創作日記

先日、新宿のritbarというジャズバーで会食をした。
相手は20そこらの女子大生。慶応義塾大学の看護学部に通っている。
可愛げのある子だったので、下心がなかったといえば嘘になる。

今が真っ只中だという就活の話や、ぼくの仕事の話、元カレの話や家庭環境の話など、いろいろな話をしたが、話があまり弾まない。それもそのはず、ぼくには別段話したい話も無ければ、相手の話に合わせることができるほどの引き出しもないのだ。
「趣味は?」
と聞かれても困ってしまう。本も余り読まなくなったし、休日、自分でも何をして過ごしているのかよく覚えていない。
「就活のアドバイスお願いします」
と言われても困ってしまう。偉そうに語れる話はなく、ただ惰性で流されてきただけだ。
「沖縄出身なんですね~」
「あ、、、はい……」
あの地に特にいい思い出はない。かと言ってディスれるほどの憎しみもない。

そんなこんなであまりお喋りではなさそうな彼女が話し手となり会話を回し、ぼくは賢明な聞き手に回るだけだった。

そんなこんなでぼくにとっても、また彼女にとっても災難な会食だったが、一点だけ考えさせられる話があった。創作についての話だ。

彼女は漫画を描くのが好きだった。大学では漫画研究会に所属し、年に3本は50ページ超の漫画を描き上げ、出版社に送ったり、サークルの会誌に寄稿したりしてるという。
「漫画を描くことはライフワークにしていきたいの」
と彼女は言った。
「じゃあ、将来は漫画家になりたいの?」
と聞くと、それとこれとは別らしい。
漫画はあくまでも自分の考えや、想像する物語を表現するための手段であり、仕事にすることは考えていないらしい。
「自分の才能じゃ商業誌で闘えない、ってもうわかっちゃってるしさ」
と彼女はニコリと答えた。

自立した女性になること、それが彼女の至上命題だった。

資産家の令嬢として、花よ蝶よと育てられ、労働の「ろ」の字も知らずに大人になった母。その母が、変な男に引っかかり、婚外子として自分を産み、シングルマザーとして世間の荒波に揉まれている様を傍らで見てきたからこそ、私はこう思うの、と彼女は言った。

看護学部に進学したのもそのためらしい。看護という仕事に対して興味はないが、手に職がつけられるし、自立できる。
にも関わらず、慶応大学という私大を選んだのは、勉強のできる自分自身に対する、一種の言い訳のような気がぼくにはした。
彼女は頭がいい。難しい本だってたくさん読んでいるし、哲学から社会問題、それからサブカルに関する見識が高い。

「看護の仕事はあくまで生活のため。自己実現の手段はやっぱ漫画かな」

「仕事と自己実現を割り切って考えているんだ。スゴイね。大人だね」

「坪内さんはどうなの?」

「ぼくは……よくわからないや。昔は小説家になりたいと思っててさ。公務員になったのだって、そのための手段なはずだったんだけど。最近は本も読めない有様だし」

「小説家になりたかったの?ってことは何本か書いたことあるとか?」

「うん、学生時代に5本くらいね。箸にも棒にもかからない中編小説だったな」

「最近は何か書いていないの?」

「日記……ぐらいかな、それも月1だけど」

 


会食の帰り道、前々から考えていたこと、なぜここに日記を書くんだろう、について電車に揺られながらふつふつと考えた。
いまの自分の感情を残しておきたいというのが一つ(自己保存装置としての日記)。質問されたら、今まではそう答えていただろう。でもそれなら、なぜ公開するのか、誰かに見せたいから?

たまに、公開している過去の日記を読み返し、それを修正したり、追加したりする自分がいる。日記とは保存装置であり、本来追記するなんて行為は許されないものだ。それは日記ではなく単なる創作だ。

それに、自分自身の感情の保存装置であるとしたら、主語は3人称以外書かれてしかるべきではない。日記の文面に「ぼく」なんて一人称が頻出すること自体、分裂症地味た不可解なことなのだ。

ここの存在意義について考えさせられることがあって、再び初めから日記を読み返してみた。「あ、これはだいぶ盛ったやつだ」という話もあれば、「ウソかホントか今ではもうわからない」という話もあった。確実に盛った話なのに、脳内では何故か映像化された”思い出”まである不思議な創作日記もいくつかあった。
初めは見よう見まねの文章で、自分の今を書きたかっただけだった。それが、そのうちぼく自身すら騙す創作物となってしまったから手に負えない。

 

 

「本をよく読むならさ、オススメの作家さんとかっている?」

「そうだなぁ、背伸びして答えるとロシア文学の巨匠”ト ル ス ト イ ”だけど、実際よく読んでハマったのは森見登美彦中島らも太宰治だなぁ」

森見登美彦?どんな話を書くの?」

「留年や休学を繰り返す腐れ大学生の不毛な青春を書かせたら天下一だよ。四畳半神話大系太陽の塔なんて大学時代に何度読み返したことか。」

「ふ~、面白そう。今度買って読んでみるね。」

「あ、でも、買って読むなら太陽の塔だけでいいと思うよ。四畳半神話大系なんで太陽の塔の焼き増しみたいなものだし、あとこの人さ、この2つくらいしか面白い作品がないんだ。他の作品はみーんな駄作。結局、自分の不毛な大学生活に基づく話しか書けなかった人なんだよ。」

「へ~、そうなんだ。そういうばさ、私もこの前そんなこと編集者の人に言われたよ。私の描く漫画ってさ、いつもは私小説みたいな感じで、主人公が等身大の”わたし”何だけど、この前はキャリアウーマンをモデルに描いてね、『リアリティがない。背伸びするな』って編集者の人に散々言われちゃったよ。」

「自分が体験していないことも含め、リアリティを持って上手く書けるかどうか、がプロとアマチュアの違いなんだろうね。」

「そう考えると中島らも太宰治も結局はアマチュアってこと?私小説みたいのしか書けなかったし、最後は結局作品に引きづられる感じで死んじゃったじゃん。」

「そうかもね。破滅型だよ。太宰もらもも。」

「それが好きだっていう坪内さんもその気があるんじゃない?」

「うん、言われてみれば」

「メンヘラだったりして」

「メンヘラかもなぁ。キミは?」

「それが、まったくwだから作品に深みが無いとか言われちゃう。それじゃあ坪内さんの書くのは鬱々しかったりするの?」

「どうなんだろうね。自分じゃよくわからないや。」

 

 


そんなこんなで2016年2月12日金曜日、新宿のritbarでの会食が終わった。
ぼくにとっては、何か大きなことだったので、ここに書き残す。

おそらくここは、曲がりなりにも執筆活動をしている、という自分自身へのポーズの場なのかもしれない。