小学2年生のころ、友達の友達からゲームを借りたことがあった。
ゲームボーイ版のボンバーマン。
1か月の約束で借りたそれを、ぼくは2週間くらいで失くしてしまった。
貸主は友達の友達という遠い関係性上、頻繁に顔を合わせる人ではなかった。「失くしたので返せない」ということを貸主に伝えるきっかけがなく、約束の1か月が経った。
貸主や貸主とぼくを繋いでくれた友人からは、返却の催促はなかった。
1か月が過ぎ、2か月が過ぎ、1年が過ぎた。
それでも催促はない。貸主は、ぼくにゲームを貸したことすら忘れているようだった。
彼は大きな社会福祉法人の理事長の子供で、家は裕福であり、ゲームソフトは無数に持っていた。
今でいうところの『クソゲー』であったボンバーマンのソフトの行方など、彼にとっては些細なことだったのだろう。
彼からの催促がないことをいいことに、ぼくは彼からそのゲームを『借りパク』することにした。
借りパクしよう、と決意したその日から、ぼくは別の不安に苛まれることになる。
「大人になったある日、『アレ返せよ』と急に彼に詰め寄られたらどうしよう。買って返却しようにも、プレミア価格とか付いてたらどうしよう。」
そのボンバーマンのゲームソフトの包装は少し変わっていて、紙の箱ではなくサクマドロップのようなスチール製の箱に収納されていて、当時からレトロ感を売りとした外見をしていた。
折しもなんでも鑑定団に端を発した「レトロ玩具ブーム」の真只中だったため、
「失くしてしまったボンバーマンのゲームが将来100万円なんかになったりしてて、大人になったとき、その額の弁償を貸主から求められやしないか」
と小学生1年生のぼくは不安に思ってた。
不安になったあまり、小学生にして不眠症にもなったし、より引っ込み思案になってしまった。この不安とは小学校時代ずっと付き合っていくことになる。
大人になったいま思えば「馬鹿げた不安だな」「かわいいな」と一蹴できる。けどそれは、色々な人生経験を積み、それより深刻な不安を抱えている今だから言えることだ。当時のぼくにとっては、その不安こそが「これまで人生生きてきた中での最大の不安」であったことは否定できない。
労働組合のことや、仕事のことや、家族のこと。不安は尽きない。
この不安もいつの日か『馬鹿な事で悩んでいたな』と笑い飛ばせる日が来るのだろうか。
不安に押しつぶされそうな夜、ポケットボンバーマンのことを考える。