家族の不幸な話

むかしNHK教育で放映していた『ボーイミーツワールド』というアメリカのホームドラマが好きで、小学生のぼくはよく観ていた。放送時間はたしか19時~19時半。

天才テレビくんの後の枠で、ちょうど母親が仕事から帰ってくる時間帯だった。

 

ある日の回で、主人公のコーリーが「悪友のショーンがモテるのは家庭環境に影がありドラマティックだからだ」と思い込み、「ぼくの両親はともに事故で亡くなった」と嘘をつき女の子の気を引こうとする話が合った。

 

 

意味が分からなかった。だって、父母ともにそろっていて平凡ながらも健全な家庭で育てられた子の方が、そうでない家庭の子よりも優良物件に決まってるじゃん。その方がモテる。

子どもながらにそう思っていた。

 

 

 

 

 

雰囲気のいい薄暗いお店、例えばバーなんかで、「さあこれからもう少し深い話をしんみりしていこう」というタイミングなんかで、相手からぽつりと複雑な家庭環境の話が出る。

 

幼少期、父親から受けたDVの話。

 

母親がなんども、なんども自殺未遂を繰り返している話。

 

「淫蕩な血が流れているらしいんだよね」と笑って言った、祖母、母、私の、女三代の離婚の話。

 

彼女たちからそういう話が出るたびに、いわゆる”健全家庭”で育ったぼくは閉口してしまう。

不用意な何かを口にしようものなら、「お前にはわからないくせに」とピシャリとやられる気がして怖いのだ。

 

その他不幸話なら、ぼくにもいくつか引き出しがあり自虐自慢のマウントが取れる。

が、「自分の母親が自殺未遂常習者(これは妻)」なんて話には、乗っかれる人生経験もなければ度胸もない。

ただ黙って聞くしかない。

 

想像で共感を示すには畏れ多いほどの神聖さを、ぼくはその手の話に感じる。

 

異性での失敗の話や学校でイジメられてた話なんかは笑って聞いてしまう。そこにはいくつか共感できるところがあり、正しい回答を持ち合わせている自信がある。

でも、育ってきた家庭環境の不幸話、これは別だ。

 

まったく触れられないがゆえに、ドラマのヒロインのようにそれを語る横顔は美しく、毎回心を動かしてしまう。

 

 

 

今となってはコーリーの気持ちがよくわかる。

「ないものねだり」といったら、きっと当事者たちからは顰蹙を買うだろうが、あの雰囲気を共有できたらどれだけいいだろう、とぼくは最近思う。

 

 

 

ボーイミーツワールドが終わるか終わらないかの時間に母親が仕事から帰ってきて、ぼくら兄弟は彼女の買ってきた弁当を食べ、彼女は夜勤で職場に戻る。

 

21時、父が帰ってきて、茶碗を洗ってなかったり、部屋を片付けてなかったりしているぼくらを怒鳴り酒を飲む。

 

23時、父がニュースを観る横で就寝。