回すのでいっぱいいっぱいになっており、目の前で苦しんでいる労働者に手を差し伸べる余裕すらない。

 

昨今パワハラや不当な人事に対する駆け込み寺が組合ではなく、文春だったり外部の転職エージェントだったりしているのがその証左だ。

 

三井物産労働組合の活動を報じた記事で面白のがあった。

 

business.nikkei.com

 

内容を要約すると

  1. 執行部の担い手不足が原因で労働組合が解散
  2. 労働組合がないと労働法上都合が悪い会社がクローズドショップ制(社員全員を組合員する)を採用し、新生社内労組の創設を支援
  3. 創設された新生社内労組はクローズドショップ制のため、組織維持のための活動に注力する必要がなくなり(命令を聞かない組合員がいれば組合員の資格をはく奪し事実上のクビにできるため)、労働組合として機能性が向上した

企業に創設を支援される、ってまるっきり黄犬組合じゃん(笑)

な話なんだけど、ぼくが注目したのは1の【組合崩壊理由】と3の【機能性の向上】。

 

ぼくの所属している組合はまさに1に至る過程と言ったところ。

執行部は、「組合員の生活を守る」という機能を果たす以前に、「労働組合としての組織維持」でいっぱいいっぱいになってしまい、そんな意義の見えない活動は組合員の自己犠牲で支えられている。

 

歴史や規則や独自雇用(専従)、政党や労金や共済といった外部とのしがらみがあるせいで、柔軟な行動が取れずにいる。

 

この2年間、機動性を高めようと、ぼくがトップを務める組織ではいくつかの改革を行った。

 

  • 組織のサイトを作り原則紙での情報共有を廃止
  • Googleフォームを使い役員選挙を電子化
  • サイトと家計簿アプリを連動させ歳入歳出のリアルタイムでの見える化
  • 会議や大会をYouTube Liveで開催し土日動員をゼロに

 

活動の内容を伝える媒体をすべてサイトに集約したため、主体的に読みたいと思っている全体の数パーセントにしか情報は届かなくなった。

選挙の投票率も9割から5割へと大幅に落ちた。

大会の出席率(視聴者数)も成立規約をぎりぎり満たすくらいに悪化した。

けど、組合活動への関心なんて所詮そんなものだろう、と割り切るしかない。

 

これら改革のおかげで各組合員の負担が減ったことは事実。

これは誇りに思っている。

活動自体にではなく活動負担の軽減にしか誇りを持てないのは寂しいことではあるが。

 

先日、これら実績を本部に報告し、「本部活動でも組合員の負担軽減と機動性を高めるためDXを進めてほしい」と進言したところ、「まともに組合活動やってないお前が意見するな。サボりたいだけだろ。」みたいなことを言われて喧嘩になった。

 

後で聞いた話によると、本部はお抱えの印刷業者がいたり、外部機関(人権センター等や某政党のシンクタンク)から大量定期購読している紙媒体があったり、本部専従が高齢者ばかりでパソコン触れなかったり、などなどの事情があって、死んでもDXしたくないんだとか。死ねよ。

 

第五列として組織を腐らせることをここに決意。

自民党にも入党しました。

 

後継者不足に悩む腑抜けた組織だ。

きっとスパイだとバレても、何にも糾弾されないような気がする。