モルカーに対抗して…エッチせんかー?

あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ

 

という歌い出しが特徴的な名曲『ひと夏の経験』。

 

この歌を歌ったのが当時15歳の山口百恵だった。

まだ中学生の少女が歌う処女喪失を思わせる歌は、当時センセーショナルな反応を巻き起こした。

たかだか性交に「一番大切なもの」と意味付けする、むしろ15歳らしいピュアな歌ではないか、と今では思う。

 

 

2008年。高校2年生。

17歳の夏だ。何かあってもおかしくない。

当然、ぼくは何にもなかった。

 

自称地方進学校那覇国際高校の夏休みは短い。

模試や夏季講習なんかがあって、純粋な休日は20日間ほどしかなかった。

8月20日には後期夏季講習という形で授業が開始する。

 

「たった20日の間にドラマなんて起こるわけがない」

と高を括っていたが、健全な若者にとってのひと夏は高齢者にとっての20年を凝縮したくらい疾風怒濤の連続らしく、クラスメイトの男子の何人もがその夏で童貞を捨てた。

 

「××とやったw」

 

という話を直接聞いたわけではないが、男子の雰囲気でわかるのだ。

 

物心ついたときから横山まさみち先生の「やる気満々」を読んでいたぼくは、人一倍偏った性知識があり、童貞先生としてクラスメイトの男子を相手によく講義をさせられていた。

 

しかし、その夏を境にウケの良かったその講義も、笑いよりも「やっぱわかってないぁ」と嘲笑されることが増えた。だからやめた。

 

誰の胸がデカいとか、最近見たAVの話だとか、そういう生々しい性の話は「もうよくないか?」と避けられることが増え、時々妙に愁いを帯びた表情をつくったりするのだから、男子のそれはわかりやすかった。

 

しかし、女子はまったくその気配が読めなかった。

夏休みに入る前といたって変わらない感じ。

ぼくが鈍くて気づけなかっただけか、それともまったく女子と接点がなかったからか。

 

その夏、クラスの多くの男子が童貞を捨てたことから、クラスの同数の女子もまた処女を捨てたんだと思う。

 

「可愛い」という感情は弱い存在に対して感じる優越感の投影だと言われいてる。

クラスの可愛いあの子に対して生じるこの感情も、彼女が非処女だと知ったら感じなくなるものなのだろうか。

童貞のぼくは非処女の彼女と比べて劣っている。

 

いや、まだ彼女が非処女だと決まったわけではない。

可愛いし、サッカー部の彼氏もいるけど、まだかもしれない。

 

恋愛に関する知識と言えばアサヒ芸能やCIRCUSで学んだ、「ススキノの売れっ子フードルが教える本当にイケる性感帯」なんてものばかりで、「人前で恥ずかしげもなく手がつなげる男女はもうやってる」なんてことは露知らず。

 

始業式が終わると、2年生のみ体育館に残されて「学校裏サイト」についての学年集会が始まった。

 

ゼロ年代中盤、SNSなんてまだないBBS全盛期。

今では「学校裏サイト」という響きにノスタルジーすら感じる。

スレッドは2学年のことが中心だった。教師へのグチや「女生徒の〇〇はヤリマン」、「△△にパイズリされたい」だとかそんなもの。

そんなサイトでも一日あたりのPV数が1,000を越えていたというから驚き。

自称地方進学校にはそれだけ娯楽がなかった。

 

「ああいうサイトは絶対見るな。書き込むな。」

「管理者は早く削除しろ。長引けば警察に相談せざるを得ない。」

その投稿が原因で学校に来れなくなった女子生徒がいる、という話が続いた。

 

むしむしと暑い8月の沖縄。

体育館の中で30分以上にわたって生活指導や学年主任がマイクリレーをした。

 

教室に戻ると、今度は担任からも同じような話。

クラスメイトの人たちはよく、休み時間にそのサイトを見ながらげらげら笑っていたから、共犯意識があるのだろうか、みんなバツが悪そうな顔をしていた。

 

ぼくは携帯もなければパソコンも持っていなかったので、クラス内で唯一クリーンなことが証明されていた。

 

みんなそんなに身内とエッチがしたいのか。死んじゃえ。

 

ぼくの家にはクーラーがなく、暑さから逃れるために下校後は19時半の閉館時間まで図書館で変な本を読んで時間を潰していた。そうした中で、ヤコペッティ世界残酷物語やバーバレラのジョーン・フォンダを知った。

 

エロとは北の大地のブードル(風俗アイドル)に向けるものであったり、B級映画にちらりと映る未成年女優の乳首に向けるものであった。

エロとは血が通っていたり、汗の匂いがしてはいけない。

 

 

先日自殺した元クラスメイトは、ぼくと同じく引っ込み思案なタイプであったが、鬱病の治療で医者から向精神薬を処方されてからというもの、人が変わったように異性交遊に積極的になった。

 

27にもなって、小学生のときよく遊んでいた女友だちの家のチャイムを鳴らし、15年ぶりに再会した相手をいきなり食事に誘うくらいにおかしくなっていた。

 

今思えば向精神薬の影響だけではなく、死を予感したキンタマの必死の生殖行動だったのかもしれない。

 

彼が自殺する半年前、彼から「高校のクラスで同じだった〇〇ちゃんとやったw」という話を聞いた。

 

〇〇ちゃん。

あのクラスで可愛かったあの子だ。

 

琉球大学在学中、当時の彼氏との破局が原因で鬱病になり大学を中退した

・中退後ガールズバーで働いている

鬱病罹患をきっかけに股が緩くなった

・乳首の近くにいぼがある

 

等の話を聞いた。

 

・処女は15でとうに捨ててた

 

ということも。

 

なんだ~高2のときサッカー部の彼氏とのひと夏で失ったと思ったら、15でとっくに失ってたのか~

 

当時のぼくが彼女に好意抱いてたことに気づいていた彼は、彼女にぼくのことも聞いたらしい。

そしたら「やってもよかった」と答えてくれたそうな。

 

向精神薬OD特有の虚言かもしれないし、真実かもしれないし、彼女も近々自殺してしまうのかもしれない。

 

彼が死んだ今となっては確かめようがない。

彼女の家のドアをノックして聞くわけにもいかないし。

 

モルカーに対抗して…エッチせんかー?

 

30歳になっても、たかだか性交に気持ち悪いほど意味付けをしてしまうぼくは、いまだ安易に性交ができずにいる。