むかしの友達探し

10年前に遊んだ友達を探してみようとGoogleで名前を検索。

 

同窓会ネットワーク番外地で育ち、FacebookはおろかLINEも大学以降の付き合いしか登録のないぼくにとって、地元の知り合いの検索が毎年末の恒例行事。空気忘年会みたいなもの。

 

彼は中学のころクラスが一緒だった人で、学生時代はあまり話した記憶がない。

東京に出て県人会で再会し、お互い日野住みだということを知って一時期よく一緒にご飯を食べた。

 

たいして気が合う人ではなかったが、ぼくも、そして彼も東京(といっても日野だけど)での暮らしが心細かったからか、毎日のようにメールしていた。

 

ある晩、彼は「おれ間違ってなかったよな…」と高校時代のあるエピソードを話してくれた。彼の幼馴染がクラスでイジメにあっており、昔からその幼馴染とは仲良かったはずの彼もそのイジメの輪に加わってしまった、という話だった。

 

その話を聞いてからというもの、彼という人間が気になった。キザったらしいと思っていたカメラ趣味も、水玉模様を好むズレたファッションセンスも、平沢進好きも、その日を境にセンスの良い趣向に見えてきたのだ。

注目に値すべき人間、としてその趣味も色彩を帯び始めた、という感じ。

両親が離婚しており、腹違いの弟と上手くいっていない話などを聞くと、ますます彼という人間に深みを感じたものだった。

 

彼との付き合いは3か月間くらいなもので、2浪していたぼくを残して、彼は単位を全て取り終わり東京を去った。それ以来、ぼくたちは連絡を取っていない。

 

沖縄でも稀有な苗字をしている彼の名前をGoogleで調べたが、10年間更新されていないFoursquareを除き彼の情報は皆無だった。

 

唯一の辿れそうな痕跡はツイッター。

2011年の時点で彼のアカウントを早々に発見していたぼくは、彼に内緒でそのアカウントをフォローしていた。

就職の悩みだったり、趣味のことだったり、彼女(いたんだ)のグチだったりを綴っていたそのアカウントは、大学卒業と同時にピタリと更新を辞めた。どうも女性関係のトラブルがその原因らしかった。

 

アカウントを転生しただけで、またどこかでツイッターライフを謳歌しているんだろう、と思ったぼくは、彼がむかし運用していたアカウントのフォロワー欄や彼の趣味と思える界隈から転生アカウントだと思われるアカウントをしらみつぶしに探した。

 

この一週間、調べたアカウントは200を超え、ぼくは調べるのを辞めた。

 

個性的だと思っていた彼のカメラ趣味や平沢音楽への偏愛も、ネットの世界ではありきたりなもので、そんな人間ゴマンといた。彼みたいな人間がたくさんいる中で、本物の彼を見つけて何になるんだろうか。

 

もしかしたらツイッターなんてとうの昔に卒業しているかもしれないし、まだどこかで今もつぶやき続けているのかもしれない。だから何なんだ。

 

パソコンを閉じ、ラム酒の瓶に蓋をして、スマホを片手に寝室へ向かう。妻と娘はとっくに寝ている。

 

Foursquare 利用中☑

という検索結果をクリックすると、いつか二人で行った中野ブロードウェイのチェックインを見ることができる。