精魂尽き果て中央大学に入学したぼくは、通学のため上京した。そこから2年兄との二人暮し。
生活費の原資は、親からの月5万の仕送りと月5万の奨学金。そこから家賃だの食費だの交通費、学費を出す。手元に残るのは微々たる額だった。
一切自炊をしない、かと言ってバイトをするわけでもないぼくはカツカツで、交際費などないようなものだった。大学でも孤立し友だちが少なかったのは、不幸中の幸いだ。
お金がなくても池袋の文芸座で映画が観たいし、たまには居酒屋だって行きたい。
残りのお金のことなど考えず散財することもしばし。
どうするかなーおれなー。
月半ばにしてお金が底を尽きる。
スーパー併設のフードコートなんかでご飯を食べてるとき、河辺を散歩してるとき、よくお金のことで悩んで暗い表情をしてた。
そんなぼくを見かねてか、あるおじさんがよく居酒屋に誘ってくれた。
「奢りだからいいよ」
と言いたくさん食べさせてくれるし、飲ませてくれる。
「オレもそれくらいのときは金がなかった。今もないけど」
食事中は決まって競馬の話や日本史の話をした。
「童貞のお前にはわからないだろうけどさ」
30近く年の離れたぼくに、女性経験のことなどでマウントを取ってきたりもした。
「お前に金を渡してもいいけど、そうした気後れするだろ。ご飯だけは出してやるよ。またな」
別れ際、おじさんは決まってこう言った。
おじさんのセクシャリティは間違えなくストレートだった。
「こんなオタク顔の男に奢って何が楽しいんだ…」
と、当時は疑問だった。
おじさんは自分から仕事や家庭の話をすることがなく、ぼくはそこには触れてはいけないんだろうな、と思い触れないようにしていた。
冴えない非正規かもしれないし、一人息子と生き別れたバツイチかもしれない。
ある日、バーでおじさんと飲んでいるとき、隣に座ったサラリーマンがやけにマウントを取ってくる人で、「俺はソニー勤めで」とか、「この年でグリーン車以外は恥ずかしい」とか、子供の小学校受験の話とか。
彼は自分の自慢話がしたいがために、ぼくやおじさんに「ふつう○○ですよね?」という風に、頻繁に鼻につく問いかけをしてきた。
おじさんはそれに気分を害したようで、「残りはこれで」と言って多めにお金を出し、ぼくを置いて店を出てしまった。
それ以後も、松屋やフードコート、河辺でおじさんと会えばふたりで飲みに行った。
あの夜の話を掘り返すことは一度もなかった。
このおじさんを含め、お金のなかった学生時代はいろんな人に助けてもらった。
大して偉くなりそうにないぼく相手のことだ、彼ら彼女らの中に打算なんて一切なかったと思う。
その場が楽しければふたり分のお金を出すのだって全然ありだと、お金に少し余裕ができた今は思う。
ぼくは彼みたいな大人になりたい。お金は適当に楽しく使うに限る。
引っ越して以来おじさんには会ってない。