付き合って2年になる彼女から「話したいことがある」と言われたとき、その内容には察しが付いていた。
「実はソープで働いているの」
店舗型というのは意外だった。気難しいところがある彼女のことだから、デリヘル、よくてパパ活だと思っていた。
そうして稼いだお金で彼女は着物を買い、剣術教室に通い、三浦大知の追っかけをやった。
不器用で、気難しくて、体が弱くて、決して裕福ではない彼女の実家のことを考えると、稼ぎ方は限られてくる。消去法で答えは出ていた。
当時ぼくは学生で、彼女は2個上の社会人だった。
相手が年上なのをいいことに、ぼくはよく彼女にご飯を恵んでもらっていた。その時分、ぼくは兄との同棲を解消しており、八王子の月3万円のアパートで独り暮らしをしていた。セルフネグレクトというか怠惰というか、生活が雑だったぼくの家の電気はよく止まり、食事も1日1回になっていた。ご飯を作る気力も買いに外に出る気力も湧かない。
仕事帰りの彼女が、お弁当を買ってぼくの家に立ち寄ってくれる。その1食のお弁当を待つだけの犬がぼく。
身長175のぼくの体重は40キロ台まで落ちた。対して身長148の彼女の体重は50キロ台後半まで増えた。
「きみと付き合って薬を辞めたから太れた。幸せ太りだよ」
と彼女は笑って言ったが、太いのに細いのが腰を打ち付けるセックス中の影絵はなんとも滑稽で、その時ばかりは別れようと毎回思った。
「ソープで働いている」
という彼女の告白。その告白の最後に
「でも、やめってちゃんと働こうと思う。」
と彼女なりの決意をぼくに伝えてくれた。
プライドの高い彼女のことだから、堅気の仕事への適性のなさでまたストレスを抱えてODする姿は容易に想像できた。しかし「ソープを続けた方がいいよ」なんて言えるはずもなく、「風俗で働いていたなんて知らなかった。ごめん。」という旨のことを伝えた。
彼女には「血栓塞栓症」という持病があり、ワーファリンという血液を固まりにくくするお薬を飲んでいた。そのせいで大好きな納豆を食べることができず、カッパ寿司に行く度に納豆巻きが食べれない悔しさについての話を聞いた。
「その持病が関係しているのかは不明」
と池袋の耳鼻科の先生は言った。彼女の聴力の低下は著しいようで、補聴器の新調を促された。池袋からの帰り道に彼女が寄った補聴器の店でオーダーしたものは20万円を超える舶来の高価な一品だった。その日から、それは彼女が持っていたどのピアスよりも華やかに彼女の耳を彩ることになる。
まだ婚約者という身分でもなかったのに、耳鼻科から精神科から内科まで、彼女の強い押しで診察の現場に立ち会うことが多かった。
体から心までいろいろと悪いところが多かった彼女。なかでも耳が悪くなっていることが最大のストレスらしく、
「このせいで『二胡奏者になる』という将来の夢を諦めさせられた。」
と口惜しそうに彼女は何度もぼくにグチを吐いた。
チャイナドレスを着て二胡を弾く中学生当時の彼女の写真が、いまも手元にある。付き合っていた当時もらったものだ。この時はまだ痩せていて、何より顔も生気に溢れていて、美少女そのもの。
「耳が悪くなっていなかったらぼくと付き合うところまで堕ちることもなかったんだろう」
と思った。酒と薬がぼくらのキューピットだと自覚していたので「健全になってほしい」なんて殊勝な気持ちを抱いたことは一度もなかった。
太ってしまったこともそうだが、それ以上に酒と薬が彼女の面影を変えた。ワーファリンを飲んでいるんだからお酒もご法度なはずなのに、外でデートの日を除いては彼女は1日中お酒を飲んでいた。
「お酒を飲み始めたのは高校生のとき。その頃は父と母が離婚したり、血栓塞栓症や難聴が始まったりとメチャクチャ。単純に非行したかっただけ。」
と付き添いで行った精神科で彼女が話してくれた。
「そのうち『酔う』ことがわかってくると、それが自分の欠落した部分にちょうどあつらえたようにピッタリはまり込んで、寂しさがなくなる。これが気持ちがいい。」
医者に対してルバイヤートのようなアルコール賛美を続ける彼女はいつになく雄弁だった。
ドイツ製だというその補聴器は、正常に耳に装着されいてないと「ピー」という耳鳴りのような高い音を出して正常な装着を促す機能が付いていた。彼女とのセックスのときも、ぼくが腰を振るたびそれが「ピー」「ピー」と鳴って喘ぎ声とハミングする。それがとても鬱陶しかった。しかし補聴器を外すと外すとで、挿入中にぼくが伝える愛の言葉を彼女が聞くことができない。
「行為の最中も声が聴きたい」という彼女の強い要望から補聴器を付けたまま行うことになった。それが3年も続いたせいか、今でも寝室で耳鳴りがすると、ギョっとして周囲を見回してしまう。
耳が悪く補聴器を付けているのに、彼女は障碍者として扱われることを嫌い、ぼくが「手話を勉強する」と宣言したときは酷く怒られたものだった。
そんな彼女が水商売を卒業し就いた堅気の仕事が、伝統工芸品である雛人形の製作だった。昔難きの職人が社長を務めるその会社は、従業員10人未満の家族経営の中小企業。
「給与の振り込み口座は多摩信用金庫に限定されているから」
と彼女とともに支店に口座開設の手続きをしに行ったときはロクな会社じゃないと思った。不器用で性格に難がある彼女では長くは持たないと思った。
しかし実際はそんなことはなく、社長に気に入られた彼女は営業職として成績も良く仕事は順風満帆のようだった。その間、ぼくは京王ストアの仕出しに、明光義塾の塾講師に、ローソンに、3つのアルバイトをクビになった。不器用でプライドが高いのはぼくの方だった。
当時ぼくの最寄りは高幡不動駅で、彼女の最寄りは武蔵五日市駅だった。デートはぼくの家か、中間地点の立川や昭島、拝島だった。昭島や拝島に行くときは、立川を経由して青梅線で行く。
青梅線は列車が駅に着いてもドアは自動で開かず、利用者がボタンを押してドアを開閉し、乗り降りする「半自動式」となっている。それがとっても田舎っぽくて、沖縄出身のぼくはお高くとまった東京に気後れしていたので、そういうダサい一面を見つけるととても安心した。
「〇〇ちゃんの地元の"あおうめ"線って新潟県まで走ってるんだっけ?」
とぼくはよく彼女に冗談を言った。ぼくは青梅線のことをずっと『あおうめ』と読む勘違いをしていた。
耳が悪くなっていた彼女はぼくの言い間違いに気づけず、付き合っていた3年間、ついぞや「『あおうめ』じゃないよ」とぼくに指摘することはなかった。
「『おうめ』…ですよね」
と指摘され気づいたのはつい4、5年前のことになる。