幽霊

大学1年生のころはとにかく時間があった。

 

2年間宅浪だったため周りよりも1~2つ年上で、母親以外の人と話すのにブランクがあって、何となくプライドが許さなくて斜に構えていた。

 

そしたらゼミや語学のクラスで孤立してしまい、情報がまったく入って来なくなって、事前にセットされていたゼミと語学の4単位を除き履修登録を忘れてしまったのだ。

 

気づいたのは履修登録期間が終わった二日後。学部事務室に駆け込み半泣きで訴えても梨の礫。

「〇〇教授の講義はラク単位」

だの

「今日ランチしたら〇〇の小テスト対策会しよう」

だのの話で盛り上がる語学・ゼミの面々の中、孤立はさらに深まり、語学やゼミすら行かなくなった。1年生の4月にして前期取得単位ゼロ確定。

 

「アイツまったく大学来なくなったけど仮面浪人でもしてんのかな」

とか言われていたら嫌だな~、と思いながらクーラーの利かない下宿先で戦国ランスをする日々。パソコンの熱暴走でよくセーブデータが飛んだ。

 

下宿先は東京都中西部の日野市。

宅浪期間も換算すると20年間いた地元沖縄を離れ、知らない街でたくさんの時間を持て余した。

「散歩でもするか」

と京王線を西にひたすら進み、2時間かけて八王子駅までよく歩いて行った。

 

八王子駅周辺には古本屋が点在しており、そこの古本屋は値段を知らない。

神保町では1万を下らないような珍しい書籍が、店頭に500円以下の値段で平積みされていた。ゴミ箱と宝石箱をひっくり返したような店内。そこでぼくは児童ポルノを探していた。被写体の年齢が若そうなグラビアを見つけると、右手の携帯でその子の名前を調べ、その本の出版年から年齢を計算する。

 

分かりやすいもので言うと、中野のまんだらけでは当時5万で売られていた栗山千明の『神話少女』が八王子価格だと1,500円。八王子は本当に山梨で、都条例の範囲外で禁制品じゃないから安いのかも、と本気で思った。

 

今になって思えばせどりの大チャンスだったけど、ぼくにとって児童ポルノは金儲けの手段でもなければエロの対象でもなく、心に忍ばせる革命爆弾、言わば梶井基次郎の檸檬みたいなものだった。だから買ったことはない。児童ポルノはただ探して見つけることのみに快感を覚えていた。

 

エロ本関連でいうと、ぼくは当時の風俗が色濃く残った紙質の悪い雑誌やムックを好んだ。「こ、こんなブスが…」という写真が続いたり、写真のコピーを今や有名な作家となった人が書いているのを発見したりする。風俗広告の今と変わらぬ抜きの値段に「性もデフレの波には勝てずか」とため息をついたりする。

 

古本屋に来てエロ本を物色し、エロ本を買って帰るだけでは世間体も悪い。いちおうその他の本も買ったりする。ザミヤーチンやブルガーコフともそうした中で出会った。

本を買う際はそうした真面目な本でエロ本をサンドイッチして買う。

 

大学に通う代わりに毎週のように古本屋に通っていたからか、店主もぼくのことを相当な「文学青年」として誤解したようで、居合わせた読売新聞の文芸月評の記者や東大の教授なんかを紹介してくれた。彼らも常連だという。主目的がエロ本の購入だったぼくはその度ごとに申し訳ない感じがした。

 

八王子駅周辺の古本屋界隈は、どこの古本屋界隈もそうであるように平均年齢が40代後半くらいで、まだ若いぼくは奇異な存在だった。そんな中でもさらに奇異な存在があった。

 

夏の原風景から抜け出してきたような、白いワンピースを着た14~15の女の子だ。病的に体が細く、夏の暑い日々、彼女は決まって肩紐の腕の露出が多い服装を着るものだから、遠くから見ても目立つフォルムをしていた。

 

失礼も承知で書くが、顔は普通。昼でも薄暗い古本屋の店内をふらふら歩く彼女を初めて見た時、「幽霊だ」と腰を抜かした。ちゃんとレジで会計をしているところを見るに幽霊ではないらしい。足もある。

 

彼女は月に1回、多いときは毎週のように古本屋で見かけた。彼女が店内に現れるたび、ぼくは本を探すをやめてその動向をじろじろ目で追った。店主はぼくのそうした行動に気づいてか「最近見るようになったんだよね。中学生だろうに学校はサボっているのかな」と話してくれた。

 

「彼女はどういうのを買うんですか?」

と聞くと、「東野圭吾だとか三島由紀夫だとか年ごろの子が買ういたって普通の本だよ」と店主は答えた。三島由紀夫という少し背伸びしたチョイスはあの風貌にぴったりで100点だったが、東野圭吾というのが少しいただけなかった。

 

2年生の夏。八王子駅前の商店街で開催される青空古本まつりでも彼女の姿を見た。手に取っていたのは東野圭吾の『マスカレードホテル』。強い夏の日差しに照らされながら、彼女は表紙とにらめっこをしていた。

 

東野圭吾くらい新本で買えよ、と思ったのが一点。

 

影もあるしやっぱ幽霊じゃなかったんだ、と思ったのが二点。

 

2年時の後半から真面目に大学に通うようになり、八王子からは足が遠のいた。

 

映画『マスカレード・ナイト』を観て、八王子駅周辺の古本屋に通ったあの暑い日々を思い出した。